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「あーーー、甥っ子ちゃんは今日も可愛いねえ……」
30も半ばを迎える女性は横目で宙に浮かぶスクリーンを見ていた。その顔に向かって正面から飛んできたボーガンの矢を右手の指で挟む。
くるっと手首を回す。その矢を放ってきた兵士の頭へとお返しする。矢は兵士の兜をあっさりと貫通する。次の瞬間、兵士の頭が破裂した。
それをちらりと見たあと、またしても縦に30センチュミャートル、横に40センチュミャートルのスクリーンへと目を泳がせた。
彼女の筋肉は彫刻のようだった。割れた腹筋が浮き出ている赤いボディスーツを着ている。その上から軽装な部分鎧の姿だ。
背中には刃渡り1.5ミャートルもある両刃のグレート・ソードを背負っている。鉄の塊と言っても良い無骨さだ。
彼女は今、戦場のど真ん中にひとりでいた。彼女の周りには2000の敵兵がいる状況である。
彼女の軽装な恰好はこの地にはふさわしくないと言えた。
「ここの敵部隊をぶっ飛ばしたら、ドレッド王が甥っ子とたっぷり休暇を楽しんでくれって言ってたよなぁ」
女性の隣へとやってきた大男が大槌を大きく振りかぶる。女性はそちらを見ずに左手を軽く掲げる。大男のこめかみには青筋がくっきりと浮かび上がった。
「今度こそ、長期休暇だよね?」
大男が一気に大槌を振り下ろす。しかし、女性はあっさりと左手で受け止めた。女性が左手に軽く力を込める。
次の瞬間、大槌の表面にひびが入る。大男の顔は恐怖の色で染まる。大槌をもう一度振りかぶろうとしたが、びくともしない。
「久しぶりにピクニックに行きたいな、甥っ子ちゃんと」
女性は左手をブンと前へと振る。大男は大槌を握ったまま、空の彼方へ飛んでいく。
彼女の周りを囲む兵士たちは腰砕けになってしまう。その兵士の顔を朗らかな表情で女性はのぞき込む。
「悪魔だ! やはり、ベルは悪魔だ!」
「うん? こんなに可愛いあたしが悪魔? あんた、節穴じゃないのか?」
「ひいいい!」
ベル。この女性の名前である。
とてもではないが、敵陣のど真ん中に立つような装備では無い。
端正な顔つきだというのにそれを台無しにしているぼさぼさの赤髪ときている。戦場の熱が彼女の肌と髪を焼いた。
しかし、それとは対照的に彼女の瞳は美しい
ベルは兵士たちのことなど、気にもかけず、顔の横に展開しているスクリーンに視線を移動させた。冒険者訓練場で日々、成長している甥っ子を見ていると、心がキュンキュンして堪らない。
スクリーンから一度、目を離す。未だに自分の周りには2000近くの敵兵がいる。そうだというのに、こちらに向かってくる敵兵は誰ひとりとていない。
「しっかし、どんだけ数いやがんだ? これじゃ、約束の時間に間に合わないなあ!」
ベルは
地面に亀裂が幾重も走った。彼女を囲んでいた兵士たちが地割れに飲み込まれていく。
「人使いが荒いぜ、最近の王様は。よっぽど、あたしの存在が気に入らないんだな?」
地震が収まるとまたもやベルの周りを兵士が囲む。遠巻きに槍の穂先を突き付けられる。彼女は「はぁ……」と長い溜息をつく。
「あのさあ。もっとがんがん襲ってきてくれね?」
ベルに与えられた時間は残り少なかった。夕刻までには敵軍を壊滅してこいとの命を王様から受けていた。腹の減り具合からタイムリミットまで残り1時間と言ったところだろう。
「めんどくさ! 帰りたくなったなぁ! どうせ、休暇って言っても1週間もくれないだろうし」
ベルは幾重にも包囲されていた。周りには少なくとも1000人以上いる。そいつら全員が腰が引け気味だ。彼女はコリコリと顎を指で掻く。
亀裂が入った地面に指を突っ込む。その指で地面を掴む。一気に引っ張ると直径1ミャートルの岩が取れた。
それを自分を包囲している兵士たちにぶん投げた。兵士たちは慌てて逃げ出すが間に合わない。岩の塊が10人を一瞬で肉塊にしてしまう。
「よっし、道が出来たな! とっとと、この軍の大将様をぶっとばしにいきますか!」
出来た血肉で彩られた赤い絨毯の上を悠然と歩く。その様は触れるな危険と背中に張り紙でもされているようであった。
ベルの前方50ミャートル先には騎馬兵の群れが待っていた。遠目に見ても、馬が嫌がっている。
「何を必死に守ってんだか……」
後頭部をぼりぼりとかく。ふわあ……と大きなあくびをする。逃げたければ逃げればいいのにと思ってしまう。
100の騎馬隊兵の向こう側で何やらわめきちらしている者がいる。着ている鎧の質から察するに、自分を囲む兵士たちの親玉だとわかる。
「やっと見つけた……。てか、この状況でもまだ逃げないんだな」
ベルはあきれ顔になっていた。この戦場にやってきてから、かれこれ1000人ほど殺した。
