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第三話*馴染みなき世界の要請

 ──三人は、コルコル族と名乗ったフェネックもどきの案内に従い森の中を歩き始めた。


 ティリスはベリルの持っているバッグに興味があるらしく、チラチラと振り返る。そんな彼女の様子に気が気じゃないのか、リュートは冷たい視線を理不尽にもベリルに向けた。


「そういえば。フェネックってなんですか?」


「キツネの仲間だよ。イヌ科、最小の動物と言われている」


「へえ~」


 感心して前に向き直ると、ティリスは現れたいくつもの影に満面の笑みを浮かべた。


「きゃ~! 可愛い!」


「ティリス! 一人で行くな」


 リュートは再び、駆けていこうとした少女の腕を掴む。


 なるほど、少女の方は好奇心が旺盛で順応性も高いようだ。一方、青年は警戒心が強く少女にはよく世話を焼いている。


 ──案内されたコルコル族の村は、三人の目から見るととてもこぢんまりとしていた。


 建物は木造で田舎や避暑地にありげなログハウスに似ているが、一軒一軒のサイズは人間の家より二回りほど小さく感じられる。


 人間と似た文明を有しているようではあれど、その見た目のためか相当に可愛い。女性の服装はチロル地方の民族衣装を思わせる。


 やはり私が異質だったかと、ベリルはコルコル族の暮らしぶりを複雑な表情で眺めた。


 人口はさほど多いようには感じられず、のどかな村といった様子だ。話が通っているのか人間が珍しいのか、人々は遠巻きにリュートたちを窺っている。


「ここが長老と僕の家です」


 示された建物の前で止まる。


 二階建てではあるが、やはり小さい。扉には装飾が多く施されており、位の高い者がいる事を表していた。


「どうしました?」


 案内したコルコル族の少年だか青年は、無言で家を見つめているリュートに小首をかしげる。


 言いたいことは解っている。ここに人間、三人は確実に入らない。


「広い場所はないか」


「あ。すいません。こちらです」


 ベリルの問いかけでようやく察し、広場に案内する。


 集落の端にある広場には、テーブル代わりの大きな切り株が真ん中にどしんと据えられていた。


「わあー!」


 広場は森の途切れた場所に設けられているのか、ティリスは拡がる景色に感嘆の声を上げた。


 ここなら問題ないと切り株を囲うようにベリルたちは腰を落とす。


「長老を呼んできます」


 待っている間に木製のコップに入れられた飲み物が配られた。旅人を歓迎する風習でもあるのだろうか、果物の入った篭も幾つか置かれる。


「ありがとう」


 さっそくコップを手に取り、口に運ぼうとしたティリスをリュートが制止して先に自分の飲み物を口にした。


 ひとくち含み、大丈夫だと確認してからティリスにも促す。


 見たところ、少し濁った水ともとれる。ココナッツジュースのような、さっぱりとした味わいだ。


 ほどなくして、杖を突いた人物が現れた。毛並みは多少、悪いようだが足腰はしっかりしている。


「長老のゼキノです。僕の祖父です」


 ゼキノは一度、会釈して腰を落とすと長く伸びたあごひげをさすり、リュートたちをじっと見やる。


 そうして、しばらくの沈黙のあとフェネック──もとい、コルコル族の長老は小さく唸った。


「実はの」


 そう言って隣にいる孫に視線を向けた。


「僕たちの集落の近くに、とても強い魔物が住み着いたんです」


 長老の孫であるレキナは苦い顔をした。ここまでベリルたちを案内してきた者だ。


「僕たちの仲間が、何人もそいつの餌食になって。戦ったのですが、とても敵う相手じゃなかった」


 あんな魔物は見たことがありません。


「ここは、僕たちコルコル族の聖なる場所で、危険な魔獣やモンスターは入ってこないんです」


 だから、これまで平穏に過ごしてきた。


「あんなメチャクチャなやつ、知らない」


 突然、集落に現れた魔物はひと通り暴れ回ると満足したように森から去って行った。その恐怖を思い出したのか仲間が殺された怒りなのか、レキナの手は微かに震えている。


「今も近くにいるの?」


「いいえ」


 何度か集落に現れ、しばらくして遠い場所に住処を移した。


「あいつがまた来たら、僕たちは終わりだ」


 祖先から受け継がれてきたこの土地を去っても、あいつがいる限り安息の地はない。そして、今も誰かが食い殺されているかもしれない。


「怖いモンスターとか、魔獣はもちろん、います」


 けれど、あいつはそういうものじゃない。本能的な感覚なのか、レキナたちはその魔物をこのままにしておいてはいけないと強く感じた。


「この世界に我々のような人間はいないのかね」


「他の大陸にいます。ですが、遠すぎて我々ではたどり着けません」


 ベリルの問いかけに答え、顔を伏せる。


