目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第2話:ちりめん問屋の若旦那

(まずは情報を集めねばならぬな……)


 シュバルツはユウナ・ノワールの屋敷から外に出た後、ボルドーの街で懇意にしている情報通から話を聞くことにした。


 閑静な住宅街を足早に通り抜け、繁華街のすぐ横にある職人街へとやってくる。


 その一角にある店に用があった。店の入口の横には「ちりめん問屋」の看板がある。シュバルツがその店の前までやってくると、店番をやっている老人がこちらに気付いて、近づいてくる。


「シュバルツ殿。今日は何をお求めで?」

「情報だ。若旦那は今どこにいる?」


 老人ははてさて困ったという顔つきになっている。シュバルツは彼の表情から、ここではないどこかの場所に目的の人物がいることを察した。


 ここにいても仕方がない。きびすを返す。すると、その背中に向かって、老人が丁寧にお辞儀してきた。シュバルツは顔を少し横に向けて、こくりと頷いた。


 ちりめん問屋の若旦那の行き先は考えられるだけで3つある。あてずっぽうではあるが、繁華街にある娼館へと向かう。


「天国への扉」という看板が入り口に掲げられた娼館の前に到着したが、そこで二の足を踏んでしまった。


 今はまだ午前中だ。こんな時間からあの若旦那と言えども、娼館にいるとは考えにくい。


 そうこうしていると、その娼館から、きらびやかな着物に身を包んだ、色っぽい妙齢の女性がひとり、外に出てきた。


「あら、シュバルツ様じゃないの。今日は非番? 今から遊んでいく?」

「いや、仕事で立ち寄ったのだ。女将、ちりめん問屋の若旦那が来てないか?」

「察しがいいのね……昨晩からずっといるわよ」


 女将とともに娼館の中へと入る。ここは外とは別空間のように感じられた。色彩をピンクで統一している。


 カウンターには黒いスーツを着た青年の男性がひとりいる。彼に向かって会釈すると、彼は帽子を脱いで、お辞儀してきた。


 昔、世話をしてやったことがある男性であった。その恩をいまだに忘れていないのか、丁寧な対応をしてくれる。


 女将の後を追い、玄関を抜け、さらには娼館の2階に続く階段を登っていく。ピンク色の絨毯に素足が心地よく沈んでいく。店名通り、天国に上っていくような感覚を覚える。


 女将が横に開くタイプの木製の扉の前で止まる。扉の向こう側からはどんちゃん騒ぎをしている音が漏れてくる。シュバルツは「やれやれ……」と首を左右に振った。


 女将が扉を横にスライドさせてくれた。それを合図に部屋の中へと足を踏み入れた。畳が敷き詰められた部屋だった。出身地を思い出させてくれる踏み心地だ。


 しかし、その感触を味わうよりも、まずは鼻を手で覆った。ニンジャマスクをしていても、部屋の中に充満する薬品臭い匂いが鼻を刺激した。


「あれぇ~~~? これはこれは、シュバルツさん。こんなところまで何用で?」


 銀色の髪を爽やかツーブロックにした20代前半の男が酔いどれ気分で、ゴロンと寝転がっていた。


 男を膝枕しながら彼の頬をつんつんとつついている女性がひとり。彼が放り出した足を丁寧にマッサージしている女性がひとりいた。


 シュバルツは男の前で正座をする。そして、頭を深々と下げる。


「ハスキー殿下……貴方に用があってです」

「殿下はよしてくれ。自分はしがないちりめん問屋の若旦那なんだ」


 若旦那の声はけだるそうだった。それでもその言葉に棘を感じてしまう。


 若旦那は着物を着崩した女性2人に介抱されていた。しかしながら、興が覚めたと言わんばかりに身体を起こしてきた。


シュバルツは「むむ……」と言葉を濁す。男の流儀に合わせて、自分も正座からあぐらへと足を組みなおす。


「これは失敬。つい……」

「いつも通り、若旦那で頼むよ~?」


 シュバルツがハスキーと呼んだ男はキセルを手にして、それを口に咥える。彼が息を吸う音が聞こえてきたと同時にキセルの葉を乗せる部分が真っ赤な色に変わる。


 続いて、彼はキセルの吸い口から唇を離し、煙を部屋の天井へ向かって、ゆっくりと吐き出した。その様子をシュバルツは静かに見ていた。


「ハスキーの旦那」

「まあ、待ってくれや~」


 シュバルツは時間がない。一刻も早く、ハスキーから情報を得なければならない。だが、自分の慌てている様子を見ても、こちらの気もしらない体で彼は自身のペースを貫き通してくる。


 ハスキーはキセルを立方体の灰皿へ打ち付ける。カコーンと鋭い音が鳴った。シュバルツは少しだけ動揺したが、身体の表面にそれが出ないように努めた。


 ハスキーは紙の包みを着物の懐から取り出す。三角形に織り込まれた紙の包みを開く。そこには白い粉が乗っていた。それをキセルの火皿にさらさらと注いでいく。


 さらにはタバコ葉を少量、蓋をするように追加で火皿に乗せた。


 ハスキーが火皿の近くに空いた手を持っていく。パチンと指で音を鳴らすと、彼の指先に小さな火の玉が出現した。それを火皿の中に落とす。パチ……と静かな音が部屋の中に響いた。


 それと同時にシュバルツはごくりと息を飲む。この部屋の中に入った時に感じた匂いの10倍も濃厚な匂いが鼻先へと迫ってきた。


(ニンジャマスクのおかげで表情は見られていない……)


 シュバルツの顔には緊張が走っていた。頬が軽くひきつっている。ハスキーがおこなっているのは一種の儀式だ。情報を得るためには、彼の求める行動を取らなければならない。


 ハスキーがこちらに火が入ったキセルを差し出してきた。それを言葉を発せずに受け取る。吸い口に唇を当てた。


(南無三……!)


