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第10話:授業参観(5)

 勝負が決まると、甥っ子がベルの下へと駆け寄ってきた。甥っ子の頬が赤くなっている。


「ベル叔母様! すごいです! 感動しました!」


「そ、そう? えへへ……」


「ベル様。だらしない顔になっていますよ」


「う、うるせー!」


 トーマスがいつものように窘める役目を担ってくれる。手渡してきたストッキングで素足を覆う。地面に置かれたハイヒールを履く。そうした後、甥っ子の頭を優しく撫でる。


 甥っ子はくすぐったそうな顔をしている。もっと撫でまわす。遅れて、クリスがこちらに合流してきた。彼女はこちらにペコリと頭を下げる。


「つかぬことをお聞きしますが、殺したのですか?」


「物騒なこと聞いてくるなっ。ちゃんと手加減したさ」


 ベルはくぃっと親指で地面に倒れているセキシュウサイを指さす。するとだ、セキシュウサイが上半身を起こして、頭を軽く振り出した。


「な?」


「じゃ、ありませんよ」


 クリスがセキシュウサイに駆け寄っていく。彼は頭を強く打っている。クリスは彼に横になるように促している。


 遅れて、担架を持った先生たちがセキシュウサイに近寄っていく。ベルはただ黙って、介抱される彼を見ていた。


 担架に乗せられたセキシュウサイがベルの横へと並んだ。彼はうめき声を上げながら、「ベルー。ベルー」と呼びかけてきた。


「なんだよ、セキシュウサイ先生」


「おお……。久しぶりに血が騒いだぞ。またやろうな?」


「……ったく。本当に元気だな。で、次はいつだい?」


「今度、三者面談がある。そして、その後は文化祭だ」


 ベルはがっくりと肩を落とした。さすがは兵法者だ。死ななければ負けたことにならないのだ、こいつらは。


 最後まで生きてたほうが勝ち。まさに戦場の掟のままに生きている連中だ。付き合いきれないと思うしかない。


 だが、絶対にセキシュウサイから、ちょっかいをかけてくるのが今からでも容易に想像できる。


「わかったよ、セキシュウサイ先生。次は三者面談の時に……な。とりあえず、身体を休めてくれ」


 そこまで言って、ようやくセキシュウサイは体重の全てを担架に預けてくれた。ため息しか出てこない。彼が担架に運ばれていくのをグランドで見送り続けた。


◆ ◆ ◆


 波乱に満ちた授業参観はようやく終わりを迎えようとしていた。甥っ子は今日の授業がまだあるので、もうしばらく冒険者訓練場に残らなければならない。


「んじゃ、あたしはトーマスと一緒に先に屋敷に帰っておくよ。甥っ子ちゃんはしっかり授業を受けるんだよ」


「はい! たくさん勉強して、1日でも早く、一人前の冒険者になります!」


「おう。あと、ココとナナって娘さんたちとたくさん話し合うんだぞ。これからずっと、演習で一緒なんだろ?」


 ベルは当時のことを思い出しながら、甥っ子にそう聞いた。20年経っても、一度決まった演習でのパーティは基本、固定だ。入れ替えはよっぽの事情がない限り、おこなわれていないはずだ。


「はい! ココちゃんたちといっぱいしゃべって、今日の演習を振り返っておきます!」


「えらいぞ、甥っ子ちゃん!」


 もう1度、甥っ子の頭を撫でた。甥っ子は笑顔だ。こちらも自然と笑顔になってしまう。甥っ子と別れるのは寂しいが、クリスに後を任せる。


 ベルはトーマスと共に家路につく……。


◆ ◆ ◆


 行きは3分で冒険者訓練場へ向かったが、帰りはゆっくりと徒歩で戻る。その時、お腹から虫の音が聞こえた。


「寄り道していきますか?」


 トーマスが気を利かせてくれる。ベルは立ち止まり「うーーーん」と言いながら、辺りを見回した。左手には繁華街が見える。


 ベルは甥っ子の成長した姿を見て、少し浮かれ気味であったが、それでも酒場に行くのはためらってしまう。


「どうっすかな。酒場に行くと、どうしても酒を頼んじまうだろうし」


「そうですね。では、喫茶店はどうですか?」


「ふむ……。サンドイッチでも食べるか」


 ベルが再び歩き出そうとした時、視界に黒い物体が映る。その小さな生き物はベルの前を堂々と横切ろうとした。ベルは慌てて足を止めた。


「猫ちゃんかい。ほら、早くあっちに行きな」


 ベルが手を前後に振り、黒猫が移動するのを促した。だが、黒猫は何を思ったのか、ベルの方へと近づいてくる。ベルは少し動揺して、一歩、下がってしまった。


 トーマスがその場でしゃがみ込む。そして、黒猫を抱いて、立ち上がる。


「お腹が空いているようですね。あまり野良猫に何かあげるのはいけないのですが」


「んじゃ、飼ってやったらいいんじゃないか?」


「ふむ……」


 トーマスが顎に手を添える。黒猫とトーマスが見つめ合っている。しかしながら、黒猫はトーマスの腕の中からスルリと抜け出し、キレイに石畳の上へと着地する。


 そして、こちらに向かって「ナー」と一声、鳴いた後、その場から立ち去っていく。


「振られたようですね」


「そっか。誇り高い奴なのかもな」


 黒猫を見送った後、トーマスと共に喫茶店へ入る。


「いらっしゃいませ! 店内とテラス、どちらにされます?」


 お昼には少し早い時間のため、客はまばらだった。


「じゃあ、テラスで」


 店員にテラスへ案内されて、その席に座る。店員が自分の横に張り付いている。ベルはトーマスと視線を合わせる。トーマスがこくりと頷いてきた。その後、トーマスは店員に顔を向けた。


