私は自分の家のベットの上で横になり、する事もなくぼーっと過ごしていた。…あえて言うなら、腕を掻いていた事と唇と指の皮を無心でひたすらに剥く事だけはやっていた。
実は小さい頃から緊張したりストレスが溜まると、何故か無性に皮が剥きたくなると言う、ウンコだけではなく影に隠れた皮にも支配されていた。
きっかけは小学校二年の時、クラスの担任は厳しい男性の先生だった。私はある日ウサギ小屋の給水器が壊れていた事で、みんなの前で立たされて先生に詰め寄られる事に。たまたま壊れた日が私が掃除当番であったため疑われたのだが、私には何の身に覚えがない。でも先生とっては私がやったかやってないかなんて、どうでもいい事だったのだ。
「正直に言いなさい…、それまで待っているから」
先生は教壇に手をついて、じっと私を睨んで言った。…私は蛇に睨まれたカエルのように動けない喋れないまま、時間が過ぎて行く。長い時間待たされてイライラし始めたクラスメイトも、私を睨みつけてくる。
いい加減早く終わらせろ、と言う目で。十分、二十分、三十分、四十分………。
「私が、…………やりました」
……尋問が終わり自分の床周りを見ると、白い謎の物体が当たり一面に散らばっていて私は驚いた。それはよく見ると、私の指の皮だったのである。尋問中、あまり緊張とストレスで無意識に皮をむしり取っていたのである。
私は
しかしまともな人間になろうと、高校卒業と同時に剥くのを我慢していたのだが……、もう今の私には関係ない。
心の
「ピンポンピンポンピンポン」と、私の部屋のチャイムが勢いよく鳴り響いた。
それと同時にドアもドンドンと強く叩かれる。家の中にチャイムとノック音のコラボ音楽に乗せて、母の歌声も聞こえた。
「和香子っ、出なさい!」
(久しぶりに出たので、忘れている人のためにもう一度言っておこう。私の名前は川村和香子である)。
あの騒動の後、私は職員室まで羽交い締めのまま連行された。隙があれば直ぐさま彼を襲おうと気を張っていたものの、人混みの中にいた私の友達が悲しい目で見ていた事に気がついてしまい、申し訳なさと惨めさが怒りを上回って私は大人しく指示に従った。
ひとまず、手持ちのウンコはトイレに流すが、まだ学校に散らかしたウンコは残っている。始末をしに行こうとするも「先生が片付けとくから、今は取り敢えず落ち着いて休んで」と切羽詰まった真剣な眼差しで先生に説得され、私はそのまま座らされた椅子に押し止まっている事にした。
それから一時間くらい経った頃だろうか、彼も職員室に呼び出されて、二人で先生から事情聴取を受ける。彼は強く擦って洗ったのか赤くなった頬に、さっきのウンコで汚れたTシャツから、文化祭用のド派手な学校名入りのTシャツへと着替えていた。
いつ、どこで、誰が、誰に、何をして、こうなった、と国語のテストのような取り調べを受けて、少し抵抗はあったものの聞かれた通り、正確に話して行った。
一週間前、彼の車の中で、私が、彼に、ウンコを漏らして、その後私は彼にウンコで襲いかかった、と改めて他者に伝えると、これでは私がただのウンコ狂い女である。
…………実際、そうなのではあるが。
私は付け足して、置いていかれ無視され陰口を言われた事も報告するも「たとえ腹が立っても自制心を持たないと、こんな事して傷つくのは自分自身なんだよ」と、先生に説き伏せられてしまった。
が、理性も捨て去るずっと前から、すでに心と腹と肛門も全身傷だらけの手負いの体、今更どんなに傷ついてたってもう傷だらけなのは変わらない。そんな事言われても今となっては手遅れ、後の祭り、時はすでに遅し……である。
先生の
私は変わらず黙っていたが「逮捕したいのならすればいい、やってみろよクソ野郎」と心の中で応戦しようとファイティングポーズをとり、鳴りを潜めていた怒りが再浮上しかけるも、先生達は学校で警察沙汰だけは勘弁してくれとキレる彼を
…何故、私が謝らなければならないんだ?
