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17.専門学校時代・眠れる獅子(ウンコ)

滞りなく展示会の鑑賞は終わり、お昼も近いからそのまま美術館にあるレストランで一緒にご飯を食べる事になって、…しまった。


私は失念していた。

午前中の待ち合わせとなれば、自然とお昼も一緒に…となるに決まっているが、経験のないひよっこの私には寝耳に水である。予期せぬ訪れたご飯のイベントに腹が目を覚まさないよう祈りながら、平然と取り繕ってレストランのメニューを眺めた。

お昼に千円以上のものは、私の経済状況からすれば贅沢品。なのでメニューの中でも一番安いトマトパスタを注文したのだが………、これが大きな間違いであった。

運ばれて来た真っ赤なトマトパスタを口にした途端、即座に私は失敗を確信したのだ。


酸っぱい、それしか味の感想が出てこないくらい酸っぱい。奇しくもその味は、かつて母から無理やり食わされてきた酸っぱい食べ物の数々を思い起こさせる。

対面に座る彼は、ニコニコと美味そうなキノコたっぷりの和風パスタを食べていて……、そんな彼に「クソ酸っぺぇ」などと悪態を吐く事なんて出来ずに、貼り付けた笑顔でクソ酸っぺぇパスタを口にねじ込んで行き、見事完食したのであった。


………その行動が、眠れる獅子ウンコを起こしてしまうとは知らずに。


お昼を食べ終わり美術館のショップを見て回っている時、アイツはすぐに動き出した。

腹で「キュゥウ」と動く気配を感じ、ウンコが目が覚ましたのを私は確信したのだが、後はこのまま帰るだけだからまぁ大丈夫だろう、と自分の嫌な直感を無視してしまうのだった。


無視しなければ、あんな事にはならなかったのに。


この十八年、ウンコは甘くないのを十分知っていたはずだったのに…、恋愛は人を狂わせる、とはこう言う事をいうのだろうか。(実際は恋愛のれの字も始まっちゃいないが)。

だんだんと時間が経つにつれ、ウンコはトマトの力によって腹の中で元気良く準備運動をする。この流れはマズイ、とまたも冷や汗が出始めた所、やっとの思いで美術館から脱出して車へ乗り込めたのだった。


後は家に帰るだけ…。

少しホッとしたのも束の間、彼に寄りたい所があると言われた瞬間、私の心臓は飛び跳ねた。これは恋のトキメキではなく、ウンコの焦りによるトキメキである。

彼は画材屋に行って、授業に使う道具など買って行きたいとほざいている。そんなのは自分一人で行ってくれ、などと言えるわけないので私は引きつる笑顔で了承してしまうのだった。

画材屋までの道中、ウンコは変わらずに大人しくせずスクワットをし始める。焦るな、焦ってはいけない。だって、まだ私には相棒がついているではないかと、手汗がたっぷりとついた手で自分のカバンにいる相棒を探した。


…………大きく、間抜けでバカなミスを私はやらかした。

いつも学校に持って行くカバンはリュックサックで、今持っているカバンは肩にかけるショルダーバッグである。


私の相棒である、下痢止めはリュックの中で留守番していた。


その事に気づいた時、あまりの絶望に時が止まるが、私の心臓は逆にノリノリのビートを刻んでいた。自分のひどいバカさ加減に殺したくなるほど、腹が立ち、その怒りでますます心臓はフィーバー状態で踊り狂う。

流石の彼も、バッグを漁ったまま恐ろしい顔で止まっている私を不審に思い、大丈夫かと聞いて来た。その問いに私は引きつった笑顔で、

「あっ、大丈夫、大丈夫」と答えた。

全然大丈夫ではない。もしこれが地獄なら私は舌が抜かれるか、もしくは舌が二枚の妖怪になる事だろう。


トイレではなく画材屋に着くと美術館の比ではないくらいに、何も聞きも感じもできなくなり、いよいよウンコの事しか考えられないウンコ人間になっていた。

彼が呑気に画材を見て、新しく発売した道具についてペラペラ言っているが、私は適当な愛想笑いと相槌あいづちでしか対応ができず。隙を見て店のトイレに忍び込もう試みたが、どうしてだろう…こんな時に限ってなぜ、トイレと言う場所は混んでいるのか。

やはり私はウンコに呪われている、そう思いながら私は長い行列から引き返し、彼の買い物が済んだのは一時間後であった。再び車内に戻って彼に「他に寄りたい所でもある?」そう聞かれた時に思わず、

「トイレ!」と反射的に叫びそうになるのを我慢して、待ち合わせ場所の駅まで送ってくれるように頼んだ。

駅に着いたら、そのまま駅のトイレを使えばいい。安寧あんねいの地は近いと、無理やりウンコを落ち着かせようとするが、私のウンコが言う事を聞くはずなんてなく、ドアの隙間から身体を押し出そうとして来る。


マズイ、まさに大ピンチ、車を走らせてまだ数分。駅に着くまで、まだまだまだ時間がかかる、果たしてこの腹の時限爆弾に間に合うのかどうか。私の腹の中は、映画のクライマックスシーンに差し掛かっていた。

肛門括約筋に人生最大級の力を入れ、座っている体勢も細かくモゾモゾと臀部でんぶを肛門に寄せ、栓をしようと悪あがきするも、とめどない便意の前には無意味に等しい。

おまけに呪われているせいか、しょっちゅう赤信号に引っかかりやがる。この調子だと、駅にたどり着くには十分以上かかるだろう、トイレは遠い。




もう、………駄目だ。




私は死を受け入れて、ウンコに身をゆだねた。



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