四人部屋に移って六日、入院してからは十四日が経っていた。
その間に起きた“良い話と悪い話がある、どっちから聞きたい?”
…と言う、海外映画かドラマで聞いた定番のセリフを一度言ってみたかったので言ってみた。とりあえず、景気付けに良い話から言っていきたいと思う。
まず一つ目の良い話は、看護師さんに頼んで耳栓を買って来てもらえたので、深夜の厄介独り言おばさんは私の中でまた感じの良い女性へと無事に戻る事が出来た事。
そして二つ目の良い話は、入院して十日目でやっとお風呂に入れたと言う事だった。
拘束されていた時に何回か体を拭かれたくらいで、私の体は十日間お湯に一滴も触れていないカラッカラの砂漠状態で、髪はボサボサ、フケも出て来てしまっている始末である。
本当は保護室から出れた日にすぐにでも入りたかったのだが、残念ながらこの閉鎖病棟の入浴日は週二日と決まっていて…私は耐え忍んだ。そしてついにやって来た入浴日に、私は朝から待ち遠しくウキウキウズウズソワソワと、完全に散歩に行きたくて落ち着きのない犬状態となっていた。
入浴時間は患者によって午前か午後に分かれていて、順番が決まっている。そして入浴時間は一人三十分。普段、長風呂派の私には正直全く足りない。だって、着替えと髪の毛を乾かす時間も入れての三十分なのだ、長髪の私は乾かす時間にいつも最低十分はかかっていて、それに着替えの時間も入れると入浴時間は十五分ぐらいしか残らない、そしてまたそこに洗髪時間を入れて考えると…浴槽に浸かれる時間は…………、
七分ぐらいしかないじゃないかっっ!!
私は大声で嘆いた、例のごとく心の中で。
どうしてこんなに感情的になるのかと言うと、私が浴槽のお湯浸かって体を休ませる時間がとてつもなく大好きだからだ。理由は体を温められる、リラックスできる、など色々あるが…一番の理由は、痔に良い効果があるからである。
浴槽に浸かる事で、尻は温められて肛門の血流改善、しかも清潔にできる事は痔を悪化予防としてもかなり有効だ。
そう、痔も私の生活習慣を支配し変えるほどの力を持っていた。まぁ元々ウンコのせいで痔になったので、元を正せばウンコの力だが。
つまり三十分は私にとってはかなりキツイ、ギチギチのタイムスケジュールでお風呂に入らなければ行けない事であった。
私の待望の入浴タイムは、朝の検温の時に午後二時からと知らされ、それまでに着替えの服、リンスインシャンプー、バスタオル…全ての用意を午前中に済ませ、二時がやって来るのを今か今かとやはり犬の様にベットの上で待ち侘びる。
「川村さーん、入浴の時間です」
「はいっ!!」
その時の私は、入院してから一番快活な声で返事をした。
しかしその後、すぐに
「えっ、本当ですか……?」
さっきのウキウキとは打って変わり、テンションが劇的に下がって私は呟いた。
入浴は患者一人で入るのだが、…実は看護師さんも一緒に入るのである。別に裸で一緒に入るのではなくて、看護師さんは脱衣所で待機し、患者の入浴中にどんな事故が起こってもすぐ駆けつけるよう監視する。
事故…、ようは入浴の際に水を使って死なないように防いでいるのは分かってはいるが、どうも慣れない…。しかも悪い妄想癖のせいで、この状況が度々看守と囚人の関係に私には見えてしまう。
もちろん、入浴の説明を受けた際にこの事は説明されたけど、てっきり私は看護師さんはドアの外で待機しているものかと思い込んでいた。が、実際はまさか脱衣所に一緒に入って裸を見られる事になるとは思わなかった。
まぁ…すでに、オムツ交換時に股間のジャングルを何回も見られ肛門までさらけ出しているので今更なのだが、真っ裸を晒すのにはまだ微かに抵抗と恥ずかしさがしぶとく残っていた。
…けど、ここであーだこーだ言っても看護師さんを困らせるだけだし、少しでも文句を言えば保護室に戻されるんじゃないか、と言う恐怖もあったので、ここはぐっと堪えて素早く裸を見せつけ浴室へと入って行く。
ここで突然告白するが、私は股間だけではなく全身ジャングル毛むくじゃらボーボー人間である。
小中高、その毛深でいじめのネタにされたのは数知れず。「ゴリラ」「黒ゴマ」「黒ダコ」(赤面症で茹でタコみたいになるため)、など「ウンコマン」にも負けず劣らず毛深の名称もたくさん付けられていて、生まれつきの体質で苦しめられたのはウンコだけではなかったのである。
ちなみに私の毛のレベルは、剃った日の夜にはもうチクチクと黒い毛が生えてしまうほどの剛毛っぷりで、入院してから一回も剃れていない私の体は黒い芝生だらけとなっていた。病棟ではカミソリは
余談であるが中学生の頃、母の夕飯支度の手伝いで大根をおろしていた時に、私は変な事を思いついてしまう。
おろし器のギザギザを見ている内に、剃った後の生えて来た自身の毛とおろし器が似てるような気がして頭から離れなくなり、こんなに似ているのなら…自分自身で大根をおろせるんじゃないのか?
と、意味不明な思考回路に落ち入り…実行した。
流石に頼まれた大根はちゃんとおろし器でおろしたが、私は少し残った大根のかけらを隠し持って、こっそり奥の部屋に隠れて自身のチクチクしたすね毛にかけらを乗せ、前後に数回動かした、………すると。
見事に大根はおろせたのだ!!!(※少しだけ)
しかし驚きと喜びと同時に、私は自身の毛にドン引きした。自分が大根をおろせるほどの剛毛の持ち主だった事に………。
話が逸れしまったので、肝心の入浴話に戻そう。
頭の中では何回もシュミレーションしてたのに、実際は脱衣所で手間取ってしまったので、浴室に入った時点で残りは二十四分しかなくなっていた。
私は浴室に付いている時計をチラチラと気にしながら、シャワーで一気に頭をガシガシ豪快に洗い始めた。悠長に頭皮に優しくかまっている暇などない、かつての小さい頃、父と一緒にお風呂に入った時に頭が痛むほど洗われた事を
大量の抜け毛とフケを洗い流し、また時計をすぐさま確認すると残り時間は十五分まで迫っていた。最低でも浴槽に入れる時間は五分しかない…が、入れるだけマシだと浴槽を目をやると思わず時が止まる。浴槽に張っているお湯を見ると、前の人の髪や白い
よくよく考えれば、一番風呂ではないのでこんな事は当たり前あるが、私は思わず身構えてしまう。
いやしかし、肛門のためだ……、肛門の!
私は覚悟を決めて、浴槽へと飛び込んだ。少しぬるめのお湯にやっと温まって来た所タイムオーバーとなり入浴は終了、風呂から上がると早々に体を拭きドライヤーで髪の毛を乾かし始めた。
ちなみにこのドライヤーは長いコードが危険なため常設しておらず、看護師さんの監視付きの中で時間いっぱいまで使い、怒涛の入浴タイム終了とともにドライヤーは返還された。
…所々濡れているが、しょうがないとそのまま髪を一つにまとめて誤魔化し、その後は半乾きのまま午後を過ごすのであった。
良い話ではないのか?と、疑問に思われそうなので言っておくと入れただけでも良い事だと、私は脳に無理やり思い込ませていたのだ。
思い込めば良い話になると信じて。