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32.入院編・鏡に映る

入院してから二十五日が過ぎ、そろそろ大台の一ヶ月に突入しようとしていた。


その頃になれば致し方がないが、新しいルームメイトが二人も入って来て、実質二人部屋だったのが本来の四人部屋へと姿を取り戻していたのだった。

新しいルームメイトは、一人は普段は小さな声で物静かだけど時折何かに反応して大きな金切り声を上げる刺激的な人で、二人目はニコニコして穏やかだけど夜中のイビキが半端なく爆音な人だ。と言っても、私には最強アイテム耳栓と睡眠薬があったので人見知りから来る緊張を除けば、二人部屋だった時とさほど変わらず。

しかし、しかしだ…問題なのは、私の起こす騒音である。


私の騒音、それは…………、オナラだ。


多分、私の腹は普通の人と比べるとオナラ・ガスが出やすい体質なのだと思う。事実一人暮らししていた時は誰にも何にも気にしなくていいと、ところ構わず栓を緩めて屁をかましていたので私の生活は心霊現象ではない屁のラップ音に埋め尽くされていたくらいであった。

それは今も同じで、屁意へい(オナラがしたいと催す事)は相変わらず大量に発生するも、ここは病院であり気軽にオナラを出してはいけない環境であるのだが…二人部屋だった時は申し訳ないが、相手がいない時を狙って屁を放出させていた。

ところが四人となれば部屋には必ず誰かいて、屁を出す隙が全く見当たらない。我慢は出来るがオナラが逆流して例の腹の音がなってしまうし、腹に溜まると痛くなる。

それを恐れてトイレに行って処理もしていたが、屁意を感じるたびにトイレへと何回も行かなくてはいけなく、しかも、もしオナラの爆音をかました時にタイミングよく人とかち合わせてしまえば…お終いだ。

あの中学受験の時の悪夢がまた、蘇ってしまう……。

私は八方塞がりになっていた。


そんな私に最高のアイデアが閃いたのは、午後の作業療法中の事である。

ちょうど八月七日に差し掛かると言う事で、その日は内容はいつもと違い七夕の飾り付けをみんなで作る作業だった。私の住む地域では何故か七月七日ではなく八月七日が七夕であると広まっていた、理由は分からん。

定番の紙の輪っかが繋がった輪飾り・星飾り・紙の花飾りを作ったり、折り鶴を折ったり、スイカや織姫彦星を描いたり…ハサミは使わない様に全ての用紙は用意周到に全て事前に切られていて、患者はそれを折ったり貼ったりするだけの簡単な作業だ。

飾り付けの最後に、短冊に願い事を書く時間があった。赤い短冊を前にして、私が思った願いはただ一つだけ。


ここから早く脱出、退院したい。


この気持ちは入院当初から変わっていないが、人の目もあって堂々と書く気にはなれず…当たり障りのない「美味しい物が食べたい」と短冊に願うまでもない、しょーもない事を書いてしまい………。

そして出来た飾りと短冊達はしばらくの間、デイルームの壁に飾られたのだが、壁に並んでいる短冊の中で一番ヘッタクソな字の自分の願い事を作業療法の時間が来るたびに見なければいけないと言う、辱めを受けるのであった。


で、肝心のアイデアが閃いたのは、その飾り付けの中に用意されていた風船を相変わらずの下手くそ具合に膨らませていた時だった。

空気を入れているうち、何人かは失敗してオナラのような音をだして風船を飛ばしてしまっていた。(もちろん私もその中に入っている)。上手く膨らませる事が出来ずに何回も繰り返していると、風船の空気の入れ口が伸び切って空気が抜けても音が出る事なく、スーッと空気が抜けて行ったのを見て、私は頭の電球がパッとついたかの様に、あるアイデアがパッと頭の思い浮かんだのだ。

出入り口が狭く閉まっているから、音が鳴る。……つまり、肛門をおっぴろげればオナラもならない………?

