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36.ウンコに支配されている?

入院して三十九日、ついに…ここから退院する日がやって来た。


最後の朝の検温・食事・ウンコの回数の報告し終えると、担当の看護師さんが「今日から家で好きなの食べれるよ、良かったねぇ」と声を掛けてくれる。

実は数日前に、バナナをベットの上でコソコソ食べている所を彼女にバッチリ見られてしまっていたのだが…咎められる事なく「いいのいいの、食事制限なんてないんだから」と見逃してくれたのだった。


ここ、閉鎖病棟の事を牢獄などとけなしていたはけれど、ひどい思い出ばかりではなかった。

気の合わない看護師や先生、人に怒鳴る患者さん、マズイご飯、調味料たかりバ…婆さん、作業療法の時にペラペラペラペラとマジンガンのごとく話しかけて来る人、色んな事があったけれど…それだけではない。

優しい看護師さんや普通の看護師さん、気を使って優しく声を掛けてくれる患者さん、いつも笑顔で挨拶してくれる同室の人、美味しいポテチ、などの良い思い出も本当はあったのだ。

だけど悲しい事に、退院して十年以上経って強く印象に残っているのは辛くて悲しくて苦しい嫌な思い出ばかりで、その時経験した映像、音、顔、声もはっきり輪郭を持って思い出せるのに対し、あの優しい看護師さんの顔も声もうる覚えでぼやけてしまっている。他の思い出もそう、良い思い出は薄れて悪い思い出は強く頭に残りこびりつく。

そんな思い出に私の頭は占領されているのだ……。



午前の作業療法が終わり、昼食を前に私は退院する事になっていた。

もうとっくに数日前からフライングで荷物はまとめてあるので、私はその荷物を両手に抱えて自室のベットに座り、両親の迎えを飼い主を待つ犬のように今か今かと待っていた所、看護師さんが大きな白い紙袋と膨らんだビニール袋を持ってやって来た。

「これ、川村さんが今まで作った作品ね」

紙袋の中には、私が午後の作業療法の時間に作って描いた数々の作品が入っていた。デイルームに放って置い…飾ってあった貼り絵、塗り絵、ビーズ細工、折り紙、そして…あの「退院したい」と書いた短冊もちゃっかり仲間に入っている。

はっきり言って何の思入れもないし、このままここに置いて捨てて行きたいのだが、そんな薄情な事を笑顔の看護師さんに言えるわけがなく、こちらも笑顔で応対しそのガラクタ達を受け取ったのであった。

続けて看護師さんは「もうこれも必要ないから取らないとね」と、私の左手首に付けっぱなしだった名前付きのリストバンドをパチン、とハサミでちょん切ったその瞬間、「今日、退院できるんだ」と言う実感が私に湧いた。

それまでは頭では理解していたものの、まだ夢か妄想かとどこかぼんやり思っていた……けれど、自由になった手首を見てこれは現実だとやっと実感し、それを確かめるように何度も私はまるでハエのように左手首をさするのだった。


そして三十分くらい経っただろうか、迎えに来た両親と面会室で合流し、着替えの荷物とビニール袋と軽いはずなのに重く感じる紙袋ガラクタを持って出口へ向かう。二重のドアロックを前に、ある意味裸の付き合いをした担当の看護師さんへ家族三人深々とお礼を言って、解放されたドアから私は出て行った。

こうして“閉鎖病棟脱出計画”は完遂された…………のだが、やはりたった二日前に外出したばっかりなので外を味わう快感はすっかり薄れてしまっている。私は不感症のままトランクに荷物と後部座席に自分自身を乗せて、あの廃れた団地の実家へと車を走らせた。


「終わった………」


そう呟いて、座席で腑抜ふぬけていたかったが…まだ終わっていない、と言うより終わらない。

このビニール袋にパンパンに入った、二週間分の処方された薬がそれを物語っている。睡眠薬、抗不安・抗うつ剤、軟便剤、整腸剤……実家に戻ったら、書いてもらった紹介状(患者の症状・治療状況みたいなものが書いてあるらしい)を近くの心療内科の先生に見せて、今度からはそこに定期的に通い続け薬を処方してもらわないといけないのだ。

あくまで病気が治るまでだが、私は死ぬまで通う事になるのを覚悟していた。でもそれは絶望して悲観的になっているからではなくて、受け入れて死ぬまで付き合う気持ちになっているからである。