無理やり向き合わされて見る彼の顔は、殺意を持った目で私を睨みつけていて、謝る事も逃げ出す事も出来ずにしばらく見つめ合う。しびれを切らした先生は私の肩を叩いて、急かした。
「ねっ、川村さん。そう言う事でねっ」
…その先生のシャツは、さっき私を取り押さえた時についたウンコを洗い流した後があってビショビショに濡れていた。私は意思に抗ってゆっくりと頭を下げ、締まった喉から低い声を絞り出す。
「すみませんでした」
彼にではない、迷惑かけて汚してしまった先生、生徒、友達に向かって謝った。下の床を向いているので誰も気づいていなかったが、唇を噛み締めて頬を引きつらせ謝るその顔はどう見ても反省しておらず、まるで床にケンカを売っているチンピラである。
そして私はその後、停学処分を受け学校に呼び出されるもほったらかしたまま放置。そもそもあんな大騒ぎを起こしといて学校に通うつもりなんてなく、私は辞める覚悟でウンコ事件を起こしたのだ。
…きっと私は、彼の車で漏らさなかったとしても遅かれ早かれ、学校へは行かなくなっていただろう。元々普通ではないウンコマンには敷居が高すぎて、毎日必死で見繕ってウンコを我慢して擬態する、それだけの事でも私にとっては辛くて疲れ果ててしまった。
自分を隠して、好きでもない学校に通うのは、親のために、世間体のため、普通になりたいがために。
でももう、いい加減、限界だった。何かも嫌になって、私は携帯の連絡先を全部消して電源も切り、ウンコと二人で寝たきりの生活をし世間との繋がりを断つ。
何の後悔も未練もなかったけど、携帯を切る前に友達からメールが来ていたのに気がついて、思わず魔が差して開いてしまう。見てしまったそのメールは、発狂した私を
すると、私の中に
こうして部屋に引きこもる事一週間、学校が本人と音信不通になったので、親の方に連絡をしたのだろう。電話で学校での騒動を知らされた母は、大慌てで実家から私の部屋に飛んで来たのだった。
部屋のドアから母が奏でる激しい音楽を聴きながら、私がそうのんきに推測していると、音楽が鍵が開く音へと変化した。
そうだった、そりゃあ親だもの、合鍵は持っていて当たり前だ。部屋にドカドカと入って来た母は、私を包む毛布を引っぺがし
「何やってんの!?バカな事をして!」「学校はどうするの?!今までの苦労が無駄じゃないっ」「信じてたのに」
「お金まで支払う事になった」
どうやら実家の方に、彼が私のウンコによって精神的苦痛を受けたと、慰謝料の請求書が届いたようだった。お金に関しては素直に申し訳ないと謝るも、やはりと言うか当たり前なのだが母の激情は治らない。
「そう言う事じゃないの、人に迷惑をかけて………そんな人間になるなんて裏切られたわ」
最初は受け身だけだったものの、次第に
私はなりたくてこんな、「ウンコマン」になった訳じゃない。そう反論したいのに、何を言っても無駄な気がして、言い返したい言葉は腹の中へと沈んで行く。正座をして腕を掻きながら、ただ黙り込む。そんな私の様子を見て、母はますます苛立てて声を荒上げた。
「黙ってないで、何か言ったらどうなのっ!?」
母は返事をされない事が一番嫌いだ。たとえ相手が返事をしていても自分の遠い耳に聞こえてなければ、無視をしているのと同じである。だから私は一言、大きな声出して叫んだ。
「うるせぇーんだよっ!」
母にやっと自分の言葉を伝えると、私は床に向かって仰向けに大の字で倒れ、そのまま身動きを
本当は停学処分の指導を受けに学校へ行かなくてはいけないのに、いい年した図体のでかい子供が駄々をこねて動かなくなった姿に、母は呆れ困惑する。私はそんな母に向かって聞こえるように、大きな声ではっきりと言い放った。
「どうしても行かせたいのなら、包丁で刺して殺してくれ」
高校最後の一年に、口癖のように何回も言っていた台詞をまたも吐き捨てる。
しかし母には「やだね、人殺しになりたかないよ」と冷静に吐き返され、車で待っている父を呼びに部屋から出て行ってしまった。
結構切実に言ったつもりだったのだが、昔っから私の訴えは、母も父も先生も医者にも真剣に受け取ってもらえる事は少ない。
原因は多少…いや、だいぶ自分にもあるのは分かる。小・中の頃から暗い顔だから友達がいないと学校の先生や家族にも言われ、何事にも愛想笑いをするように練習した結果、私は真面目な話をする時もニヤつくキモい奴へと見事に退化した。
未だに鮮明に覚えているのは、中学三年の高校受験の面接の練習時に練習相手の先生に「笑顔が気持ち悪いから治したほうがいい」と、ど直球で言われた事である。
だが、そんな出来事があっても、私はこのニヤつく癖は治らずに後遺症として残り、真剣に話を聞いてもらえなくなってしまったのだった。
たった数分後に、母と父は私に部屋へ再侵入して動かなくなった私を共同作業で脇を下から抱えて引きずる事で、部屋から強制退去させた。とは言え、いくら何でもマンションの階段となると(エレベーターがないタイプ)、両親と私の両方の体が持たないので仕方なく自分で力を入れて、ヨレヨレ歩き出したのだった。
両者やっとの思いで車へ乗り込んだ時、ふと気づく。私は髪、顔、服、三拍子揃って寝起きの格好のまま。
この格好で学校へ行くのだろうか…?
動揺する心臓を和ませようと、動き出した車窓をしばらく眺めているといつもと違う景色が流れ、最後にたどり着いた場所も見覚えがない所だった。
そこは白い大きな建物で、高く掲げられた看板の文字にはこう書かれてあった。
〇〇〇病院、診療科目 精神科・神経精神科・内科。