前を歩くクライド様にヨルは平然とした態度で答える。
クライド様は無言でヨルに目を向けたあと、そのまま前を向いて歩いて行く。
彼は私がヨルとデートしたことを知らない。
もし、知ってしまうと二人の間で問題が起きるかも…。
黙っておいた方が懸命なのかもしれない。
私はクライド様の横顔をチラッと見る。
彼は私と会って自分の世界が変わったと言っていた。
私はそんな大した人じゃない。
平凡な女で私には何の価値もない。
そんな私を彼が気に掛けて、愛してくれていることが最初は理解出来ずにいた。
だけど一緒に過ごすようになって、彼のことが分かってきた。
彼は本心から私を気に入ってくれていると。
だけどこれ以上彼には近づけない。
近づいてはいけない。
でないと後戻り出来なくなってしまう。
庶民になって自由になるという目標を見失ってしまう。
私の本能がそう告げていた。
****
暫く歩いたあと。
大きく流れる河岸にたどり着いた。
川岸の近くに小舟が二隻程用意をされていた。
「ここからはあの小舟で移動します。二隻しかありませんので二人ずつに別れて乗りましょう」
「そうだな。その方が良いだろう。ではアリスこちらに…」
クライド様は私を小舟にエスコートする。
それを見てセイラムさんは慌ててクライド様を止めた。
「陛下。私が婚約者様とお乗り致しますので、陛下は護衛騎士様と乗って下さい。万が一陛下の御身に危険があってはなりません」
彼女が止めるのは当然のことだ。
国王陛下が万が一自分の領地で命を狙われて怪我でもしたら領主としての責任を問われてしまう。
ならば彼を騎士であるヨルと同行させた方が安全だ。
「心配はいらない。騎士は付けなくとも自分の身は自分で守ることは出来る」
「ですが…」
「セイラムさん。大丈夫ですよ。うちの陛下は騎士団の団長よりも強いので。それに何かあったら俺が責任を取ります。間違ってもあなたにご迷惑はお掛け致しません」
「そこまでおっしゃるのでしたら……」
ヨルの言葉にセイラムさんは渋々と言った様子で納得をした。
「行くぞ。アリス」
「は、はい…!」
私はクライド様と共に一隻の小舟へと向かう。
クライド様は先に小舟に乗り込むとスッと私に手を差し出した。
彼の手を取り、私は小舟へと乗り込む。
船の上で足を着いた瞬間、船がグラついた感覚がしてバランスを崩しそうになった。
とさっ。
クライド様がすぐさま私の身体を受け止め、支えてくれた。
「大丈夫か?」
「ええ。有難うございます」
クライド様と密着してしまい彼のたくましい身体に抱きしめられた私は思わず胸がドキリと高鳴った。
「ここに座ってろ」
「はい」
クライド様は私を椅子に座らせる。
川から見る街の景色は先程歩いた街の景色と変わって見えた。
クライド様は近くにあったオールに手を掛けて漕ぎ始めた。
国王陛下の彼に船を漕がせるなんてことはさせては不敬だと思い、彼に自分が漕ぐと告げようとしたが私は思い直して彼に告げることをやめた。
彼はそんな言葉を望んでないかもしれない。
先程セイラムさんにクライド様は素っ気なく答えていた。
国王陛下に何かあっては自分の責任だと言われてしまい、責任を取らせられてしまう。
周囲にそう言われ続けられていたのかもしれない。
私は彼に今感じた言葉を素直に伝えることにした。
「有難うございます。陛下」
「ああ…」
クライド様は私にふっと笑った。
私もそんな彼に微笑んだ。
「クライド様は船に乗ったことはおありなのですか?」
「視察の時に何度かな。お前は…見た頃初めてのようだな…」
「ええ。船って少し足を着いただけで揺れるものなのですね。ちょっとビックリしました」
「時期に慣れる」
小舟がゆっくりと進む。
穏やかな空気が流れていた。
私はふと後ろを振り返ると後ろからヨルとセイラムさんが乗る小舟が私達を追いかけるように
私達の後を着いて来ていた。
柔らかな風が私の髪を揺らして靡く。
私は手で髪を押さえた。
「風が気持ち良いですね。クライド様?どうかされたのですか?」
無言で景色を見るクライド様を見て私は彼に訊ねる。
(どうしたのかしら?いきなり黙ってしまって……)
「アリス…」
彼は私の顔を静かに見つめた。
彼に見つめられた私は思わず緊張してしまい、身構えてしまう。
「この視察を終えたらお前との婚儀を早めることにした」
「えっ…」
(婚儀をはやめる?それはどういうことなの?私はクライド様との結婚をまだ受け入れていないのに…)
私は国王陛下の婚約者だ。
そのことを私はやむなく承諾した。
あの時の私は自分の他人が決められたことを受け入れるだけしかなかった。
それ以外生きていく術がないと思っていたからだ。
全てを諦めるしかない。
そう思っていた。
今は違う。
私は自分の力で生きていきたいと思っている。
婚約者という立場を捨てて庶民として自由に。
クライド様のことは人として好感を持っている。
最初出会った頃に比べて彼は良い方向に変わって来ている。
彼は不器用な人だから、きっと周囲も彼のことがわかれば理解してくれる。
だけど、結婚と話は別だ。
今の私は近い未来自分が彼の隣にいるとは想像出来ない。
それに婚儀までは少なくとも半年先のはずだ。
どうして急にこんなことに……
「何故、そのように婚儀を早められるのですか?私が聞いた話では半年先だったはずですが……」
私は疑問をクライド様にぶつけた。
クライド様は私の顔を見て告げる。
「クラリスがお前に手出をしない為だ」
「王女様が……」
「私がお前を婚約者に宣言してからお前は襲われた。調べたところによるとクラリスがそれに関わっていた。大方アリスを私の婚約者から引きずり下ろしたかったのかもしれないが、それも失敗に終わった。奴の目的はお前だ」
「……………」
(やっぱり…アンダーローズ侯爵が私を襲ったのはクラリス様だったんだ…)
クライド様の話を聞いて私は納得した。
私が見る限りクラリス様はクライド様に恋慕を抱いているように見えた。
彼女がクライド様に想いを寄せていたのなら婚約者としての私は邪魔な存在だ。
クライド様と彼女は義兄妹。
血は繋がっていない。
この国では義兄妹であれど兄妹と結婚は出来ない。
だけどクラリス様は自分の兄の隣に私がいることを嫌がったのかもしれない。
「奴には釘を刺したが、正直また何か仕掛けて来る可能性がある。そうなる前にお前の地位を確固たるものにしてさえしまえば、いくら私の妹であろうとお前に手出しは出来ないはずだ。その為に婚儀を早める」
「でも、私は……」
「これはもう決めたことだ」
ハッキリと言う彼に私は強く言い放った。
「そんな!勝手すぎます。横暴です。こんなの!クライド様が私のことを心配して下さるのは理解していますが、こんなの嬉しくありません!!」
国王陛下にこのような口を聞くなんて不敬かもしれない。
だけど私の気持ちを無視して勝手に決める彼に対して私は憤りを感じた。
「横暴で結構だ。私は考えを変える気はない。いくらお前が懇願したところで無駄だ。私はお前を護る為ならば手段を選ばん。相手がお前でもだ」
クライド様は冷たい声で私に告げる。
彼は本気なのだと私はすぐに理解した。
今の彼に私がいくら言っても無駄。
私は唇をきゅっと引き結んだ。
私は何も言えず、ただ黙るしかなかった。