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19.専門学校時代・さよなら人間

…その後、友達から「彼とのデートはどうだったぁ〜?」と、おふざけのメールが来るも「ウンコを漏らしました」なんて死んでも言えず。「帰りに体調崩しちゃった」とかなり遠回しに伝えて、私は学校に行かないで何日も寝込んでいた。

寝込んだ、と言っても病気でも何でもなくただ寝て食うだけの生活をしていただけ。


ウンコの野郎は盛大に漏らした日から鳴りを潜め、静観を決め込んでいた。ウンコが身勝手なクソなのは、何回も経験しているので分かってはいるが、やはりこの仕打ちは腹ただしい。

お返しに私は自分の腹に一発、重いパンチを繰り出すも結局、痛むのは自分自身でウンコの野郎には少しも届いてはいなかった。

それでも私は、悔しくて何度も何度も自分の腹を殴り続けた。


学校を休んで一週間が経った頃、流石にこれだけ休んでいると友達も本格的に心配するし、親にも連絡が行ってしまいそうで不安が募った。それに何よりも、この状態が続いてしまって出席日数が足りなくなり留年確定………、と言う悲惨な結果になる事だけは、絶対に避けなければいけない。


もう高校の時のようには、なりたくない。あの生きているのか死んでいるのか分からなかった、あの日々には。


だけど、彼には私のウンコが最悪の形でバレてしまったのがかなりの痛手だ。下痢人間になってしまったとは言え、せっかく今まで普通のフリは出来ていたのに…未だに彼と音信不通な事もあり、学校へ行くのに怖気付おじけづいてしまう。

正直、もう学校には行きたくない。でも、行かなければ、そして彼と学校で会い、再度謝って弁明したらまだ私は普通の可能性を取り戻せるかも、しれない……。



強い緊張と不安の中、私は専門学校へ登校した。

友達とは前と変わらず普通に挨拶し自分の机に向かうと、自然と後ろの席である彼に近づいて行く。一学年一クラスの学校で顔を合わせないでいる事など、不可避なのは分かっていた。

だんだんと彼に近づくにつれ、心臓が激しく動き、手も少し震えるも、私は強く手を握りしめて、彼と向き合った。

…彼と目が合った瞬間、私は全てを察する。何年もいじめられてきたお陰で、あの目が一体何を思っているのか知っている。

嫌悪、毛嫌い、嫌気、ムカつき、憎悪、今までその目達に私はどんなに見つめられて晒されて来たか。

私は震える小さな声で、彼に挨拶をする。すると彼は目を逸らし、私よりも小さな声で呟いた。

「…はよ」

…無視されなかっただけマシだと、惨めな前向きさを持って授業に集中する事にした。久しぶりの授業は遅れを取ったせいで、何だか頭がこんがらがってしまい、必死でついて行くのがやっとだった。


休憩時間になり、私は廊下にある自販機に水を買いに行くと、運が悪い事に彼と彼の友達とそこで鉢合わせをしてしまった。ヤバい、と危険を察知するもここでいきなり方向転換したら挙動不審かと思い、なるべく視線を下に固定して自販機お金を入れ、一番安い水のボタンをさっさと押そうとした。

彼らは私の後ろに立ちながら、一言呟く。


「クッサ」


その言葉が聞こえた時、ボタンを押す人差し指が思わず止まった。

「やめろって」「だってムカつかねぇ?あ〜マジ、クッセ」「第一あの眉毛、どっかの殿様かよ」「あぁそれは分かる」

彼らは笑いながら、はたから見たらほのぼのとした談笑をしているみたいであった。

私は一気に体が冷たくなって、心臓の鼓動が頭の中で響き始め、体は冷たいはずなのに顔は熱くなる。早くここから去りたいのに、体が上手く動かず思考もよく働かない、まるで頭の中にはわらが、体は油差しが必要なブリキになったかのようだった。

