荒い呼吸のシュバルツは池から這い上がろうとしていた。だが、その前に衛兵たちがシュバルツへと槍の穂先を一斉に向けてきた。
「ククク……よくも僕を追い詰めてくれたでしゅね!」
衛兵たちの壁を割って、ユウナが前に出てくる。彼はニタニタ気持ち悪く笑いながら、こちらへと身体をかがんできた。
彼に髪の毛を掴まれ、そのまま地面に無理やり押し当てれてしまった。
「ぐっ……」
「先生がやられたのは残念でしゅけど、お前の体力を根こそぎ持って行ってくれたのには感謝でしゅ」
ユウナの言う通りだ。対峙したサムライを相手に手を抜けば、こちらがやられていた。それほどの難敵であった。
ユウナがすぐそこにいるというのに、こちらは体力が尽きている。
しかしながら、ユウナを睨んでやった。そうすると、もう一度、力強く、地面に顔を押し当てられてしまった。
ユウナが髪の毛から手を離し、向こうへと去っていく。必死に手を伸ばすが、衛兵が手に持つ槍の尻部分である石突きで、その手を抑えられてしまう。
(何か手がないのか……? ここまで奴を追い詰めたというのにっ)
シュバルツは歯ぎしりした。このままではユウナに逃げられてしまう。だが、身体に力が入らない。
今日1日、ずっとボルドーの街を駆け回っていた。ようやく、ユウナを追い詰めたが、サムライと戦い、彼と仲良く池へと勢いよく突っ込んだ。体力が尽きて当然とも言えた。
「ぐっ……」
視界が一度、大きく揺れた。衛兵が頭頂部をガツンと槍の石突きで殴ってきた。
じんわりと頭頂部に温かい液体が溢れてくるのを感じた。視界がだんだんと暗くなる。池に身体が引きずり込まれていく感覚に襲われる。
その時であった。衛兵たちがこちらから一斉に視線を外したのが見えた。何が起きたのだろうと、衛兵たちが向いている方へと、自分も視線を向けた。
「ひかえおろう! この御方をどなたと心得る!」
「ハーキマー帝国の第二皇子、ハスキー・フランダール様でござるぞ!」
「図が高い! ひれ伏すがよかろう!」
シュバルツの目には3人の男が見えた。3人とも金属製の全身鎧に身を包んでいる。その中でも白銀の鎧に身を包む美しいエルフの男騎士がいた。
エルフの騎士は妖しい雰囲気を放ちつつ、馬上からユウナと衛兵たちを見ている。馬の額にはフランダール家の紋章がでかでかと施されたはちまきが巻かれていた。
「ふっ……まったく、ハスキー殿下はいつもおいしいところだけ、かっさらっていく」
ハスキーが注目を集めてくれている間に、シュバルツは池から脱出する。片膝をついて、ゆっくりと呼吸を繰り返し、体力回復に努める。
いつもの流れなら、ここで知ったことかと悪人がハスキーたちに衛兵たちをけしかける。その通りのことが、今まさにこちらの期待通り、起こった。
「衛兵ごときではハスキー殿下にまで届かぬよ」
シュバルツの言う通り、衛兵は30人ほどいるというのに、ばっさばっさとハスキーの両脇を固める戦士に倒されていく。
2人のいかつい全身鎧の戦士は衛兵たちを殺傷せぬようにと、木製のメイスで圧倒していく。その勇壮な姿に感服してしまう。
「好き放題、やってくれる御方だ。さて、そろそろ、それがしも動こう」
シュバルツは混乱に乗じて、ユウナを探す。ゆっくりと一歩一歩進む。見つけた。ユウナは顔を醜く真っ赤に染めて、怒号を飛ばしている。
そんな彼の横に立つ。ユウナは焦りのためか、こちらに気づきもしない。そんな彼の肩を手で掴み、ぐいっとこちらに無理やり振り向かせた。
「シュバルツ! なんでここに!」
「地獄から舞い戻ってきたまでよ!」
殺すつもりはない。だからこそ、右手を握り込んだ。血が滲むほどにだ。鉄拳を醜い豚のような顔へ向けて突き出した。
「ぶべえええ!」
「よく鳴く豚だ……感謝しておくのだな、ハスキー殿下に」
