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25.入院編・引っ越し

拘束が外されて四日目、入院してからは八日が経っていた。


ここに来た当初の時とは比べ物にならないくらい、今私は快適に過ごしている。ずっと掻いていた腕にもかゆみ止めの軟膏が処方され、腕は真っ赤になる事はなくなり、問題であったカチコチウンコは、必要以上に水を飲み、部屋の中で運動・体操をして、ウンコをなだめる薬(軟便剤)を服用する事で解決に至った。


正直、自由になって大海原下水へ出て行くウンコが羨ましい…。


そして次の問題である、暇・空虚・無の時間の戦いの方は入院する時に預けたお金で週に一回、看護師さんに病練の外にある病院内コンビニでお菓子や雑誌や漫画を買い出しに行ってもらえる事で、私の命は延命された。

本を読む文化を与えられた私は、普段興味のない芸能人のゴシップに夢中になって妄想をしたり、漫画のセリフを黙読して心の中では声優になりきったり、読み飽きてしまった時は雑誌のページの端っこを少しちぎり、出来た小さな紙の切れ端を指でひたすらこねたり、挙句にはベットの上で寝転がって筒状のポテトチップスを食べたり………。


その時、私はふと思った。


一体何のためにここにいるんだっけ?



「学校で自分が起こしてしまった事に対して、今はどう思っていますか?」

八日目の診察時に先生が発した質問。その台詞を聞いた瞬間、私は来たっ、と心を身構えて何回も練習した返答を口にした。

「いや……、本当にとんでもない事をしてしまって、色んな人に迷惑をかけて申し訳ないと思っています」

これだけでは終わらない。

「だから…、今度からは自分の中に溜まっている感情と向き合って、どう処理して上手く付き合って行くのか考えたいです」

言葉の最後に笑顔を付けるのも忘れずに。しかも不自然な笑顔ではなく、少しはにかんだような控えめにして。

正直、自分の顔が見えないので実際はどう見えているのかは分からないが、これが今の私に出来る精一杯の“従媚笑適従順・媚びる・笑顔・適度”であった。


先生は私の答えに満足したのか、うんうんと頷きながら持っているカルテを書き進め、顔を上げて口を開く。

「そうだね…、だいぶ症状も落ち着いてるみたいだし……」


来い、来いっ………!


「保護室から移ろうか」


……よっしゃぁあああ!!!!


その台詞を聞いた瞬間、私は心の中で喜びの雄叫びを上げながらサンバを踊って観客達からの声援を浴びていた。

………ちなみに言っておくと、流石の私も普段の心の中はこんなにはっちゃけていない。保護室にいて、無の時間が怖くなり皮剥きと本を読む以外に妄想が大分はかどってしまったせいで、何度も読み返した雑誌に熱愛疑惑で載っていた芸能人は、私の中ですでに結婚して子どもを産み離婚訴訟沙汰にまでなっているほど、妄想は重症化している。


妄想は荒ぶっていたが、表面上は抑えて軽い笑顔で保護室から出られる事に喜んだ。

ついにこの、保護室独房から脱出できるのだ。

まだまだ大元の病練刑務所から出られないとしても、ここよりは遥かにマシである。診察が終わって意気揚々と引っ越しの準備し始めた私に、看護師さんは次に入る部屋についての入院のしおりの冊子を渡して説明をする。

「今、空いている部屋は個室と大部屋がありますけど…」

どうやら拘束とは違い、入る部屋は患者本人が選べるらしい。渡された冊子には、個室と大部屋・四人部屋の写真と説明が載っていた。その個室はこことは違って、ドアには鍵が付いてないので閉じ込められる事なく、部屋のトイレもちゃんとドアという仕切りがあり、しかも部屋によってはテレビまで付いているではないか。

それと比べると大部屋は、鍵は付いてないものの四人共同しかなくて、トイレも廊下にある共同トイレ、もちろんテレビなんて付いていない。

どっちが良いかと言われれば、そりゃあもう個室に決まっている……部屋を決める最後に、私は部屋の写真の下に書いてある値段の目を通した。


大部屋○千円、個室○万円。


「大部屋で」

私は即答した。すでに親に専門学校代、アパート代、病院の入院代、そして何より慰謝料を払わせてしまっている。そんなにお金のある家ではないのに、すでにかけまくっているが、もうこれ以上迷惑はかけれない。


新しい部屋が決まった私は早々にまとめた荷物を持って、看護師さんの後をついて行って移動を開始した。そこで私は入院八日目にして、やっと病練の施設を案内してもらえたのだった。