がしかし、こんな事を口にしてしまえば母に全否定でそもそもあんたは病気じゃない!とまたまたトチ狂った事を言いそうなので、これは心に秘めておいた。


…しばらくして、窓に見知った景色が映って車は団地の駐車場に止まった。実家は最上階の五階、無論エレベーターなどなし。家族で荷物を手分けして持ち階段を上がるものの私はちゃっかり軽い荷物を持って行ったので平然としていたが、父は重い荷物をはあはあと、普段と違い饒舌じょうぜつになりながら運んでくれていた。

見慣れた玄関のドアを開くと、相変わらずの狭い部屋が広がる。しかし一人暮らしは先に経験済みであるけれど、今日から生まれて初めての一人部屋となったので多少のテンションは上がりながら、早速自分の部屋へと突入して行く。

かつて姉が使っていた机やタンスなどの家具はそのまま、そこに私の布団が敷いてあるだけの、こざっぱりとした部屋…なのだが、隅にまとめて積んである引っ越しの荷物のダンボールがその雰囲気を汚している。

それを解消するにはまず荷物を解かなければ…、少しずつ中身を出して部屋を整理していると、置かれている本棚に目が付いた。本来姉の本棚ではあるが、昔読んでいた私の漫画や小説も巻数バラバラに置かれている。自分の部屋がなかったため共有していたのだが…、順々と棚を見て行くと一番左下の奥に私の小中高全ての卒業アルバムが段重ねになっていた。

私は咄嗟とっさにアルバムを手にして開いて見る。すると、クソ憎たらしいクソどもいじめっ子らは笑顔ではっちゃけてるのに対し、私はどのアルバムでも冴えないうつろな顔か従媚笑適の引きつった笑顔をしていて…、そして最後の寄せ書きページは芸能人の歯のようにキレイに真っ白だった。


……そんな素敵な卒業アルバム達を重ねて紐でくくり、資源ゴミとして出す事にした。

本当はビリビリに破いて燃やしてやりたかったけど思ったよりアルバムの外装が硬いのと、火を使うと今度は放火犯として刑務所に入所しそうな気がしたので残念ながらやめておいた。

全てのアルバムをキツく解けないように縛りあげ、次の資源回収日までしまっておこうとベランダに思いっきり放り投げる。すると、ドサッと小気味良い音で地面にゴミが落ちて、何だか背中を押されたような気がしながら部屋のスッキリ空いた本棚を見ると、自分の心もスッキリ軽くなっている手応えを感じた。


私は思った。


これを私はやりたかった……、やらないといけなかったんだ。


私は学生時代の写真が入っているアルバムを家の棚中から探し出し、見つけ次第即ビリビリに破いて行った。写真は卒アルと違って簡単に破りやすく、私はリズム良く爽快に次々と思い出を手に掛けた…暗い顔の集合写真、項垂れた顔の遠足、不安そうな入学式、ゾンビのように生気のない運動会、全てこの世から消して行く。

それを見た母は「大切な思い出に何でそんな事するのっ」と、私に愚問ぐもんを投げかけた。


いや、大切じゃないから捨ててんだろがい。


母の制止を無視し調子良くノリノリで手を動かし続ける。もう私を止めるものは地震雷火事などの天災しかない…、母はそんな私の様子に呆れて何も言わなくなり、無理やり数枚の写真を私からぶん取って救出し去って行った。

ほんとはそんな写真は一枚も残さず根絶ねだやしにしてやりたい所だが、口に出すとややこしくなると未来予知が出来たので、不本意だがここは見逃して命を見逃してやる事にする。

こうして重荷となっていた心霊写真よりも恐ろしい写真達は、ただの細切れの紙クズとなりゴミ袋へと召されて行った。しかしまだまだ私は止まらない、続けて大きな白い紙袋に手を掛ける。

そう、私が作業療法で作った作品ガラクタが沢山入っているあの袋に私は無造作に手を突っ込んで、最初に目についたのを適当に取り出した。手に取ったのは青いの鶴の折り紙、これは初めての作業療法で作った作品だ。

便秘によるお腹の痛みと緊張と不安と「何で私がこんな物を…」「刑務作業かよ」と言った毒を抱えながら折っていた。そんな素敵な思い出が詰まっている折り紙を私は手の平に乗せて………、