思いついたら早速やってみるしかない。昼食後の夕方、一番オナラが出やすい時間帯を狙い自室のベットカーテンを引き、横になって相手の出方を伺い息を潜める。


「………………ぐるるぅ」奴が唸った。


よし来たっ!、とすぐさま私はベットの上で大開脚をし、匂いを撒き散らさぬ様にケツの上に布団を被せた。足の開脚角度は推定百二十度以上、それに深呼吸もしリラックスしたおかげで肛門括約筋はゆるゆるだっ…イケるっ!イケるぞ!!私は意気込んで待ち構える。

腹に潜んでいるガス軍隊がボコボコと進軍し、開いた門の前にまでやって来て………、


スーーーーーーーーーーーーッ………………、と軍隊ガスは足音を立てずに静かに去って行った。


何とも間抜けな格好だけど肛門おっ広すかしっぺ作戦が上手く行き、私は感無量の思いで胸がいっぱいになる。が、反対に腹はガスが出たおかげでスッキリしていた。

屁音を出したくない人はぜひ、この方法を試して見て欲しい。片足を上げるだけでも良いし、服の上からで良いので臀部を手で広げて見ても効果があるのでやってみよう!(※個人の感想です。効果には個人差があります)。


…と、まあ快適とは行かないものの抗いながら入院生活を過ごしていたのだが、肝心の精神状態の方は脱出計画に暗雲が漂い土日の出来事も引きずっているせいで、どんよりと心は沈んでいた。


そんな私を変える出来事が起こる。それはいつもの診察の時間に、ついに先生があの・・言葉を発したからであった。

「そろそろ退院を視野に入れてみようか」


「退院」


「たいいん」


先生の言葉が拘束が解かれた時と同じ様に、こだまとなって頭に響き渡るが、………おかしい。退院を告げられたら、てっきりまたも心の中で歓喜の雄叫びをあげてサンバを踊って舞い上がるのかと思いきや、意外にも気持ちは昂らず、スーンと落ち着いたまま「そうですか」返事をしていた。

「もし、不安なら外出や外泊したりして、外に出る練習してからでもいいけど…」

一旦、外へ出る喜びを味合わせてから、またこの閉鎖病棟牢獄に戻されるなんて…新たな拷問か?

「それは…大丈夫、だと思います…」

歯切れの悪い台詞を言ったせいか、先生はそんな私の顔をまじまじと見て、言い放った。


「でも、川村さん全然嬉しくなさそうだよ。本当に大丈夫?」


そう言われて、あっと気づいた時には手遅れだった。

従媚笑適従順・媚びる・笑顔・適度がすっかり頭から抜け落ちていて、慌てて嬉しい笑みを作ろうとするも……何故か、出来ない。

笑顔になる事を脳が体が拒否し、表情筋がセメントみたいに固まって動かなかった。

せっかくこれまで一致団結して、フリをして来たのに今になってお前ら裏切るのかっ!と、自分の体に突っ込んでいたが………………、本当は分かっていた。


退院するのが不安で、その言葉を聞いても全く嬉しくなかった事を。

…少し前からの診察で、ここを退院してからどうするかの話を何回かしていて、私は学校を辞めて一人暮らしのアパートも引き払い実家の団地へ戻ったら、近くのメンタルクリニックに通院しながら、しばらくは自宅療養するからつもりだと宣言していた。

学校には未練も後悔もなく、むしろ嫌になっていたくらいなので辞める事にはノリノリである。と言う事ならば、金も勿体ないので学校の近くに住む必要もないし、退去も万事OK。もう姉兄達はとっくに独り立ちしているので実家に空いてる部屋もあり、それにバスでメンタルクリニックに通えるのはかなりの利点である。何も不安になる事はない…、そう思えるが一つ、大きな拭えない不安があった。

親が、母が、学校を辞める事を許してくれるか、だ。またあの高校地獄の時の様に、辞めるのは良くない、履歴に傷がつくなどほざかれて、死にかけのゾンビの様に通う気力・体力はもう、今の私には微塵みじんもクソほど残っていない。