食堂、面会室、浴室、洗濯室、共同トイレ、デイルーム…、デイルームとは患者に開放された談話・娯楽室で、大きなテレビが一つ上に置いてあって、私が案内された時にも患者さんが何人かいて、テレビを見ていたり、患者同士で話をしていたり、本を読んでいる人も見かけた。

そこで初めて他の患者さんを目にした私は、急に不安に襲われた。

私は極度の人見知りである。それも恥ずかしがり屋、シャイ、内気と言う可愛い気のあるものではなく、ずっといじめられたせいで人間不信、疑心暗鬼、人間嫌いと言う可愛い気もクソもなくなってしまったのは当然の摂理である。

そのクソのせいで私は、もし、同室の人が怖い人だったり、めちゃくちゃしつこく話しかけてくる人だったらどうしよう………、と悪い想像ばかり浮かんで来てしまうのだ。


今更ながら緊張と不安で心臓がリズムカルに波打ちながら、ついに私が入る部屋の中へと入って行くと…四人部屋は写真で見たのより、実物は廃れて壁の塗装は所々剥がれ薄暗かったが、家の団地の外装を思い出して何だか懐かしさを覚える。

一つのベットは仕切りのカーテンが閉められていたが、後の三つにベットは空っぽで綺麗に整えられていたのを不思議に思って聞くと、何とちょうど患者さんが二人退院したので、しばらくは実質二人部屋になるのだと言う。

対峙しなければいけない人が減った事で、少し安心した私は心臓の方もスローテンポのリズムへと落ち着く事が出来た。私のベットはその残っている人の向かい側の対面となり、荷物を解いている所に対面のベットのカーテンがシャッと勢いよく開かれ、同室の人と私は顔を見合わせた。


その人は私の母親と同じ、四十代ぐらいの女性だった。落ち着いた心臓がまたドキリと跳ね上がる。

「どうも、よろしくねぇ」

その人はニコリと笑って挨拶をしてくれた。悪い想像ばかりしていた私は思わず拍子抜けしてしまい「ょ、よろしくぉ願ぃしますぅ…」と、この場に父がいたら「情けない」と突っ込まれるだろう挨拶を返してしまったのだった。


その日はそのまま夕食の時間となり、初めて食堂で他の人達と一緒にご飯を食べる事となった。トレーを一人一人持って、自分のご飯を乗せ、大きいテーブルに座り、知らない人と一緒に並んで食べる光景は…いつもの私なら海外映画の学食のシーンを思い起こしただろう。しかし今の私はやはり悪い事しか思い浮かばなくて、まるで海外の刑務所の受刑者達が食堂で食べているシーンを思い起こしてしまう。

…だけども、保護室で一人冷たいご飯と向き合って食べるより、みんなで美味しくないご飯を食べた方が同じ仲間がいると分かって、憂鬱な夕食がいつのより気楽に食べる事が出来たのだった。


夕食後、歯磨きをさっさと済ませ薬も飲んだ私はベットに戻って、改めて早くここから脱出しようと改めて決意を固める。

拘束や保護室より、今はマシになった。だから私は大丈夫。

そう、自分自身を励ましてながら腹をさする……、ここに入院してから私はウンコに優しく接するようになった。

あくまで共通の大きな敵ができた事による共闘ではあるが、今ここにいる時は私達は唯一無二の仲間である。私はベットで横になり、一致団結したウンコと固い握手を交わす妄想にふけ眠りについた。



…………ひどく汚い絵面の妄想をしたせいか、私は真夜中目を覚ます。携帯はないのでベット脇の机に置いてある置き時計で確認すると時刻は深夜二時…、丑三つ時《うしみつどき》と言う不吉な言葉が思わず浮かぶと同時に、小さな音が微かに聞こえた。

何だか分からず耳を研ぎ澄ませていると、


「ナム……ブツ………ナムアミ……ダブツ」


お経が聞こえた。


心霊現象ッ!?病棟の怨霊ッ!??

今の今まで霊の存在なんてバカにしてたけど、すいません、これからはちゃんと信じます!

私は恐怖に身震いして平謝りした、のだが。

「……どうも……すいません………どうも、すいません……」

よくよく聞けば同室の女性の声ではないかと、ほっと安心したのも束の間、その独り言はなんと何十分も、一時間以上は続き、私は眠れぬ時間を過ごす事になるのであった。


あのオバハンの野郎……と、私は暗闇の中で恨み言を心の中で呟いた。さっきまでは普通の感じ良さそうな女性だったのに、一気に私の中でその人は厄介なおばさんへと変わってしまう。


私だけかも知れんが、人間と言うのは…現金な生き物である。


そしてさっき改めてした脱出の決意も、早くも不安に揺らいでしまうのだった。



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