 もろちん、他の大陸に移動する手段はある。しかしその方法は、現時点ではコルコル族には不可能という事だった。


 助けを呼ぶ手段はもう一つあるけれど、それもやはり今は無理らしい。


 コルコル族はこれまで争いをしたことがなく、もともと争いを好まない種族だ。それでも必死に応戦したが到底、敵うはずもなく──


 どうしようもなくなった彼らは、倒せる者を呼び出す事を思いつく。長老もそれに賛成し、村の魔術師と共に召喚の義を実行した。


「村の倉庫で、とても古い文献を見つけたんです」


 そこには、強き者を呼び出す技法が書かれていた。初めは信じていなかったが、読み進めていくうちに、これは本当かもしれないと思い始めた。


「とても難しくて危険な儀式だと書かれていても、僕たちにとってはそれが最後の希望だったんです」


 少しでも間違えれば、どんな形で現されるか解らない。それでも、この方法に頼るしか無かった。


 ベリルは、言い終えて肩を落とすレキナを見やり、


「アガガガ!?」


「この口でどうやって喋っているのだ。声帯が発達しているのか」


「ちょっ──!? ベリル!」


 レキナの口を掴んで広げ、のぞき込んでいるベリルをティリスは慌てて止めに入った。しんみりした空気をぶちこわしたベリルにリュートは目を丸くする。


「大体の理由は理解した」


 呆れるリュートの視線をスルーして続ける。


「お前たちの選択した方法には少々、問題はあるが。呼び出されたものは仕方がない」


「すみません……」


 しょげるレキナにリュートは溜息を漏らした。


 重たい空気にティリスはやや困惑気味ではあれど、事の重大さをしっかり認識してもらわなければなとベリルの考えに同意しているリュートは何も応えなかった。


 ベリルはそれらを眺めつつ、これまでの事を念頭に考察を始めた。


 不思議な事であるが、こちらの言葉が違和感もなく通じている。向こうの言葉もあやまりなく私に伝わっているようだ。


 表層意識を通しての会話だとするならば、これは可能なやり取りだと考えられる。書かれていた技法には、それを同時に行うように組み込まれていたのだろう。


 フェネックがそうであったように、その世界に無い単語や名称はそのまま伝わっているらしい。


「なぜ俺たちが呼ばれた?」


 もちろんリュートが問うその中に、ベリルは含まれていない。


「僕は魔術師メイジじゃないので、よくは解りません」


 けれど僕が聞いた説明では、書物には特定する箇所はないと言っていました。


「開かれた次元の裂け目に偶然、我々がいたという事か」


「ああ、なるほど」


 推測で応えたベリルにティリスは納得した。


「そのメイジとやらの意識に多少なりとも、影響される可能性はありそうだが」


 思案するようにベリルは小さく唸る。


 リュートは、そんなベリルをいぶかしげに見やる。うっすらとだが、その口元には笑みが浮かんでいた。


 初めて会ったときから、こいつはこの状況を楽しんでいるんじゃないかと思っていた。


 確かに偶然、俺たちは呼び出されたのかもしれない。メイジの意識が影響している可能性も無いとは言えないだろう。


 何故なら、こいつは確実に闘える能力ちからを持っている。俺にはそれが解る。体つきからすると戦士のようだが、ざっと見て剣は持っていない。


 あちこちにベルトで黒い塊が収められている。それが何なのか想像がつかない。ナイフが唯一の武器のようだが、黒い塊に秘密があるのだろうか。


「ベリルって、何歳?」


 リュートはどうして年齢を尋ねる必要があるのかと疑問に思いつつ、彼女なりの仲良くなるきっかけ作りなのだろうとコップを手にして喉を潤す。


「ん?」


 唐突な問いかけにベリルは数秒、間を置いた。


「二十五だ」


「ええ!? もっと下かと思った!」


「……今、どうして俺を見た」


 一瞥したティリスに眉を寄せる。


「別に……」


「君は十五か十六歳と見たが」


「はい、十六です。リュートは十九歳」


 その言葉にベリルもちらりと青年を見た。


「あたし、てっきりリュートと同じ歳くらいだと思って」


 それは俺が老け顔だと言いたいのか、ティリス──リュートは少女の横顔に問いかけたかった。


 確かに、リュートという青年は聞かされた年齢よりも大人びて見える。


 場数ばかずを踏んできた者のそれであり、隻眼せきがんであるにも関わらず数多の闘いをこなしてきたであろう雰囲気が窺えた。


 見目麗しいことから、多くの女性からも好意を持たれてきたのではないだろうか。


「歳は気にするな」


 若く見えて、喋り方がそうでもないベリルにティリスは疑問を覚えてつい、問いかけてしまったようだ。


 それでも、少し距離が縮まったように思えてティリスは嬉しかった。


「お願いです。あいつを倒してください」


 申し訳なく思いながらも、レキナは懇願した。


「すぐに了承は出来ない」


「この人たち困ってるのよ。そんな言い方ないじゃない」