もしまた、そうなったら今度こそ携帯に残っている遺書が役立つ自信があるほどに。

それが退院できる喜びよりも優っていて…私は、親に向き合って伝えるのが恐ろしく、怖くなっていたのだった。

現実の、本当の私を見ようともしない、母と………。(一応、父も)。


退院の時期は親とも相談する事となり、次回の診察まで保留となった。その日の午後、ちょうど親が面会に来る予定になっていたので良いタイミングであった、いや、悪かったのかも知れない。

最初に面会した時の様に、私は心臓を元気良く弾ませ手汗をじっとりかいた手で面会室のドアノブを掴み、乗り込んだ。


まず最初に、空っぽになったツナ缶と果物の抜け殻が入ったなった荷物を渡してお礼を言うと、母は鼻高々に「美味しかったでしょ〜」と上機嫌になる。

…この調子ならイケるだろうか。私は恐る恐る、退院後の動向について口に出すと、話を一通り聞いた母の反応は私の予想した通りであった。

「せっかく入ったのに……、辞めていいの?」

父の方は腕を組み、何もない空間を見つめてボーッと黙っていた。こちらも私の予想通りである。

「だってあんな事して…、通えるわけないし」


「………ねぇ、和香子」


母が声のトーンを落とし真剣な顔でじっと私の顔を見つめて来るので、私は思わずたじろぎ何だか落ち着かなくなって、せっかく良くなり始めた指の皮を剥いてしまったり腕を無意識に掻いてしまっていた。

「ずっと気になってたんだけど…何かあったんだよね?話せるなら、話して欲しいんだけど…」

その言葉に強い違和感を感じる。学校から親に連絡があったはずだし何より慰謝料の請求まで来た言っていたはずだ、知らな事なんてある訳ないのだが…仕方がない。

私は渋る口を無理やり動かして、声を奥から絞り出した。

「何って……知ってるんじゃ、ないの?私が、学校で……暴れて、大騒ぎになったの」

「えぇっ、何言ってるの!?そんな事あんたがする訳ないでしょ!」

母は困惑のあまりに思わず笑ってしまっている様だった。そんな母に私も笑いはしないが、ただ困惑する。

「が、学校から連絡来たんじゃないの?それに、慰謝料だって…」

「慰謝料って…本当に、私は知らないよ?学校からだって無断欠席が続いて本人と連絡が取れないからって知らされただけで…、それで家に行ったら和香子があんな・・・風になってて急いで病院に連れて行って……私達が知ってるのは、それだけ」

母があんな風と言いながら、私が掻いている腕に指を差した。

「……和香子、大丈夫なの?」

そう言い母は体を乗り出して私の肩を心配そうにさするも、私はそんな母の顔を見る事が出来ず、俯いて何もない下の机を見つめる事しかできなかった。


…………………………………………………………………………………………


トイレに行きたいからと方便を言い、その日の面会は早めに切り上げた。きっと母もそれに気づいていただろうが何も言わずに荷物を渡して帰って行く、心配だから明後日にまた面会に来る告げて。

私は渡された荷物をベットに置くと、すぐさまトイレへと駆け足で飛び込んだ。個室に入るためではなく、熱くなった顔を冷やすために洗面所の水道から冷たい水を両手ですくって、思いっきり顔にぶっかける。一度だけでなく、二回、三回、四回…かけた所で蛇口を閉めて、洗面所の鏡に映ったびしょ濡れの自分の顔を見つめた。

ボーボーに伸ばし放題の眉毛に顔中が産毛だらけ、おまけに砂漠の様に乾燥している肌には数回の水浴びは焼石に水で、額と顎周りの皮がボロボロと剥けていた。

入院してから見るのが嫌でずっと避け続けていたけれど、二十五日にしてやっと自分の顔と向き合えた事で、私は気づいた。


現実から目を逸らして受け入れようとせず、本当の自分を見ようともしてなかったのは自分自身だった事に。


鏡に向かって掻いていた左腕の袖を捲り上げると、そこには赤い線の…切り傷だらけの腕を持った、私が映っていた。



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