 ゆっくりと息を吸う。甘ったるい煙が口腔に充満した。しかし、煙をそこで抑えずに、肺の中まで通す。


 血の中に煙が溶けていく感覚を十分に味わう。今までの緊張がどこかへと吹き飛んでいってしまった。


「美味い……」

「上質なタバコ葉に、ちょっと口では言えないお薬を混ぜたからなっ。よし、お前ら、ここからは男だけの話だ。少しばかし、席を外してくれぇ」


 ハスキーの両隣で座っていた艶やかな女性たちが立ち上がる。着物を正して、そそくさと部屋の外へと出ていく。「ごゆっくり」と言って、彼女たちは横にスライドするタイプの扉を閉める。


 女性たちの気配が消えた。扉の向こう側で聞き耳を立てている様子もない。ここにきて、ようやく、身体の緊張を完全に解いた。


 自分の様子をおかしく感じたのか、ハスキーがご機嫌な様子で「かはは!」と笑っている。


「シュバルツさん、待たせたね。何が聞きたいんだい?」

「冒険者ギルドでユウナ・ノワールの依頼を受けた」

「へえ……。面白いことに首をつっこんだんだね」


 ハスキーが座ったままで、身をこちらへと乗り出してきた。シュバルツは「ぐっ」と唸る。腹の底まで見られているような感じを受けたからだ。


「背に腹は代えられぬ。欲しいものがあるのでな」

「300万ゴリアテだっけ、あの依頼。新居の前金にでもするのか?」

「……」


 答えなかった。そこまで言う義理はなかったからだ。ハスキーが「やれやれ」と肩をすくめている。


 しかし、そうした所作をした次の瞬間には、再びこちらに上半身を近づけてくる。


 油断ならぬ男だ、ハスキーは。痛まぬ腹まで探られる可能性がある。用心して、言葉を口にする。


「ナタリー・ヴィオレとルイス・ブランの情報がほしい。破談を頼まれたが、果たして、それが正しいかどうか、それがしにはまだ判断できぬ」

「なるほどね。だが、ユウナ・ノワールはそれだけでは済まさない気……だろ?」


 さすがは情報通のハスキーだ。こちらがひとつ言えば、向こうはこちらの倍以上の情報を持っていることを匂わせてくる。


 キセルの吸い口にもう一度、口をつけ、煙を肺へと流し込む。お薬のおかげで、腹が座った。


「これから、ブラン家の屋敷に乗り込むつもりだ」

「それが良い。自分の掴んだ情報では、今日の午後からお見合いらしい」

「なん……だと!? 話はそこまで進んでいるのか!」


 驚いてしまった。ユウナからはお見合いをする情報を得ていたが、それが今日の午後とは思っていなかった。


 数日中だろうと予測を立てていたが、これでますます時間がないことを知ってしまった。この事実をユウナのクソボンボンが知れば、事態は悪化するに決まっている。


「お見合い会場はどこだ!?」

「ちょうどいいことにシュバルツが向かおうとしているブラン家の屋敷の客間だよ。あの屋敷の客間は庭に繋がっているんだ」

「なるほど……」

「あと、お節介ながら紹介状を書かせてもらうよ。正攻法で正面から行ってもいいし、垣根を飛び越えて、庭へ侵入したっていい」


 ハスキーはお見合い会場へのルートは2つあると親切にも教えてくれた。


 さらには虚空へと手を突っ込み、そこからペンとインクと紙を取り出している。さらさらとその紙の上でペンを走らせている。書き終わると、その紙をこちらへと寄こしてくれた。


「ありがたし」

「いいってことよ。自分とシュバルツの仲だからな。妹のことをよろしくな~」


 シュバルツは立ち上がり、楓の葉と股間の間にある隙間へと紹介状をしまい込む。ハスキーに一礼した後、彼がいる部屋の扉を横へとスライドさせた。


 そんな自分の背中へとハスキーが声をかけてきた。


「こちらでも改めて、ユウナ・ノワールの情報を仕入れておくよ」


 足を止め、ハスキーへと振り向く。ハスキーはひらひらとこちらへと手を振ってきた。こくりと彼へと頷き、任せたという意思を伝える。


 シュバルツは開けた扉から部屋の外へと出る。扉を閉めないまま、急ぎ足で階段を降りた。玄関で艶やかな女性たちが待っていた。彼女たちはこちらの方へ、にこにこと微笑んでくれた。


「いってらっしゃいませー」

「ふっ……行ってきます」


 彼女らに挨拶をすませて、娼館の外へと出る。秋晴れのいい風がシュバルツのむき出しの身体を刺激した。


 秋風は少しだけ冷たさを持っていた。そうでありながらも柔らかい。それが自分の心を落ち着かせてくれる。


 クソボンボンの依頼ということで、油断すれば気持ちが昂り過ぎてしまう。だが、秋風がそんな自分を宥めてくれる。


 ありがたみを感じながら、一路、お見合い会場へと向かう……。

コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?