醜い豚が鼻血を噴き出しながら、空中をぶっ飛んでいった。奴の砕けた歯がキラキラと輝きながら、散らばっていく。シュバルツはニヤリと口の端を歪ませた。
ハスキーが来た以上、ユウナの沙汰はハスキーに任せるしかなかった。卑劣漢を自分の手で始末できなかったのは心残りではあったが、時間をかけてしまった自分が悪い。
その場からゆっくりと立ち去る。池の方に向かった。池のへりには息も絶え絶えのサムライがしがみついていた。
「ほら、手を貸すぞ」
「ちっ、少しは手加減しやがれ」
「おぬし相手に手加減してたら、こっちが殺されていたぞ」
「そりゃそうだ。こっちは本気で斬りにいったからな」
サムライが手を伸ばしてきた。その手をがっしりと掴む。彼を池の外へと出した。お互いに肩を貸しあって、ノワール邸の敷地外へと出る。
2人ともずぶ濡れだ。さらにはそろって、ユウナから報奨金を受け取っていない。まさに骨折り損のくたびれ儲けであった。
◆ ◆ ◆
普段、利用している宿屋へとサムライとともに向かった。その途中、留置所の前を通ることになった。
「ふっ……釈放されたのだな」
留置所の前には人だかりが出来ていた。ブラン家の面々が留置所の外へと出てきていた。ちょうど、そこに出くわしたシュバルツたちだ。
若い男女が抱き合っている。女のほうは涙を流していた。ナタリーだ。彼女はお見合い相手のルイス・ブランに「ひどいことされなかった?」と心配そうに聞いている。
だが、ルイスが彼女に言葉を返す前に、こちらの存在に気付き、駆け寄ってきた。シュバルツは「やれやれ……」と嘆息してしまう。
ルイスはポケットに手を突っ込み、そこからクナイを取りだした。それはブラン邸に置いてきたクナイだった。
ルイスはそれをこちらに差し出しながら、一礼してくれる。
「あなたですね? 自分たちを留置所から出してくれたのは……」
「いいや、ニンジャ違いだ。貴方の日頃の
ニンジャは影に潜む。自分の功績は闇に葬られる。それがニンジャだ。
手柄は全て、ハスキー・フランダールに譲っている。今更、自分がどうこうしたなど、ルイスに告げる気はない。
それ以上は何も言わずに、サムライとともに立ち去った。
「格好つけすぎだろ」
「それがいいんだよ」
サムライになじられた。だが、悪い気分ではない。むしろ清々しい。夕焼けがやけに眩しい。陽の当たる場所に帰ってきたという実感が沸いた。
「彼女にはこの一件、黙っておいてくれよ?」
「言えるわけがないだろ。俺も加担してんだからさ」
「そう言えばそうだったな。しかし、なぜ、ユウナ・ノワールの用心棒なんかしてたのだ?」
サムライが口ごもった。予想通り、引くに引けない事情があったことを彼の仕草から感じ取れた。
しかし、自分たちはパーティ仲間だ。お互いのことをもっとよく知っておかねばならない。だからこそ、答えを催促してみた。
「彼女には10億ゴリアテの借りがある。それを少しでも返そうと思ってだな……」
「あいつは返済してもらうつもりなんて、これっぽちもないと……思うぞ?」
「そうなのだろうが、それでも借りは借りだ。少しでも返済しておきたい」
サムライには悪いが大笑いした。どうしてこうも真面目なのかと思ってしまう。だからこそ、元カノもこのサムライのことを放ってはおけないのだろう。
つい、やきもちを焼いて、サムライのことで元カノと喧嘩してしまったりもする。だが、これもパーティ仲間内ではよく起きる
(これもまた一興。それがしの修行が足りぬだけだ)
シュバルツはサムライとともに宿屋へと戻っていく。その背中にルイスとナタリーの温かい視線を受けながら。それでも、シュバルツは振り向かなかった。
シュバルツはニンジャだ。闇に生きて、闇に死ぬ。秘密は墓場まで持っていく。それがニンジャの生き様だ。