美しい薔薇が咲き乱れる庭園の中、流れるように美しい銀髪にサファイヤの瞳。
誰もが見惚れてしまう程の美しい美貌の持ち主である私の旦那様は私に告げた。
「私はお前を手放すつもりはない。一生私の妻でいてもらう」
「ですが…私たちは……」
彼は私の顎を指で軽く持ち上げる。
彼の顔が私に近づき、思わずドキリとしてしまう。
「異論は認めない。私はお前と離婚するつもりはない」
旦那様…この国のパシヴァール国王、クライド・パシヴァール様は私にそう言った。
でも私は彼と離婚しなければならない。
セシル様を本気で愛してしまう前に…───。
****
遡ること数ヶ月前。
「きゃっ…!」
屋敷の庭園の掃き掃除をしていた私は急に誰かに足を引っ掛けられて地面に転んでしまった。
服がドロドロに汚れてしまい、足には擦り傷がある。
「地面に這いつくばって何を遊んでいらっしゃるの?お姉様」
「ミカ……」
私の前に立つミカは泥まみれで地面に座り込む私を見てクスクスと笑った。
彼女の後ろにはミカ専属の侍女が控えていた。
おそらく私を転ばせたのはミカだろう。
私アリス·フィールドはこの屋敷の公爵令嬢だった。
両親は私が幼い頃から美しく、愛らしいミカと私を常に比べ続けた。
妹のミカは愛嬌があり、甘え上手だった。
それに対して私は地味で容量が良くない。
両親の関心と愛情は自然とミカへと注がれていき、私はいつも屋敷で一人。
次第に両親は私を食卓の席に呼ばなくなり、侍女も付けずにさらに私の存在自体が煩わしく思い、使用人として扱い始めた。
母親は不満や苛立つことがあれば鞭で私の身体を叩き、妹は常に私を蔑み、怒鳴る。
父はいつも見て見ぬふり。
ここには私の居場所なんてない。
これが私の日常だった。
だけど、そんなわたしにも唯一の希望があった。
それは…────。
「ねぇ、はやく洗わないとシミになるんじゃないのかしら?それ」
ミカが指さしたのは地面に転がっていたシーツ。
籠に入れていたはずの洗いたてのシーツが先程私が転んでしまったせいで泥まみれになって汚れてしまった。
私は慌ててシーツを籠の中に入れて、その場から去ろうとした。
この場にいてもどうせミカに嫌味を言われるだけ。
「ねぇ、お姉様。今度私王宮のパーティーに参加する予定なんです」
「ミカは綺麗だから大勢の殿方からダンスを求められるかもしれないわね」
私はミカの機嫌を損ねない言葉を選ぶ。
でないと彼女から罵声、暴力を振るわれるからだ。
「そうなんです。だから着ていくドレスも慎重に選ばないといけなくって。まだ決めきれてないんですよ。あっ、そうだお姉様も一緒にパーティーに行きませんか?」
「えっ…私は……」
戸惑う私を見てミカはクスッと意地の悪い笑みを浮かべた。
「ああ。ごめんなさい。お姉様はドレスなんかより、今のお姿の方が良くお似合いでしたね。さっきの言葉は忘れてください」
ミカは結局私と自分の差を比べて私を陥れようとするのだ。
こんなふうに。
私はこの家には期待しない。
だからいつも嘘の言葉と笑顔をつくる。
「ミカは優しいのね。私なんかを気遣ってくれてありがとう。仕事が残っているからこれで失礼するわね」
私はミカにそう告げてその場を後にする。
きっと今頃彼女は勝ち誇った顔を浮かべているか、侍女と二人で私のことを悪く言っているはず。
絶対に泣くもんか。
私は汚れたシーツを洗いに井戸に向かって行った。
ひと通り仕事を終えた私は休憩に屋敷の近くにある小さな湖があった。
湖の周りには花が咲き誇り花の香りが鼻腔をくすぐる。
お母様やミカ達は新しいもの好きで、こうした昔からある美しい場所には興味が無く、誰もこの場所を知らない。
私の秘密の場所。
湖傍に行き、芝生の上に腰を下ろす。
私はスカートのポケットから古びた硝子細工で作られたブレスレットを取り出した。
