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第5話:天使との朝(2)

 トーマスの説教も終わり、甥っ子と楽しく朝食を楽しむ。


「今日は訓練場でどんなことをするんだい?」


 ボルドーの街には冒険者訓練場がある。その年次で13歳になる者が春から入学できる。そこで3年を過ごし、ようやく国から冒険者のライセンスが発行される。


 甥っ子は12歳の時に、このボルドーの街に引っ越してきた。次の春を待ってから、訓練場に入学させた。


 それから1年半が過ぎた。今は10月半ば。甥っ子は夏に誕生日を迎えて14歳になった。もう1年半ほどで、冒険者訓練場を卒業できる。


「今日からはいよいよ実戦方式での演習が始まるんです! 戦士職を目指しているので、ここからが勝負です!」


 甥っ子贔屓の叔母バカ視点から言わせてもらえば、甥っ子は自分と並び立つほどの実力者だ。それら全てを抜いて、現実的に考えれば、センスは抜群に良いという評価になる。


「ようやく座学も終わりか……。なんか懐かしいねえ。あたしはどうだったかなあ?」


「冒険者訓練場で、ベル叔母様の伝説は今でも語り継がれてます。ぼくは甥っ子として、恥にならないようにしなければ……」


「そんなに思い詰めるんじゃないよ。レオンはレオン。あたしはあたしだ」


「でも……。ベル叔母様の顔に泥を塗るようなことはできません。ベル叔母様は初めての実戦方式で100人組手を勝ち抜いたんです。ぼくもそれくらいできないと!」


 そう言えば、そうだった。上級生が喧嘩を売ってきたので買ってやった。「女がしゃしゃり出てくるな。おとなしく僧侶職にでも就け」と言われたことを思い出す。


(ほんのちょっと力が入り過ぎて、そいつの腕を木刀でへし折ったんだよなあ……)


 かれこれもう20年くらい前のことだ。当時のことを懐かしく思い出す。あの時は手もつけれないほどのやんちゃだったという自覚がある。


 今はかなり大人になったが、やはり14歳の時の自分は若すぎた。相手の血で木刀が真っ赤に染まった。返り血を浴びて鬼のような顔になっていたと、当時、一緒に冒険訓練場に通っていたふたつ上の姉に言われた。


(フローラ姉ちゃん。姉ちゃんの息子は立派に成長してるよ……)


 物思いにふける顔になってしまう。軽く首を左右に振り、当時の情景を頭の中から振り払う。


「んま、あたしと比べるんじゃないよ。センスは抜群にある。あたしのお墨付きだよ」


「そう……でしょうか。ぼく、自信が持てないんです」


「自信ってのは、いきなり身に着くものじゃないよ。あと、大切なことを忘れてるぞ。ダンジョンにはひとりで潜るんじゃない。友達と仲良くしとけ」


 どの口で言ってるのかと、笑えてきてしまう。自分が14歳の時には冒険者訓練場で実戦方式で組手をする相手もいなかった。


 いや、違う。自分はあの時すでに、自分と訓練になるほどの相手がいなかったというほうが正しい。師範が直々に組手の相手になってくれた。


「トーマス、そう言えば、あの爺ちゃん、未だに訓練場で若者たちに教えてんのか?」


「さすがに引退したのではありませんか? もう20年ほど前でしたよね?」


 頭を捻り、師範の名前を思い出す。セキシュウサイ・ヤギュウ。白い長髪に白い長髯だった。


 あの時点で60歳だったはずだ。あれから20年経っている。さすがにもう引退していておかしくない。


「なあ、甥っ子ちゃん。誰が先生をやってくれるんだい?」


「んと……。模擬戦の先生がそのまま継続のはずなので、ムネノリ先生です」


「ふーん。ちなみに姓は?」


「ヤギュウ……だったはず。ベル叔母様の知り合いとかだったりします?」


 思わず、ぶはっ! と勢いよく噴き出してしまった。同じヤギュウ姓であれば、セキシュウサイ師範の息子か、それとも孫ということになる。


(つくづく……運命ってもんを感じるな。いや、腐れ縁ってのが正しいのか?)


