そしてまたも私は出血した。
肛門が。
前にも言ったが大事な事なので繰り返す、肛門は出す所であり入れる所ではない。誰でも猿でも分かるが、指なんか入れていじくり回していれば傷つけるに決まっているのだ。
私はいわゆる切れ痔になったのだが、初めて血のついたゴム指を見た時は軽いパニックで痛む肛門を何とかしようと
醜態をさらしてしまった私は母に何とか
痔と言えば、私の父もひどい痔の経験者だ。
ここで父は初登場となるが、最初から存在はしていたのだが仕事が終わり家で飯を食べたら寝るだけなので、あまりエピソードはない。ちなみに姉と兄二人も、高校卒業すると直ぐに実家から出て行ってしまったので同じである。
で、父の痔話だが、父は毎年会社で受ける健康診断で胃のバリウム検査を受けた。その検査とは胃をレントゲンでよく見えるように、まずい白い液体であるバリウムを飲み、検査中はゲップをしてはいけない苦行を強いられる。そして検査が終わったら下剤を飲んで、直ちに体内のバリウムを排出しなければならない。なぜならバリウムは、腸の中で硬くなってしまい酷い便秘になるからなのだが…、父は下剤を飲まなかった。
午前で検査が終わったら直行で仕事へ出勤してしまったので、あえて下剤を飲まずトイレには行かなかった、……それが大きな間違いであったのだ。
次の日になっても父のウンコは出て来ず立てこもってしまい、ウンコが外へ投降して来たのは三日後。出たウンコは尖った白い戦闘服でガッチガチに身を固めた姿で、父の肛門は瀕死の重症を負った。
「もう俺は二度とバリウムは飲まない」父は自分の肛門負傷話の締めくくりに、こう言い放つ。
家族
私達家族一同は、父の肛門話を
…私の肛門苦労話に戻ると、あの後買って来てもらった薬を塗り大人しく肛門を休ませようとするも、ウンコは毎日出る物。しかも私は指を入れなければ生けない体で、まさに二重苦であった。
そこで私は考えた、二日に一便生活にすれば良いと。一日は無理矢理、お腹が痛くても何がなんでもウンコを我慢し、肛門には養生してもらい、二日目でウンコを出す。そうすれば、一日休ませた肛門は痛まない、はずだ。
これぞ完璧な計画…。
数日後、私はトイレに一時間もこもっていた。
痛くて指は入れられず、仕方なく久しぶりに踏ん張ってもウンコは奥に引きこもり、出るのは肛門の血涙のみ。いよいよご飯も一口も食べれなくなって、私は胃腸内科の病院へと連行されたのである。
病院の診察台で私は仰向けに横になって、どのくらいお腹が張っているのか触診するため上から手で押されると、押して来た先生の手を軽く、反発した。
私の腹…腸にはソーセージのようにパンパンにウンコが詰まっている事が容易に想像できる。即座に病院のトイレで浣腸の刑を受ける事となり、私はトイレで看護師さんに汚いケツを向け、肛門に細長い浣腸の棒を思いっきり突っ込まれた。
………後の描写はあまりに汚いので省略する。
何とかその日はウンコは出せたものの、私はその後も切れ痔を繰り返していた。
そんな困り果てた所に、市販薬の薬でも中に入れる注入型がよく効いて、薬を塗ってから指を挿入するようにしたら痔の頻度は格段に減らす事に成功!
ウンコの相棒に新しく痔の薬(注入型)が加わった事により、私の肛門の体調もしばらく保つ事が出来たのだった。
あくまでしばらくの話だが………。