鏡に映る自分を見つめて、しばらく時が経った。
こんなに長く自分自身を見つめる事など、いつ以来か。専門学校へ行くと決まった時は何時間も鏡の前で化粧の練習していたけれど、顔のパーツの部分部分をアップに見てやっていたので全体の自分の顔などちゃんと見ていなかった。
だから化粧も下手くそで太眉になってしまったのだろう……。
私は鏡を見るのが苦手だ……だって、自分の醜い顔が嫌いだから。
自分の顔面偏差値が明確に分かったのは小学校に進学してからで、クラスメイトもとい…いじめっ子達の発言で私は普通と大きくかけ離れた顔の持ち主だと判明したのだった。
「ブス」「気持ち悪い、笑うと特に」「こっち見んな」「クラスの女子ランキング最下位」
赤ちゃん・幼児の頃はどんなに不細工でも体は小さいしみんな可愛く見えるが、大きくなるにつれて醜さと言うのは頭角を現し、周りの大人の反応も変わってくる。
先生も、家族である姉兄も、親戚の叔父叔母も、父方の祖父も、どっかの知らねえ大人も、私の顔に対し「残念」「これで大人になったらどうなるか…」「整形できるよ」「これからだから」「………ハハ、(愛想笑いで誤魔化す)」と言った反応を示し、私は自分がいわゆる
ある意味、勘違いブスと言うものにならなくて済んだ訳なのだが……
だって、自分の顔を見ないように生活するのは結構大変なのだ。
歯磨きする時は洗面台の鏡から目を逸らすかそっぽ向いてすれば良いだけなのだが、口の中を見ながらしたい時は空いている手で鏡に映った顔をいちいち隠して見なければならなかったり、目の中に入ったゴミを取りたい時は鏡にドアップで目だけを見るようにしたりと色々あるが、特に気をつけないといけないのは不意に映る、反射である。
浴槽の湯船に浸かっていて張っているお湯を見てしまうと、テレビを見ていて不意に電源を消すと、反射した自分の顔とご対面となってしまうので、油断できないのだった。
もちろん写真なんて物はもってのほかだが……学校には写真撮影がつきもので、私はマジの本気で苦痛であった。
入学式、卒業式式、文化祭、合唱などの発表会、運動会や遠足、などの一連の行事のたびにいちいち撮られる度に、プライバシーの侵害だ!モザイクをかけてくれ!と叫びたい衝動に駆られていた。
楽しい良い思い出ならまだしも、ただの苦行に耐えた自分のブス顔写真をどうして金を払ってまで学校から買わなくてはいけないのか…。
卒業アルバムもただの重しでありクソの遺産でしかない。私を殺そうとした奴らの顔が載っている本など、すぐに焼け捨てたかったが母に止められ、家に小中高のアルバムはしっかりと何冊も残ってしまっている。
家族との写真撮影もそうだった。
叔父や父にカメラを向けられるのが嫌で、顔を逸らしたり手や髪で隠したりしていたのだが叔父には「また発作か?」と揶揄されたり、携帯という文明を手にした父は覚えたての猿のようにカシャカシャ家族に写真を隠し撮りをし、ある日その写真に写る私の顔を見た姉は、あまりのブスさ加減に大爆笑していた。
…いつしか日が経つにつれて、私は自分の顔が死ぬほど嫌いなっていた。
しかし高校卒業をしてなんとか普通になろうと、鏡に向き合って手入れをし化粧をし努力をしてみるも、それはただの付け焼き刃。ブスは何をしても、せいぜいマシなブスになるだけでブスと言う
…………そう、自分をいくら変えようとしても生まれ持ったものは変えられない。だからと言って、自分を責めても、ウンコのせいにしても、妄想しても、自分自身からは逃げられないのである。
じゃあさっさと死ねばいいんじゃね?と思うのだが、ここまで読んだ人ならお分かりの通り…、私は小心者の根っからの負け犬。小中高に何回か団地から飛び降りようとしたり電車に飛び込もうとしたり首を吊ろうと試みたが、いずれも失敗に終わり今の所死ぬ事も出来やしないのだ……。
……………もう、選択肢は限られている。
惨めで情けないブスの「ウンコマン」の自分を受け入れて、死にたいと思いながら生きて行くしかない。そりゃあこんな自分は嫌だしムカつくし死にたいしクソだけどしょうがない、…これが自分自身の体で、本当の私なのだから。
次の日の診察時に、私はこの事を先生に正直に話した。
「ウンコを投げつける妄想をしていたら現実と曖昧になってしまいました」なんて言えば、入院が長引いてしまいそうで流石に言わなかったが「こんな
すると先生は「自分を
が、……心の奥底の私は根を持って恨み言を吐く。
「いや、絆されんな。あの
…これからは私は少しでも気に入らなくムカつく事があれば、今度からは容赦なく心に中でクソ恨み言を言い放つ事にした。もう、自分の性格はひん曲がって元に戻らないのはよく分かった……だから、心の中では悪態を吐いて正直に生きてやる。
そして、両親との面会時にも私は正直に伝えた。
まず最初に、この間の意味不明なウンコ事件話の事は謝って、「こんな
母は「和香子は、そんなんじゃない」と、やはり否定して来るが私は無視して、改めて本題の学校を辞める事を宣言し直した。
「入学金払ってもらっといて申し訳ないけど行く気力も体力もない…それに学校が嫌になった、もう通いたくない」
「何で?あんなに苦労したのに…「また我慢して無理して行ったら…私、また繰り返すよっ」
私は母の言葉を遮って、自分の左袖を捲って傷だらけの腕を見せつける。もうこうやって直接はっきりと見せないと、固い頭には通じないのだ。
「それでまたここに入院なるかもね。………それか、死ぬかも知れない」
半分脅すつもりで私は強く言った。実際両親は、過去に私が何回か死のうとした事は全く知らない。言っても理解なくうるさいだけだと容易に想像できてしまうので、相談なんて出来るはずもなく黙っていた。
でも…、今こうして少しでも死を匂わせないと永遠に
「もういいだろう」
珍しく父が発言し、驚いた母と私は黙って次の言葉を待った。
「学校は辞める、それでいい」
そう言って、父はまた黙りこくる。母はまだ言いたりなさそうだったが、父の圧に押され何も言わなくなった。
…父のおかげで助かったが、これを優しさと勘違いしてはいけない。父はただ単に、うるさいのが嫌いなだけ。
私が小さい頃、父がテレビを見ている横でわいわい家族で話しているとよくうるさいと怒られた。またある時は、母が父に学校の行事や保険やお金やらの、大切な話をしている時も父は聞き流し最終的には、あーうるさいめんどくさいとなるお決まりの流れがあった。
それに強く抗議すると、今度は手につかないほど怒り出すので母もそうなったら父にはもう、何も言えないのだ。
…あまり良くない理由ではあるが、なんとか学校は辞める事が決まり、部屋の引き払いも実家に戻って療養する事も許された。
後は私がここから退院するだけだ。
「すみません…」
面会が終わって部屋に戻る前に、私は看護師さんにあるお願いをした。二つ返事で了承され看護師さんが持って来てくれたのは、「美味しい物が食べたい」と書いたヘッタクソな字の短冊だった。
私はその紙切れを自室のベットの机の上に置き、消しゴムで
「退院したい」
これが私の本当の願い事だ。
相変わらずのヘッタクソな字だったのにどうしてだろう…。作業療法の度に飾られてるのを見かけても、今度は胸糞悪い気分にはならなかった。