思いっきり握り潰した。


鶴から紙クズへと変化した物体に続き、他の作品ガラクタも同じようにちゃんと壊してからゴミ袋へ放り込んだ。これは薬の影響で頭がフラフラしながら、あれはイライラしながら、それは泣きそうになるのを我慢しながら、「退院したい」と書いた短冊…、短冊以外はろくでもない思い出ばかりの作品ガラクタを次々とリズム良く処理する。

せっかく調子が出てきてコンボが決まりそうなっていたのに、またも母が邪魔に入ってごちゃごちゃ何か言いながら何個かガラクタをかっさらって行った。

そんな物を取っておいて、一体何になるのだろうか?母が私の事を理解しないように、私も母の事を理解できなかった。

…でも、それもしょうがない、血は繋がっていても違う人間の個体なのだから。たまに殺したくなるほど腹は立つが、そこはどうせ先立つのは向こうの方だと思って耐えるしかない。

写真がほとんど剥がされたアルバムは白くなり、紙袋の中は空っぽに軽くなったのを見て、私の心も再びスッキリ軽くなるのを感じ、まとめたゴミ袋をベランダへとまたも放り投げた。

ポサッと、いまいち締まりのない音がしたが、もうそんな事はどうでも良くなっていた。私はやりたいからやっている、どうこう言われようが悪かろうが関係ない…大事なのは自分の気持ちだ。


…そしてまだ最後に、その一番やらなければいけない事が残っていた。

私は部屋の布団の横に置いてあった三十九日ぶりの携帯を手に取って電源を入れると、数少ない連絡先のアドレスを消して行く。小中高、友達はいなかったので連絡先はない…はずが、高校の時に一時的にグループに入れてくれたあの、奇怪な女子グループの連絡先が未練がましく残っていた。

私が死んだとしても連絡は来る事はないのに、もしかしたら…いつか連絡が来るかもしれないと変な期待を微かにしていた。


これは私が普通にしがみついている証、象徴だった。


そんな連絡先達を私は順に消去して行く。…しかし一番最後に残った連絡先は消す前に、片をつけなければいけなかった。


唯一の友達である、彼女と。


専門学校をサボり引きこもっていた時に来たメールを、私は再確認した。

「おーい、具合は大丈夫か〜(・Д・)ノ」「マジで生きてる?連絡取れなくて先生も心配してるよ」

私の人生で最初で最後の友達から来たメールを、私は自分を傷つけウンコざまぁの妄想をする事に夢中になり…返信せずにガン無視してしまっていたのだった。しかも、何回か電話もしたようで着信履歴も残っている。

罪悪感で強く心が痛む、目を逸らしてしまいたくなるけど…分かっている、これからはちゃんと向き合わなければならない。だけどもビビりで小心者の私は口頭は怖いと、電話ではなくメールでこれまでのことを彼女友達に伝える事にした。

精神を病んで学校へ行かれなくなりずっと病院の入院していた事、学校を辞めてこれからは実家で自宅療養する事、大まかな事情を説明して、


「今まで連絡しなくて心配掛けて、本当にごめんなさい」


と、やっと言いたかった事を彼女に書けたのだった。

そして続けて、人と関わるのが怖くなったのでもう連絡は取れないと付け足す。彼女は良い人だ、私はそんな彼女に色んな話をして面白い事を言ったりふざけたりして笑わせたりしていた。

でもそれは本当の私ではない、必死で話題を合わせるためにテレビや携帯で流行を調べて無理して普通を演じていた私と友達になっただけで、「ウンコマン」の私と友達になった訳ではないのだ。

メールの文面の最後に「たった数ヶ月だったけど友達になってくれてありがとう」と締めくくり、独りよがりのメールを彼女に送信して連絡先を消去した。

心苦しかったが、喉の奥に刺さった小骨がやっと取れたかのように楽になったのも事実である。複雑ではあったけど、これでやっと…………やりたかった全ての事を、私はやり終えた。


気が抜けた私は布団の上でだらしなく大の字となる。まだ解いていないダンボールが何個か残っているが…それは明日にして少し休憩しないと、そう思いそのまま私は目をつぶりながら自分のお腹を自然と撫でていた。


これからはウンコに支配されるのではなく、病める時も、健やかなる時も、富める時も、貧しき時も、…愛する事は出来ないが、敬い、慈しむ事を誓いながら眠りについた。



だってウンコは死ぬまで共にする相棒なのだから。



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