で、お次は皆さんお待ちかね?の悪い話である。
まず一つ目の悪い話は、病棟で作業療法が始まった事だ。
作業療法とは、テキトーに説明すると入院患者が集まって運動やレクレーションを行う事である。
それが一日に午前と午後に二回に分けて、デイルームに集まってやるのだが………正直、気が重かった。
午前の作業療法は体を動かす事が中心の内容で、みんなで並んで体操したり、ストレッチしたり、ヨガの真似事をしたり、音楽に合わせて幼稚園のお遊戯会みたいなダンスしたり、足踏み器具を使った簡単なトレーニングもしたりした。
運動は体だけではなく心にも効くのだろう、確かに眠くダルい朝に体を動かすと頭がスッキリして、ウンコの調子も相対的に良くなり、沈んでいた心も軽くなったような気になる。
午後では、座って何か描いたり作ったりする作業が中心で、それぞれに机に数人固まって座り、塗り絵や貼り絵や写生など色んな手工芸をやった。
インドア派の私には、午前より午後の作業療法がピッタリだった。もちろん絵を描く事が好きと言う理由もあるが、何より運動嫌いの私にとって、体を動かさない事は最高である。
しかも同じ机の患者さんに「絵が上手いね、何かやってるの?」と聞かれて、一応美術系の学校に通っていると答えると(停学中とは言わず)「やっぱり専門にしてる人は違うねぇ」と言われたり、看護師さんからも手先が器用だと褒められたのだった。
一般の、普通の人なら良い話だろうが、私はひねくれた歪んだ心の持ち主なので素直には受け入れられず。
午前の運動も、かつて経験した小学校六年間行われた夏休みの朝のラジオ体操を思い起こしてしまい、不快に襲われていたのだった。
ご存じの通り、私はいじめられっ子だったので区の公園でいじめっ子もいる中で強制的に体操をする事は、ただのダルい罰ゲームでしかない。ましてや、六年生になると見本として、下級生達の前に立って向かい合って体操をするなど公開処刑もいいとこである。
せめて夏休みの間だけでも、学校から解放されて自由でいたかったのに、大袈裟に言えば人生とは本来本人の自由なはずなのに………、まるで狭い鶏小屋で家畜となって生きているみたいでジメジメとした
そしてその思いがまた、この朝の体操の時間で蘇ってしまっていた。小学生の頃とは違うのは分かっているし、体と心に運動が良い事なのは十分心得ている。
なのに、こうして集団で運動をしているとあの時みたいに、この病棟が錆びついた鶏小屋で私を含めた家畜達が運動しているかに思えて来て…、
「お前は飼い殺されるんだ」心の中の自分がそう囁いてくるのだ。
…しかも、本当の家畜であったら卵、肉、毛など生産性があって役に立つのだが、私はウンコしか生産できない役立たずの家畜以下である。
そして午後の手工芸方も、確かに細かい作業や絵を描く事は好きなのだが…社交辞令の会話がとても苦痛であった。
会話をしてても「なんでこんな意味のない…生産性のない会話をしなければならないんだ」とあの心の中の嫌な自分が突っ込んで来て…、特に褒められたりすると「ただの口先だけのお世辞」「あー白々しい」と、私は人の善意の言葉の裏を勝手に考えて心の中で悪態をつく、ひねくれた嫌なクソ人間に成り果ててしまう。
……………本当は、随分前から私はそうなっていた。
実は高校時代に、いじめられてぼっちだった私に同情してグループに入れてくれた
だがしかし当然と言えば当然だが、私が馴染める事はなかった。
グループの子達は人間不信挙動不審の私に優しく接してくれたけれど、その子達といじめっ子のグループは仲が良く………私は疑いの目を向けた。私を陥れようと、わざと優しくして陰で笑っているんじゃないか、…と。
しかもその時はタイミング悪く、いやタイミング悪いのはいつもの事なのだが、いじめっ子らが自分達の悪口を私が言ってないかとその子達に聞き回っているのをたまたま聞いてしまったのだった。
それが私をクソ人間にする引き金だった。ただでさえ不信に次ぐ不審だった所に拍車をかけてしまい、どんなに優しくされても、遊びに誘われても、話しかけられても、私はそっけなく疑って刺々しく差し伸べられた手を突き放してしまった。
そんな人間に仲良くする人などいない、結局高校では私はぼっち一筋で過ごしたのだ…。専門学校に入学した時、その部分があらわにならないよう、ひた隠しにしていたが、やはりいずれは表に出て来てしまうもので。
優しく接されると自分のクソさが改めて分からされて自己嫌悪に陥るのと同時に、早く退院するためにも明るいフリをして受け答えをしなければいけない、と言う二重苦に毎日苦しめられていた…………。
そして二つ目の悪い話は、入院して十二日目にして両親と面会した事だ。
別に両親は私が入院してからずっと病練に来てなかった訳ではなく、着替えの荷物を取りに来たり届けに来ていたのだが肝心の私が拘束され保護室から一切出られなかったため、面会が出来なかったのである。
