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第七話*冷たいキス

「おい!?」


 リュートが声を上げたと同時に、黒い手はベリルに巻き付いて木々の影に引きずり込んだ。


 影はベリルを眼前まで引き寄せると、紫の目をぎょろつかせて真っ赤に裂けた口に笑みを浮かべた。


 けれども、ベリルは表情を変える事なくその瞳を見据える。


「くっ」


 あんな奴でも、このまま見捨てるのは後味が悪いとリュートは剣に手をかけたが、ふと向けられたベリルの視線に手を止める。


 ベリルはしばらく、ざわざわと絡みつく手と本体の影を見定めるように沈黙し、ゆっくりとハンドガンを抜いて引鉄ひきがねを絞った。


「どうしました!?」


  集落に響き渡った破裂音に、レキナたちが驚いて集まってくる。


「問題ない」


「あっ。大丈夫だそうです。みんな、寝てください。なんでもありません」


 ベリルの足元に転がっている影にレキナは息を呑み、すぐさま仲間たちを広場から遠ざけた。


 広場にはリュートと、レキナと同じく駆けつけたティリスが生温なまぬるい風を感じつつ異様な光景に声もなく立ち尽くす。


 その黒い影は、女のようだった。


 よく見れば端正な面持ちではあるものの、青白い肌に全身はやせ細り、表情は嘆きに満ちて腕は力なく揺れている。


 手だと思われた長い黒髪は未だベリルの腕に絡みつき、弱々しく脈動している。銃弾がきいたということは、明らかに実体を持つモンスターだ。


「ウ、ウ……。オマエがほし──。ワタシ……ワタ──」


「お前のものにはなれない」


 すまないな。


 無表情に放たれた言葉と、影に向ける冷たい瞳に、ティリスはゾクリとした。そこには、なんの感情も見受けられない。


 人形を見るような目ではなく、ベリルが人であるのかと思うほど、彼自身からわずかの感情も読み取れなかった。


 影は悲痛に呻きながらも、すがりついてベリルを離そうとはしない。この執着は一体なんだとリュートはつかから手を外さず様子を見守っていた。


 無言で影を見下ろしていたベリルは、ゆうるりと膝を突き、苦しみで震える体を抱き寄せてその唇にキスを与えた。


「っ!?」


 ティリスはベリルの行動に驚いて思わず口を塞いだ。


「ウレシイ」


 影は涙を流してベリルを抱きしめたあと、無数の光の粒となり舞い散りながら消えていった。


 消えゆく輝きを追うように見上げるベリルを、ティリスは声もなく見入る。


 再びの暗闇にベリルは小さく溜息を吐き、広場に足を向けてふと、手に持っていたカップが無い事に気づき、辺りを見回して草の上に転がるそれを拾い上げた。


 ベリルが横切る瞬間、目が合ったティリスは体を強ばらせ、遠ざかる背中を何も言えずに見送る。


「……今のは?」


 レキナに問いかけたティリスの声は無意識に震えていた。


「シャズネスの魔女です。人の魂がモンスターになったものだと云われています」


 愛する者が死に、その苦しみに耐えきれず自ら死を求めたが、天に昇ることも出来ずに彷徨さまよい続け、愛しい人を探し続け──やがて、闇の中でしか生きられないモンスターに姿を変えていく。


「とても悲しいモンスターです」


 ずっと泣き続けて、こんな大陸にまで来ても彷徨い歩いているんですから。


「ベリル様は、その事を知ってらしたんでしょうか。そんなはずありませんよね」


 ティリスは語り終えて戻っていくレキナの後ろ姿を見つめながら、未だ小刻みに震える自分の手を握りしめた。


 この震えはシャズネスの魔女に? それとも、ベリルに──?


 あんな人は初めてだ。あたしは、ベリルの何を恐れているのだろう。それすらも解らない。


 いつも優しかったから、彼が戦士だということを忘れていた。闘うときも同じであるはずはないのに、まるで別人のように思えた。


「無事に、天に還っただろうか」


 リュートの言葉にハッとする。


「そうか。還ったよね」


 あの人は、最後に笑っていた。嬉しそうに、愛する人に会ったみたいな顔だった。ベリルは彼女に安らぎを与えたんだ。


 躊躇いなく、それが出来る人なんだ。やっぱり、優しい人なんだ。あたしは何を怖がっていたんだろう。


 安堵したティリスの表情をリュートは黙って見つめていた──

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