これほどの損害を与えられた以上、敵将は一度、軍の体勢を整えなおさなければならないはずだ。なのに敵将からは退く姿勢を見せなかった。
「なんとも情けないやつだね。ヤッたあたしが言うことじゃないんだろうけどさぁ!」
ベルは走った。敵将目掛けて。相手が敵兵と言えども、これ以上、いたずらに血を流したくなかった。
この惨状の原因である敵将を討ち取って終わらせようと考えた。だが、敵将に
敵将目掛けて突き出した拳は紫色の壁に防がれた。
(あたしの勢いを止めるほどの
ベルはニヤリと口角をあげる。視線を動かし、魔法を発動させている人物を探す。すぐに見つけた。
「ほう? あんたやるねえ? 名を聞いておこうか?」
「名乗るほどではありません」
「くはっ! いいねえ! もっと若けりゃ、あたしの婿にしているところだよ!」
「ふっ……御冗談を。私にも選ぶ権利というものがあります」
自分の拳を止められたことは、久しく記憶が無い。この男に興味がわいてきて仕方がない。
ぶかぶかの司祭服に身を包んでいる。翡翠色の髪が美しい。この感じからして、相当に修練を積んだ司祭だということがわかる。
(歳は見た目……50になろうというところか? 相当な手練れだな、こいつ……)
白魔法、黒魔法どちらも自由自在に使いこなせることは肌でわかる。
肌がひりつく。この戦場に足を踏み入れてから、軟弱者しかいなかった。だが、目の前の司祭が強者だと感じ取れる。
男が動く。珠のような汗を額からまき散らしながら。空いた左手をこちらにかざしてくる。
「いいぜ! 撃ってきな!」
「いいんですか? 超特大黒魔法ですよ!」
男の左手の前には白い光体が浮かんでいた。ますます口角がつり上がってしょうがない。黒魔法の奥義であるメルト・クラスターに違いないとそう感じた。
まともに喰らえば、いくらベルと言えども大怪我を負わされることは必定であった。それゆえに彼女は背中に背負っている鉄の塊を両手に持った。
どこまでも武骨な大剣であった。刀身にも柄にも目立った装飾は無い。まるでドラゴンの首を斬るためだけにある厚みを持っていた。
鉄の塊の柄を彼女は握った。その途端、彼女が放つ圧が膨れ上がる。彼女と司祭の周りにはすでに誰もいない。巻き込まれることが必定であったからだ。
「メルト・クラスター!」
男がそう叫ぶや否や、ベルの視界は真っ白に染まる。ベルは莫大な光の奔流に飲み込まれる。皮膚が焼ける。ぼさぼさの髪の毛に火がつく。まつ毛まで溶け始めていた。
それでもベルの黒い瞳がギラギラと輝きを増す。全てを斬り伏せんとばかりに鉄の塊を上から下へと振り下ろす。
しかし、彼女は何の手応えも感じることはできなかった。自分の身体が浮いている。光の玉が彼女を包み込み、この場所から遠くへと運んでしまった……。
◆ ◆ ◆
「ちっくしょう……。ドレッド王のやつ。敵軍に隠し玉がいることを秘匿してやがったな」
腰袋から軟膏を取り出し、火傷した身体に塗りたくる。傷にしみて、涙が溢れてくる。傷を癒しながら、辺りを見渡した。
戦場から遠く離れた森の中にまで黒魔法でぶっ飛ばされたことがわかる。防具の半分が黒魔法の熱で溶かされた。
「さてと……。あの司祭をどう攻略するかな。敵にとんでもない奴がいて、敵将を討ち損じましたなんて、ドレッド王の思惑通りになっちまう」
考える。十秒ほど。ひとりでは敵将を討ち取ることはできない。あちらが隠し玉を持っていたなら、こちらも隠し玉を出す場面であろう。
腰袋から笛を取り出した。それを吹く。だが、音は鳴らない。正確には特殊な音波が出る笛で、この笛の音が聞こえる者だけが反応できる。
笛に呼ばれて、ニンジャが現れた。黒装束に身を包み、顔をニンジャ・マスクで覆っている。
聞くところによると、ダンジョンで悪魔に襲われて、それでパーティが壊滅したらしい。もっと強くなるためにも、かつて最強と呼ばれた自分に師事を乞うてきた。
「おう、シュバルツ。あの司祭の気を引けるかい?」
「それは拙者が始末してしまっても良いと言うことか?」
くはっ! と笑い声を出してしまった。最強と謳われる自分でも、戦場から遠く離れた森にまで飛ばされたのだ。それなのに豪胆なことを言ってくれるニンジャだ。
「じゃあ、司祭の方は頼むわ。あたしは大将を殺す」
「では、急ごう。将を逃せば、ドレッド王はベル師匠に死罪を言い渡すであろうからなっ!」
「そういうこった。あたしの目当てはあくまでも大将の方だ。んじゃ、任せたぜ、シュバルツ」
超特大黒魔法によって受けた傷は軟膏のおかげで半分癒えた。こんなところで時間を潰している余裕はない。ドレッド王との約束の時間まで残り30分。
それまでに与えられた任務をこなさなければならなかった……。走れば戦場まで15分で到着するはずだ。シュバルツが司祭を抑えてくれれば、時間的余裕はまだある。
(待ってろよ。甥っ子ちゃん。ちゃんと生きて帰るからな)