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第6話


 フェクスは街の大きな病院に運ばれた。彼は腹部をナイフで刺され、大量に出血していた。

 一時は医者に覚悟を決めた方がいいとまでいわれたが、フェクスは運よく一命をとりとめた。

 しかし重傷であることはかわらず、彼の意識は戻らなかった。


 アルスカはそんなフェクスの傍を離れなかった。

 アルスカの上官はアルスカに長期休暇を許した。アルスカは泊まり込んで看病を続けた。


 アルスカは後悔していた。すべてはケランの不義から始まったことではあるが、アルスカは向き合うことから逃げた。これはアルスカの不義だ。ケランを壊してしまったのはほかでもない、アルスカなのだ。アルスカとケランはお互いに不義に不義を重ね、積もった澱がフェクスを襲った。


 フェクスにとっては災難な話だ。


 戦争で金も物資も食料も足りないというときに、異邦人が家に転がりこんで来ただけでなく、さらにその異邦人の元恋人に刺された。


 どれほど謝罪をしても足りない。アルスカは横たわるフェクスを見つめて頭を掻きむしった。


 アルスカは懸命に看病した。ひと匙、水のような粥をすくってフェクスの唇に当てる。根気のいる重病人の看病を、彼は弱音ひとつ吐かずにやりつづけた。


 そうして10日ほど経ったとき、フェクスの指がぴくりと動いた。アルスカはそれを見逃さず、フェクスに向かって呼びかけた。


「フェクス」


 彼の声に応えるように、フェクスのまぶたがゆっくりと開いた。それを見て、アルスカの口からはまっさきに悔いる言葉が出た。

「無茶を……ごめ…ん……」


 アルスカの声は途切れ途切れではあるが、フェクスは言わんとするところを理解した。


 それから数日後、フェクスは起き上がれるほどに回復した。そこに至って、ようやくフェクスはアルスカの言葉に答えた。


「気にしなくていい。俺が守りたかったんだ。悪いか。……好きなんだ、お前のことが」


 アルスカは泣きたくなった。恋や愛を捨ててやって来たこの国で、愛を囁かれるとは思わなかった。


「――気の迷いだな」


 アルスカの言葉に、フェクスは笑った。


「そうだな。14年間会わなくても消えないくらい、強烈な気の迷いだ」


「……」


 フェクスは片眉を跳ね上げて、おどけて見せた。


「ケランと別れたって聞いて、俺は喜んだんだ。最低だろ?」

「……そんなことは……」


「で? どうなんだ? 俺は命を懸けたんだが、お前の気は迷いそうか?」


 アルスカは首を振った。


「そんな言い方は卑怯だ……」


「ああ、俺は卑怯だ。お前が異邦人で、立場が弱いのをいいことに、家に居候させて、あげくに罪悪感で縛ろうとしてる。……嫌ってくれていい。……異邦人に家を貸さないってのは嘘だ。お前は家を借りれるし、なんなら軍の宿舎もある」


 アルスカはこの馬鹿な男を叱った。


「もっとやり方があっただろう。死ぬところだったんだぞ」


「これしか口説き方を知らない。正攻法で口説いて、学生の頃にケラン相手に惨敗した。覚えてるか? 俺、お前に結構言い寄ってたんだぞ?」

 2人は黙った。アルスカの気持ちを整理するには時間がかかる。フェクスもそれを理解している。彼は目を閉じた。――待つのには慣れている。



 フェクスが死にかけてからというもの、アルスカは献身的に彼を支えた。その原動力は罪悪感でもあったし、別の気持ちでもあった。アルスカはその気持ちに気づかないふりをしていた。


 あのあと、その場から逃げ出したケランは見知らぬ街で憲兵に捕縛された。ガラの地では金持ちの彼も、ここではただの異邦人だ。彼はメルカ人を害した罪で厳しい罰を受けることになる。


 獄中から、ケランは何通もの手紙をアルスカに送った。しかし、アルスカはそれらを読まずに捨てた。もう二度と会うことのない人間に心を乱されたくないのだ。それでも、手紙を捨てた屑入れの中から嫌な気配が立ち上ってくる気がして、アルスカを悩ませた。


 しかし、フェクスが立ち上がれるようになり、彼が医者の忠告を無視して歩き回ったことで、アルスカはフェクスを見張るので大忙しになった。そうして、次第に屑入れに投げ捨てた紙切れのことなど、すっかり忘れてしまった。


 さらに、アルスカが仕事に復帰すると、ますますケランのことは過去のものになっていった。




 そうして日常を取り戻していったある日、アルスカが料理をしていたら、後ろからフェクスが抱きついてきた。アルスカが振り向くと、フェクスは舌を出してこう言った。


「お前に任せてたら、いつになるか分からない」


 フェクスはぐっと腰を押し付け、そのそそり立ったものを慰めてくれと言外に求めている。

 アルスカはフェクスの言わんとするところを理解し、同時に驚嘆した。


「……な!」

 フェクスは飄々としている。

「だって、嫌なら、出てくだろ。でも、いてくれる。それが答えだ」


 満足げなフェクスに、アルスカは反論の言葉を持たない。彼は口をぱくぱくと開いたり閉じたりしたあと、耳まで赤くなって、俯いた。

 そしてぽつりと言う。


「……自分でも、どうかしてると思う」


「俺もだ。この国では同性愛者は破門だ」


「……」


 沈黙したアルスカに、フェクスは続ける。


「そうなっても、いいと思ってる」


 そこまで言うと、フェクスはアルスカの顎を掴んで、強引に唇を重ねた。


*****


 情事の熱が引いたあと、アルスカは口を開いた。


「苦労するよ」


 アルスカはこの国で同性の恋人を持つということがどういうことかをよく知っている。同性愛者は教会から破門され、また迫害を受ける。フェクスはこれから、この関係を世間から隠して、さらに異邦人であるアルスカを守らなければならない。東方の難民はいまこの国の治安悪化の直接的な原因である。東方の民であるアルスカへの風当たりは強い。


 アルスカの言葉を十分に理解したうえで、フェクスは言った。


「それを、変えたかったんだ」


「……」


 アルスカは黙った。フェクスの言葉にはかつての青年時代の熱が戻っていた。アルスカが次の言葉を見つけるより前に、フェクスが続けた。


「いや、いまからでも変えればいい。俺、もう一度行政官から始めようと思う」


 アルスカは頷いた。そうなればどんなにいいだろうと思った。アルスカが愛したこの国が、アルスカを受け入れ、愛してくれるなら、それは夢のような話だ。


 2人は見つめ合い、ゆっくりとキスをした。それから、照れたように笑った。青年のように夢物語を語り、愛を囁きあうにはお互いに顔に皺が多くなりすぎた。


 それでも2人は夢想した。この国の未来と、2人の未来に光があることを。


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