軋む体を力づくで動かしてボタンを押し、自販機から出て来た水を受け取って、私はぎこちない歩きで教室へ戻って行く。

何とか自分の机に到着すると、背中を丸め小さく座り、冷たいペットボトルで熱くなった頬を冷やしながらうつむいた。その様子を見た友達は心配してくれたものの、私は空返事する事しか出来ない。

それでも友達は私に話しかけてくれ、一緒にお昼を食べようと自分のお弁当を持って来る。大学と違い専門学校は学食がない所が多く、自分で用意したお昼をそのまま教室で食べる人がほとんどだった。


その日の私は、特製おにぎりを持って来ていた。お腹のウンコを刺激しないように、水多めにして炊いたゆるゆるご飯をラップに包んで握った、特製下痢用おにぎりである。それを出そうとリュックを抱えた時、彼らが教室に戻って来たのを視界がとらえてしまう。

私はまたも視線を下に固定する。彼らは私の後ろの席に戻って来るも座る様子はなく、カバンを取りに戻って来ただけのようだった。

彼らが私の横を通り過ぎる、その時。

その時だけでも、私は聴覚を捨て去りたかった。……でも耳は敏感に、雑踏と雑音の中の声を聞き取ってしまう。



「ウンコ女」



ほんの小さな声、だけど耳にソレは突き刺さった。

もしかして、被害妄想が生んだ幻聴だったのだろうか。……むしろ、その方が良かったのに。


いつに間にか、私はリュックを持ったままトイレに駆け込んでいた。そしてトイレの洗面台の鏡に映った自分の姿を見た時、全てを悟った。

くせ毛がひどい髪の毛、下っ手クソで濃すぎる化粧、ヨレヨレでシワだらけの服。私は普通になれる所か、紛れてフリもできていない…鏡の中にいたのは、最初っから何にも変わっていない「ウンコマン」だった。


無様な自分を見つめていると、腹がウンコをしたいと抗議のデモ行進をし始めて来た。シリアス場面にも関わらずウンコの空気の読めなさに、私は長いため息を吐きながらトイレの個室へと向かう。そこの専門学校はリフォームをしていたので、トイレはほぼ洋式だったが、奥に一つだけ和式が生き残っていた。

私は無意識に奥の和式へと入って行った。

何故だかは分からない、けど「ウンコマン」の私には和式がお似合いだと思ったからだ。高校の時以来のウンコ座りをし、暴徒化したヤツらを排出すると同時に、今まで我慢していた涙と、肛門からピリッと痛む血が流れ出る。

ウンコ座りして、ウンコを出し、みっともなくボロボロと涙を流して、肛門から血を流す、自分の姿に「情けない」そんな父の口癖が聞こえたような気がした。


「情けない」

この言葉は父がよく人を馬鹿にする時の口癖だ。

テレビで自分より学のない、失敗した、変わった、そんな人を見ると父は必ず見下す。口に出すとうるさいので我慢して聞き流していたけれど、それは私がこの世で一番嫌いな言葉だった。


そう思うと、無性の腹立たしさが私の中でふつふつと湧いて行く。


どうして私がこんな目に合わなくちゃいけないんだ?

なりたくて「ウンコマン」になった訳じゃないのに。生まれてから一方的にウンコから付きまとわれて、入れたくもない指を入れて、便秘に苦しめられたかと思ったら今度は下痢に苦しめられ、車の中で漏らしただけであんなにネチネチネチネチ陰口を言われて………。

そんなに悪い事を私はしたのかよ、誰だってウンコをするくせに、ウンコを馬鹿にするんじゃねぇよ。…あんなに憎らしいウンコなのに、不思議と他の人間に悪く言われると妙に反論したくなって来るのは何故だろうか。

腹の調子は治ったが、腹の虫は治まっていない。私は下に生き残っているウンコと、トイレに持ち込んだリュックを交互に確認し、ある決断をしてしまった。


まさに怒りで我を忘れたのだろう。


私は自らの意思で、理性と言う人間を保つ最後の砦を壊してしまい、怒りとウンコに体を支配させたのだった。


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