でやっと、面会が実現したのだったが…………、気が重い。お金で大分、とっても、すごく、迷惑かけてるので負い目があるのと、入院する時に拘束の同意をしたと言う、親へのフシン、ショック、サスペンスを感じてしまい、はっきり言って会いたくなかった、が。
着替えを受け渡したいし頼みたい荷物もあるので、そんなゴタゴタは言ってられんのが本音であった。
そんなこんなでいよいよ来てしまった十二日の午後、看護師さに面会室へと呼ばれた私は昼食後に飲んだ気分を落ち着かせる抗不安薬のおかげで、心臓も汗もウンコも平常心で何とか向かって行けた。
開いたドアの隙間から見えた、部屋の端っこの机に座っている母と珍しく車で待機していなかった父の顔を見た瞬間、私は泣きそうになる。それは悲しみ、怒り、心労、罪悪感、色んな感情がごちゃ混ぜとなって胸に込み上げて来たものだった。
流石に刑務所の面会とは違い、中まで
十五分…長くないか?個人的には五分、いや三分でも構わないのに…。
しかし残念ながら面会時間に繰り上げなど存在しない。
私が両親の対面に座り看護師さんが部屋から去って行くと、母は下がり眉の涙目になって口を開いた。
「大丈夫なの?拘束されてるって聞いて心配したんだから……」
母の言葉を受け、私はごちゃ混ぜだった感情が怒り一色となって顔が熱くなる。そもそも入院も拘束も許可したのはアンタだろう、と怒鳴りたくなるも、やはり薬のおかげか比較的穏やかに母の言葉に対して、入院する時いきなり拘束された事、そもそも入院の書類で拘束する許可しただろう事、保護室から出られなかった事を、話す事が出来た。
時折茶々を入れられたものの、珍しく私の話を黙って聞いていた母は次第に動揺した顔へと変化していた。何でお前がそんな顔をするんだ、と私は心の中で悪態を吐きながら母の言葉を待つ。
「ごめんね…、病院で暴れたら拘束するんだと思ってて…」
は?
「まさか、すぐに拘束だなんて、思わなかったの」
ふざけんなよ、んだよそれ。
「入院も、てっきり一週間ぐらいで退院かと思ってたのに、まさかこんなに長くなるなんて………」
てっきりって何だ、てっきりで私は入院させられたんかよ。
引っ込んだ涙が再び浮き出て来て、私は怒りで震える口を開き罵声を浴びせようとした。
「あんたのせいで、こんなに苦しめられた」「ひどい」「最低」「信じられない」
「裏切られた」
しかし、震える口のせいか上手く発する事が出来ず、言おうとした言葉は心の中に次々と落ちて行く。
そして私は気がついた。
母が私の部屋に乗り込んで浴びせて来た口撃と、今、自分が母に同じ事を言おうとしている事に。
…………、あの時の母もこんな気持ちだったのだろうか。安心して専門学校へ送り出したかと思った所、いきなり電話で学校で人にウンコを投げつけたなんて聞いて、しかもおまけに慰謝料だなんて…、そりゃあ罵声の一つや二つ言いたくなるだろう。
色んな感情が混ざり怒りとなったのだ、…さっきの私のように。
でも、今の母は泣きながら私に謝っている。
「ごめん、本当に…ごめんね」
…あの時、私もこうすれば良かったんだ。
「………ごめん、私も本当に…………ごめんなさい」
私はここで初めて心から謝った。あの、ウンコ事件から全ての感情に怒りが潜んでいて、口先だけの謝罪で済ませていたけれど、母の姿を見て気付かされた。
怒りに支配されてはいけない、あんな風になってはいけない。学校の先生に、生徒達に、友達に、………………あの彼でさえにも、無闇な怒りをぶつけて、傷つけてはいけなかったのだ。
私と母は二人で泣き合って、謝り続けた。(父は隣で静観)。
いや、良い話じゃねーか。
と、突っ込みたくなるだろうが、待ってほしい。人生とはそんなに上手く行かないのである。
しばらくして様子が落ち着いた母は言い放ったのだ。
「他の患者の人の様子を見て分かったの。あんたはまともなんだから、こんな所に長くいる必要ないもの」
…………………、母は私が普通ではなくウンコによって心を病んだ、と言う事をどうしても意地でも認めたくないらしい。
昔と全く変わっていない。私を健康にしようと躍起になって野菜料理や酸っぱい食べ物を出していた時から、ずっと。私が、ぼっちでいじめられっ子だと告白した時も、母は認めたくなくて現実を、本当の私を見ようともしなかった。たとえ人にウンコを投げつけるような娘でも、まともだと思い込みたいのだ。
もし、認めてしまえば、自分が普通ではない子供を産んでしまった事になるから。
「そりゃあここから早く出たいし、出ようと思ってるよ。……でも、病気なのは本当、だから」
「何言ってるの?和香子は、病気なんかじゃないの!」
母の言葉に引っかかって反論するも、私の言葉は届かない。私はひどくがっかりした、やっと母の気持ちが少し分かったのに、母の方は少しも私の気持ちを理解しようともしなかった事に。黙っている父は論外だが。
…でも、ここに長くいる必要がないのは同意である。十二日間、ここで過ごしたが精神に良い効果があるとは到底思えなかった。
理解して欲しいなんて、贅沢な事は言わない。荷物を持って来てお金の面倒を見てくるだけでも十分だと、私はまたも自分の脳に思い込ませたのであった。