 ついでにとばかりに、ムネノリ先生の特徴を聞いてみる。50代半ばで白髪交じり。髯は顎にたくわえてはいるが、おしゃれにカットしているそうだ。


 時代に合わせて、ヤギュウ一族も変わっている証拠でもある。今度、挨拶に向かわなければならないかもしれない。機会があればだが。


「ほら、朝食を食べな。そろそろ着替えないと遅刻しちまうぞ」


「本当だ! ベル叔母様としゃべっていると時間がいくらあっても足りないんです!」


 嬉しいことを言ってくれる。ぱくぱくと急いで朝食の残りを食べている姿が愛おしい。


◆ ◆ ◆


 甥っ子が朝食を食べ終えるのと同時に、彼の横にはこの屋敷で雇っているもうひとりの使用人がやってくる。彼女の名前はクリスティーナ・ベックマン。


 どこかのダンジョンかは忘れたが、そこに潜った時に宝物庫に眠っていた魔傀儡オートマターだ。それを持ち帰り、トーマスに頼んで、主従設定を書き換えてもらった。


「レオンお坊ちゃま。着替えを手伝います。いえ、手伝わせてください!」


「ええ!? ひとりで着替えられるよ!」


「いえ、いけません! 何かあったら一大事です! ズボンの留め紐が大事な部分に絡まってしまう危険が考えられます! そのようなことが起きないよう、自分が対処いたします!」


「ぼく、そんな不器用じゃないよ!?」


 クリスは甥っ子に対して、少々、過保護だ。甥っ子は可愛いから、人攫いに会う危険もあるとクリスは進言してくれた。クリスには訓練場にも一緒に行ってもらっている。


 甥っ子の行き帰りの安全はクリスが保証してくれる。家を空けがちな自分にとって、クリスの働きぶりには頭が下がる。


「甥っ子ちゃん。クリスが心配してるんだ。手伝わせてやりなよ」


「でも……」


 甥っ子は何だか言いにくそうにしている。どうしたのだろうと心配になってしまう。そんな自分に対して、トーマスが耳打ちしてくる。


「レオン様は14歳です。クリスはオートマターですが、女型ですので……」


「あーーー」


 すっかり失念していた。14歳の年頃の男の子だ。オートマター相手と言えども、恥ずかしさを多分に感じてしまうのだろう。


(どうっすっかな……。甥っ子ちゃんがオートマター相手にどうこうとかいうのは無いと思うから、クリスのさせたいままにさせてるが……)


 ここでふと、クリスのおこないを振り返る。甥っ子がトイレに入れば、トイレのドアの前で、ことが終わるまで待っているらしい。


 風呂に入るときは背中を洗っていると聞いている。


 就寝時には、甥っ子が寝るまでベッドの上で彼の頭を撫でている。


「……。あれ? 今、気づいたんだけどさ? いささか行き過ぎてねえか?」


「……。はて、どうなんでしょうか? 元吸血鬼なので、適切な距離感がよくわかりません」


「うーーーん。今度、ご近所さんにクリスがやり過ぎてないか、聞いておいてくれないか? それで判断するわ」


「わかりました。懇意にさせてもらっている方々に聞いておきます」


 とりあえずはこれで大丈夫そうだ。そんなやりとりをしている間にクリスは甥っ子を引っ張っていってしまっている。


 甥っ子の部屋の方から、なにやら賑やかしい声と音が聞こえるが、いつものことなので、放っておく。


 それよりもだ。自分は甥っ子との儀式のための最終確認をしておかねばならない。トーマスがダイニングのテーブルから食器類を片付けてくれた後、そっと手鏡を渡してくれる。


 その手鏡で顔をチェックする。特に唇を入念に。


(よし。プルプル感は持続してるな?)


 冒険訓練場に行くための準備を終えたのか、甥っ子がクリスと共に部屋から出てくる。クリスは良い仕事をしてくれた。甥っ子はどこに出しても恥ずかしくない姿になっている。


 黒色のズボンに白色のシャツ。丈夫な布製ではあるが、動きを阻害しないようにゆったりめだ。その上から白色のジャケットを羽織っている。


 14歳らしいオシャレと実用性を兼ねている。クリスがこちらにサムズアップしてきた。こちらもサムズアップで返す。


「あの、おかしなところ、あります?」


「いやーーー。自慢の甥っ子だよ!」


「ありがとうございます!」


「はいよ。ほら、こっちに顔を寄せてちょうだいな」


 甥っ子の頬が真っ赤になっている。彼の顔の高さに合わせて、こちらは身体をかがめる。チュッと甥っ子の頬にキスをした。甥っ子の体温が高まっているのを感じ取れた。


「い、行ってきます!」


「行ってらっしゃい。クリス、頼んだよ」


「はい、ベル様。自分はこれからレオン様の警護につきます」


 クリスが深々とお辞儀をしてくる。うんうんと頷いて答える。甥っ子とクリスが屋敷の外へと出て、冒険者訓練場へと向かっていく。その後ろ姿を黙って見送る。


「トーマス」


「なんでございましょう?」


「あたし、クリスと役目を交代したい……」


「ダメです。そんなことしたら、冒険者訓練場が崩壊します」


 甥っ子のことを思うならば、それは絶対にダメらしい。自分はずいぶん大人になった……はずだ。甥っ子に何があったとしても、静観できる……かもしれない。


「……無理だな。大人しくクリスに任せよう」


「はい。レオン様の成長の妨げになってはいけません。自重してください」

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