 ティリスは、ぶっきらぼうに言い放ったリュートに少しムッとした。それに、ベリルがフォローを入れる。


「相手が解らない状態で気安く承諾は出来ない。大きな責任が伴うものには、慎重にならねば」


「あ……。そか」


 ティリスはベリルに言われて、リュートの考えを理解していなかった事に肩を落とした。


 ベリルは恋愛にとことんうとたちではあるが、二人の関係は複雑なようだという事は解ったらしい。


「ひとまず。我々の宿を頼みたい」


「あ! すぐに用意します!」


 慌てて立ち上がったレキナに続いたベリルは、呼び止めて何かを話している。その様子を、ティリスは視界全体で捉えて小さく溜息を吐き出した。


「疲れたのか?」


「あ。ううん」


 笑顔で答える少女を、リュートは無表情に見下ろした。


 心配をかけまいと元気に振る舞っている。いつもそうして気遣っているのは、足手まといだと思われたくない気持ちもあるのだろう。


 そんな事を思うはずがないと言いたいところだが、以前に言ってしまっている手前、その自信はない。


 だが、我慢して倒れられた方が俺にとっては心が痛む。ティリスの体調を俺は気づけなかったという事なのだから。


「そこにいろ」


「え?」


 それだけ言って遠ざかるリュートの背中に小首をかしげた。


†††


 ──建物の間を歩いていると、ふいにひらけた場所に辿り着く。見れば、コルコル族の男たちが集まって何かを話し合っている。


 どうやら、簡易の建物を作るための話し合いをしているらしい。その輪の中にいたベリルは、リュートの姿を見つけて歩み寄る。


「側にいなくて良いのか」


 手伝うつもりのベリルに眉を寄せ、


「ティリスの寝床から作ってくれないか」


「そのつもりだ」


 鍛えているようだが、環境がかわった事でストレスも溜まるだろう。


 理解してくれていることにリュートはやや安堵した。


「……すまない」


 軽く手を挙げて返したベリルの背中を一瞥し、ティリスの元に戻る。


「本当にあれで二十五なのか?」


 振り返り、眉間にしわを寄せた。


†††


 ──広場に戻ると、ティリスの笑い声が聞こえて目で追う。


 笑みを浮かべ、コルコル族の子どもを抱きしめている少女にリュートの顔は自然とほころんだ。


「あ、リュート! 見て。可愛い!」


「ああ」


 すかさず表情を戻し、隣に腰掛けた。


「なるほど」


 ベリルは遠目でつぶやき、口角を吊り上げる。


 ティリスがリュートに向ける視線と、リュートがティリスに向ける眼差しは共に同じ、特別な感情が宿っている。


 互いに恋心を抱きながらも、その想いは胸に秘めたままらしい。いや、少女の方は少し違うのか。


「いいですねぇ~。ああいうの」


 レキナがその脇で小さく笑った。


†††


 ──しばらくして戻ってきたベリルは親指を後ろに示し、


「ティリスの寝床は完成した。我々はここで野宿といこう」


「ありがとう」


 気を遣ってくれたんだと気付いたティリスは、リュートとベリルに笑顔を見せた。


 そうして、体を休めるためにベリルが腰を落とそうとしたそのとき──ティリスの背後から黒い影が飛び出した。


「ティリス!」


 リュートは素早く剣を抜き、振り返ったと同時にどこからか破裂音が響き渡った。初めて聞く音に驚いていると、黒い影はゆっくり体を傾けてズシンと倒れ込んだ。


 ほんの一瞬の出来事に、誰もが動きを止めた。


 リュートは黒い影を見下ろす。三メートルはある、巨大な犬を思わせる風貌。鋭く長い爪に凶暴さが見て取れるギラついた牙──その猛獣は、苦しむ間もなく死んだようだ。


 よく見ると、その額には小さな穴が空いていた。


「一体、何が」


 リュートは目を見開き周囲を確認する。


 すると、ベリルがあの黒い塊を握っていた。その瞳はゾクリとするほど冷たく、戦士の表情が表れていた。


 やはり、あれは武器だったのか。得体の知れない力にリュートは表情を険しくする。


 ベリルは他に気配がないと解るとショルダーホルスターに銃を仕舞い、吐き出された空薬莢からやっきょうを拾ってパンツのバックポケットにねじ込んだ。


 レキナは驚いて死体に駆け寄る。


「ガルムです! どうしてこんなところに? 岩山にむ獣なのに──」


「他にはいないようだ」


 ベリルは言って、ガルムの側でへたり込んでいるコルコル族の子どもに近づく。恐怖に震える二匹にティリスは胸が痛んだ。


「キュッ!?」


 膝を突き、手をさしのべたベリルに二匹はビクリと体を強ばらせた。


 涙を貯めて震え続ける子どもたちを、ベリルは急かすこともなく落ち着くまで待ち続けた。


「心配ない」


 二匹はベリルの瞳に張り詰めていた緊張が緩んだのか、声を上げてその首にしがみついた。

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