「トマトジュース2つとサンドイッチ4人前でお願いします」


 一瞬だけだが、店員が固まった。それをベルは目の端で確認したが、何も言わない。


「は、はい! トマトジュース2つとサンドイッチ4人前ですね! 少々お待ちください!」


 注文を取り終えた店員がこの場から去っていく。だが、足を止めて、こちらへと振り向いてきた。ベルは店員と目を合わせ、ウインクする。店員はペコペコと頭を下げた後、店内に消えていく。


「どちらがどれくらい食べるのか? って顔してたね」


「正解はトマトジュース2つが私で、ベル様がサンドイッチ4人前なんですがね?」


 トーマスは細目でありながらも、悪い笑顔をしている。ベルもつられて苦笑してしまった。元吸血鬼といえども、今はヒトの身だ。トマトジュースのみで足りるわけがない。


◆ ◆ ◆


 10分もすると、店員が戻ってきて、テーブルの上に注文した品を並べていく。白い皿に乗ったサンドイッチを手に取り、さっそく、口の中に運ぶ。


 レタス、スクランブルエッグとハム、そしてパンが一度に口の中で混ざり合う。それらのさっぱりとした味がミックスされていくのを楽しむ。


 ベルの顔はご満悦となっている。ニコニコとしていたら、トーマスが声をかけてきた。


「レオン様はベル様の目にどう映りましたかな?」


「それは聞かなくてもわかるんじゃないの?」


「言葉にしなくては、相手に伝わりませんよ。練習のつもりでお答えください」


 夕飯時に甥っ子をべた褒めしようと思っていた。だが、トーマスはもっと具体的に褒めるべきだと考えているのだろう。ベルはサンドイッチをもぐもぐと食べながら、何と言うべきか悩む。


「うん。太刀筋はキレイだ。しっかりと基本の練習を繰り返してる証拠だな」


「それと他には?」


「パーティへの気遣いができてないところは減点だけど、今日は初めての実戦を想定した演習だ。そういったミスは今のうちにできるだけやっておいたほうが良いから、今回は不問かな」


「不問で済ませてはダメですよ。そういうところもきちんと指摘してあげましょう」


「そんなもんか?」


「はい。不問で良いですが、指摘するのは大事です」


 なるほどと納得してしまう。要は言い方ひとつなのだと気づかされる。責任を問い詰めるのではない。もっとこうしたほうがより良かったとそういう伝え方をすればいいのだ。


「トーマス。あたしなんかよりもよっぽど子育てが上手いんじゃないか?」


「そんなことはありませんよ。ただ……自分がそう言われたら嬉しい……と思ったまでです」


「難しいねえ。あたしは行動で示す派だからさ。言葉で上手く伝えれるのか不安だなあ」


「だからこそ、今のうちに練習しておきましょう。さあ、他にレオン様をもっと褒めるところを一緒に探しましょう」


 トーマスは自分にとって、良い相方だ。もし、彼がいなかったら、甥っ子は今、どんな風に育っていたのだろうか。サンドイッチを食べる手を止めて、街路の方へと視線を向ける。


 すると、そこに先ほどの黒猫が見えた。黒猫は「ナー」と鳴いている。こちらの気持ちも知らずに勝手気ままだ。


 黒猫は動きを見せる。その先には茶虎猫がいる。そして、茶虎猫の側には黒と茶が混ざった子猫がいた。


 どうやら親子のようだ。黒猫が黒茶の子猫の身体を優しく舐めまわしている。親子猫たちの愛くるしい姿がベルの不安感を癒してくれる。


 親子猫たちの姿を見送った後、ベルはトーマスへと顔を向け直す。


「トーマス。ありがとうな。甥っ子のことを見ていてくれて」


「いえ。ベル様と同様、レオン様のことを愛おしく思っておりますので」


 優しい秋風が吹く。ベルは目を細める。昔の自分と甥っ子を比べてみた。


 甥っ子には夢がある。当時の自分も夢のために努力した。甥っ子が「淫魔にドレイン・キッスされたい」というのであれば、一家勢ぞろいでその夢を後押しする。ベルもそうされてきた。


(あたしも昔は両親に背中を押してもらったっけな。今度はあたしたちがその役目を果たす番だね)


 自分たちは甥っ子が立派な冒険者になってくれるのを応援する。かつて、両親が自分にそうしてくれたように……。

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