私は目を細めて懐かしむように大切なブレスレットを見る。
この御守りみたいなブレスレットをくれたのは一人の少年だった。
10歳の頃から私は侍女として働かされて買い物帰りに人攫いに攫われかけた。
その時に私を救ってくれたのがスラム街に住む私と同じ年頃の少年ヨルだった。
そのことが切っ掛けで私は仕事の買い物途中にヨルに会いに行って話をしたり、夜に屋敷から抜け出して二人で星見に行った。
友達と呼べる存在がいなかった私には彼と過ごす時間が幸せだった。
理由は分からないがある日彼はこの街を去ることになり、その時にヨルは硝子のブレスレットを私に差し出した。
「お前にやる」
ヨルと別れるのが辛く、言葉にならないくらいボロボロと泣く私にヨルは自分の袖口で私の涙を拭う。
「汚ねーな。泣くなよ。一生会えないわけでもねーしさ」
「でも……」
ヨルは私の顔を覗き込んで意地の悪い顔で優しく私に告げた。
「かならずお前を迎えに来る。このブレスレットを目印にして」
その時の私はただ頷くことしか出来なかった。
それからこのブレスレットは私の大切で大事なものと変わった。
このブレスレットがある限り、彼との約束がある限り私は頑張れる。
きっと彼とまた会える。
切なさを抱えたまま私はブレスレットの硝子を優しく撫でた。
****
翌日。
父が私に告げた言葉は私を絶望に落とすものだった…────。
「お前にはパシヴァール王国の国王。クライド·パシヴァール様に嫁いでもらう」
「えっ…」
突然、父から広間に呼びつけられた私は驚きの声を漏らした。
この国の国王クライド·パシヴァール様は冷酷で残忍。
目的の為ならば容赦なく人の命を奪い尽くす『氷結の王』だと人々から恐れられていた。
「お父様。私は貴族としての受けるべき教養をうけておりません。そのような私に王妃なんて務まりません。もう一度考え直して下さい」
王妃になんてなりたくない。
それに私には……。
「馬鹿なことを。良いか。これは王命だ。逆らうことは決して許されない」
「お父様。パシヴァール王宮は花が咲き誇り美しいな場所だと言い出すし、クライド王も素敵な方だと聞き及んでいます。きっとお姉様を大切にして下さいます」
ミカは私を抱きしめた。
そして彼女は私に悪魔のように優しく囁く。
「良かったですね。お義姉様…」
ミカの言葉に全身がゾクッと身震いをしてしまう。
全て私はこの人達の言いなりになって来た。
期待を持たず。
希望を抱かず。
人形のように感情を出さずに。
だけど、この想いだけは……。
彼との約束だけは捨てることなんて出来ない。
私は父の身体に縋り付くように懇願した。
「お父様!私は……」
「くどい!」
バシッ!
「きゃっ…!」
父は私の頬を乱暴に殴り、私は床に倒れてしまった。
赤くなった頬がじんと痛み出す。
「お前は言われた通りにしていればそれで良いんだ。私に逆らうな!」
父は私を冷たい目で見下ろし、静かに告げる。
「最後くらい役に立って見せろ」
父は私のことを娘とは思っていない。
隣に立つ母も言葉を発することはなく私を虫を見るような目で蔑み、ミカはクスクスと愉しそうに笑っている。
この人達に何を言っても無駄だ……。
もう彼に会えない…───。
私は俯き、全てを諦めた顔をして声を絞り出した。
「……わかりました」
数日後。
私は純白のドレスに身を包み、一人馬車に乗って王宮に向かっていた。
王宮に輿入れをするならば侍女の一人を連れて行くのだが私には専属の侍女はいない。
窓にそっと手を触れて外から流れていく景色を眺めながら私は後悔を抱きながらポツリと呟いた。
「こんなことになるのだったら、はやく家を出るべきだった。私って本当にダメね…」
私は期待していないと思いながらも、本当は心奥底で期待していた。
ヨルが迎えに来てくれることを。