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第6話:ブラン邸(3)

◆ ◆ ◆


「では留守を頼む」

「行ってらっしゃいませ、旦那様」


 次の日、ブラン家は家族総出で舞踏会へと出かける。ルイス・ブランとナタリー・ヴィオレの舞踏会デートにかこつけ、お互いに家族も含めての大交流会となった。


 シュバルツはその様子を燐家の屋根の上から静かに観察した。


 今日はブラン家とヴィオレ家で取り交わされているという商売上の付き合いを徹底的に洗い出す。そうするためにブラン邸の燐家の屋根上で、その機会がくるのをじっと待っていた。


(行ったか。ならば、仕事を始めよう)


 シュバルツはユウナ・ノワールからの依頼を破棄したわけではない。この結婚に黒い影があるというならば、自分が納得する形で決着をつけたかった。


 シュバルツは燐家の屋根上から、ブラン邸の敷地内へと、ムササビの術を使って飛び降りる。


 音もなく地面に着地すると、昨日と同じく勝手口から忍び込む。あるじのいないブラン邸は静かなものだ。


 使用人たちの気配もまばらであり、素肌から感じる様子から、彼女らはすっかりだらけきっているのを察した。


(ここは定番のルイスの父親の執務室で調べ物だな)


 昨日のうちに屋敷の見取り図は頭の中に入れていた。目指す執務室は2階にある。シュバルツは隠れ身の術を使いながら、使用人たちの視線を躱し、執務室の前までやってくる。


 かがんだ状態で木製のドアに耳を当てる。ドアの向こうからはヒトの気配は感じない。シュバルツは楓の葉と股間の隙間に手を入れ、そこからピッキング道具を取り出す。


(さあ、かわい子ちゃん、お股を広げてもらうぞ!)


