私、川村和香子とウンコには長い因縁の歴史がある。
始まりは私が生まれて間もない頃、まだ喋ることもお座りも出来ない生後三ヶ月の赤ちゃんの時だった。
生まれて三ヶ月という早さでウンコが出なく、つまり便秘になってしまったのだ。赤ちゃんはミルクを飲むと便秘になりやすく、私は完全母乳ならぬ完全ミルクで育っていたので便秘にまっしぐら。綿棒で肛門を刺激しても、うんともすんとも出ない状況が三日間も続いたため困り果てた母はとある方法、今ではとんでもない事で解決してしまう。
と言う便秘解決エピソードを、幼稚園年長の五歳になっても便秘を繰り返す私に、母がぽろりと口に出したのを聞いてしまった。そしてこれが後にとんでもない事をしてしまうきっかけ、となるのだが…。
所で何故私は便秘なのか…。
それは生まれながらの体質と、ウンコだけではなくオシッコでさえもするのが苦手…はっきり言えばど下手くその、排便不器用人間のせいだからだと考えられる。
そもそも最初のトイレデビューから私は失敗をしていた。便座へ後ろ前反対に座ってしまい、母が気づく何週間もの間私はおまるスタイルで用を足していたのだった。
そのせいなのか何なのか私はトイレの便座に座っても、どこにどう力を入れていいのか全く分からなくて、テレビや漫画の見よう見まねで力んだり踏ん張ってみても上手く出る事は出来なく、毎回のトイレ時間は三十分はゆうに超えていた。
さらには尿意・便意といった催す事も感じにくく、かなりトイレが遠い。気づいた時には、膀胱がパンパンになっていたり、お腹が張って苦しくなってからトイレに駆け込むと言うのが頻繁に発生していた。
さらにさらに悪い事に、私は野菜嫌い。誰もが知っているが、野菜を食べれば食物繊維が取れてウンコが出やすくなるので、母は少しでも良くなって欲しいと、私のために毎日の食事にたくさん野菜料理を作ってくれた。
レタスやトマトやらブロッコリーなどの色とりどりのサラダ、ゴボウとひじきと豆の煮物、わかめやもずくの味噌汁など、様々なアイデアを詰めこんだ料理が毎日の食卓に並んでいたのだが……、私はほとんど口にする事なく残していた。
何故ならすでに腹の中には、ウンコがパンパンに詰まっていて野菜を入れる隙間がなかったためである。そして残された野菜が母に発見されてしまうと、母の機嫌は急降下になり家族の空気も最悪になる、と言うお決まりの流れになっていた。
そのため私は食べ切れなかった時は、残したご飯を手に隠し持ち、台所の流しの三角コーナーにバレないようゴミとゴミの間に残飯を隠し捨てる…、あたかも犯罪者が証拠を隠滅するような行為をしていたのだった。
…親の気持ちも分かる所もある。姉と兄は健康で頭も良い、まさに絵に描いたような理想の子供。比べて末っ子の私は不健康で頭も悪い、絵に描いたような出来の悪い子供。そんな子でも、せめて健康だけは何とかしたいと思うのが親心というものだろう。
だからせっかく良くしようと考えた料理を残されたり、頑張って健康に気を使ったのにまたも具合悪くなる私を見ると、腹が立つ。
いくら頭が悪い私でも、母が不機嫌になる空気は察せた。ご機嫌にいてもらうためには、野菜を残さず全て食べ健康になるしか道はない。だけど、食べれない、腹に入らない、ウンコが出ない。
まさにどん詰まりならぬ、糞詰まりであった。