 シュバルツは元盗賊職だ。宝箱の罠の解除だけでなく、ドアの開錠もお手のものだった。鍵穴にピンセットと細い針金をスッと差し込み、カチャカチャと数秒ほどいじる。


 カチャッという音が鳴る。シュバルツはニヤリと微笑む。ピッキング道具を股間に仕舞って、ドアノブを回す。開いた。執務室の中へとサッと入る。


「くくく……どうということもない」


 シュバルツは執務室の中へ入った後、ドアの鍵をかけた。執務室は何の飾りけも無かった。ブラン家は伯爵家だというのに、華美な装飾はほとんど見受けられない。


 執務室も同じであった。必要なものだけが揃っている。ブラン家のあるじがケチだからというわけではなさそうだ。


 屋敷内を見渡せば、高価な花瓶や肖像画も飾ってある。だが、それは必要な分だけ置いてあるというだけだ。家の権威を装飾品で盛る気がないことを伺わせた。


「さて、どこから探そうか」


 ブラン家のあるじが戻ってくるまで時間はたっぷりある。だが、いたずらに時間をかけるわけにはいかない。


 余計なトラブルを招かないためにも、段取りよく、調査を終えてしまうのが良い。


「まずは書類棚からだな」


 シュバルツは執務室の入り口から向かって、左側にある書類棚へと移動する。てきぱきと手際よく、書類を分別していく。


 書類の1枚1枚を手に取り、関係なさそうなものはそのままにして、ヴィオレ家と繋がりがありそうなものを仕事机の上へと置いた。


「ふむ、これだけか」


 ヴィオレ家は石材屋をやっており、経営状態をつぶさに調べた結果が書かれた書類がいくつかあった。


 シュバルツは数字に明るいわけではない。だが、読まなくては始まらない。眉間に皺を寄せながら、書類の内容をチェックしていく。


「ううむ……年々、ヴィオレ家の商売は傾いている……ぽいな」


 なんとなくだが、そう感じた。次は別の書類を手に取る。こちらはもし、ブラン家とヴィオレ家が共同で事業をおこなった場合に、どうなっていくかの収支予想が書かれていた。


 目を凝らして、数字とにらめっこした。シュバルツは段々と頭痛を感じるようになってきた。


「ふぅ……ブラン家の概算では、勝ち目がある商談……なのだろう」


 関係していそうな書類を読み終えた後、シュバルツは肩に手を置いて、大きく肩を回す。ごきごきという骨が鳴る音がした。一休みしようと、仕事机の椅子に座る。


 するとだ。いくつかある机の引き出しのひとつに鍵穴を見つけた。シュバルツは眉をひそめた。これ以上、数字を見たくないという気分になっていた。


 しかし、こういうところに決定的な秘密の書類が隠されているのは、もはや定番とも言えた。


 シュバルツは股間に手を突っ込み、ピッキング道具を取り出し、開錠を試みる。驚くほど簡単に開いた。


「不用心すぎやしないか?」


 湧いた疑問も一緒にピッキング道具を股間に仕舞う。鍵付きの引き出しをこちら側に引くと、その中に2枚の紙が入っていた。それを机の上に置き、まずはその1枚を手に取る。


 思わず、口の端を歪ませてしまった。


「ほぅ……これはまた、お急ぎのようだ」


 その紙は書状であった。ヴィオレ家からブラン家宛てのものだ。


 書状にはこう書かれていた。


――娘のナタリーとブラン家の長男との縁談を承諾する。ただし、こちらも急いでいる。なるべく早くお見合いの期日を決めてほしい。


 シュバルツはその書状を机の上に置き、もう1枚の紙を手に取る。共同事業に関する契約書だった。名前を書く欄のひとつにブラン家のあるじの名前がすでに書かれている。


 だが、もうひとつの名前を書く欄は何も書かれていない。ここにはヴィオレ家のあるじの名前が書かれる予定なのだろう。


「インクの乾き具合からして、署名したのは昨日の夜だろう。ブラン家は昨日のお見合いで、ナタリーを大層、気に入ったようだな」


 これで納得がいった。ブラン家が家族総出で長男のデートに付き添った理由を。ブラン家はナタリーを政略結婚の道具として見てはいない。


 ならば、彼女がブラン家に嫁いだとしても、何か不都合が起きるとは考えにくい。


「あとは……若い男女の成り行き次第というわけか」


 シュバルツは椅子の背もたれに体重を預ける。椅子がギシッとなったが、気にしなかった。今の彼の心は心地よさで満たされている。緊張をすっかり解いていた。


「ならば……それがしはこれ以上の余計なお節介をする必要はない。2人が決めることだろう」


 シュバルツは目を閉じる。今頃、舞踏会で仲良くダンスをしているルイスとナタリーの姿を想像した。「ふふ……」と口から漏らす。幸せそうな2人を心の中で祝福した。


「さてと……立つ鳥、後を濁さずだ」


 シュバルツは書類を元の位置に戻す。この部屋に侵入者がいたことを悟らせないように現状復帰に努めた。


 それが終わると机の上に乗り、天井板を外す。行きはドアからだったが、帰りは天井裏を伝ってだ。


 シュバルツは真っ暗な天井裏へと移動する。今日は股間を楓の葉1枚で隠しているだけなので、天井へ続く穴で引っかかることもない。


 手際よく、天井裏へと移動した。その後、屋敷の外へと何事もなく出る。


「さてと……得たい情報を手に入れた。ハスキー殿下に会いに行こう」


 シュバルツは一路、繁華街を目指す。


◆ ◆ ◆


 住宅街を抜け、繁華街に入る。現在の時刻は11時。繁華街を歩くヒトはまばらだ。そのため、客引きの店員もいない。


 誰かに呼び止められることもなく、ハスキーの行きつけの娼館の前にまでやってくる。


 だが、次の瞬間、爆発音が遠くの方から聞こえた。シュバルツは目を剥いて、音が聞こえた方角を見た。


「何が……起きた?」


 繁華街を歩く人々も足を止めて、音が鳴った方向を見ている。自分だけが音に気付いたわけではないと知った。


 鈍い汗が背中を伝う。嫌な予感をひしひしと感じた。動揺を隠せないまま、音が鳴った方角を見ていた。


「やあ、シュバルツ。自分も音が聞こえたよ」

「ハスキー殿下!?」

「だから、殿下呼びはよしてくれ……それよりもだ。どうやら、ユウナ・ノワールが動いちゃったようだね」


 ハスキーの視線は空の方へと向いていた。シュバルツはハスキーに誘導させられるように、そちらへと視線を向けた。


 遠くの方で黒煙が立ち昇っていくのが見えた。煙の量からして、火事が起きているのがわかる。


 繁華街が一気に騒がしくなってきた。それに乗せられるかのように、シュバルツの心も一層、ざわついてきた。


「何が起きているのか、教えてくれ、ハスキー!」


 不安感をそのまま、ハスキーにぶつけた。だが、ハスキーは平然とした顔つきのままだ。


「煙が見える方向から察するに、ノワール家の人材斡旋会社だろうね、爆発が起こったのは」

「どういうことだ!? あのクソボンボンとどう繋がると言うのだ!?」


 シュバルツはハスキーを問い詰めた。だが、ハスキーはおかしそうにコロコロと喉を鳴らしている。


 焦れたシュバルツはハスキーの肩に手を乗せて、彼の身体を前後へ揺らす。


 ハスキーの糸目が開く。琥珀こはく色の瞳が妖しい光を放っていた。それを見て、つい、こちらは後ずさりしてしまった。


 こちらの様子を見て、「くくく……」とハスキーが不気味な笑い声を漏らしている。ごくりと息を飲む。ハスキーの次の言葉を待った……。


「ユウナは待てなかったみたいだね。シュバルツが成果を上げるのを。だから、ユウナは焦って、強行手段に出た。まあ、あくまでも推測だけどね」


 ハスキーはあくまでも……と前置きしたが、シュバルツはそうではないという予感があった。あのクソボンボンならやりかねないと思えてしまう。


 ギリッと奥歯を噛んだ。ユウナ・ノワールというあの男が次にやりそうなことが、容易に想像できた。怒りが腹の底から湧いてくる。


「そこまで愚かになれるのか、ヒトはっ!」


 怒りを空に向かってぶちまける。晴れ渡る秋空にシュバルツの怒声が吸い込まれていった……。

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