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第十九話 吸血鬼の根城

「まあ見てろ」


 シュトラウスは崖際まで歩いていくと、懐からナイフを取り出した。

 一体何をするのかと見守っていると、シュトラウスはナイフで自分の手首に傷をつけた。


「ちょっと!?」

「慌てるなリーゼ! これは儀式さ」


 彼は慌てる私を制して儀式と言った。

 ナイフで傷つけられた傷口を下に向けると、彼の手首から滴る血液が数滴海に吸い込まれていく。

 私とセリーヌは固唾をのんで見守る。

 血と海が接触した瞬間、先程までは存在しなかった大量の不思議が突然溢れ出した。


「なにこれ……」


 不思議が溢れて姿を現したのはゲートだった。

 空中に出現した円形のゲート。

 ゲートはその輪郭を無数のコウモリが覆い尽くし、そのコウモリが形どった範囲に出現したのだ。


 これはある種の結界だろう。

 吸血鬼たちが自分たちの城を隠すための結界。


「これがなかに入るための条件だ。血の契約といって良い。吸血鬼の血をここから海にこぼした時にしか、このゲートは現れない」


 ゲートはゆっくりと移動し始め、崖際に立っているシュトラウスの眼の前で停止する。

 コウモリたちは一斉に飛び立ち、夕刻の空に漆黒が映える。

 ゲートには黒い羽と牙の文様が描かれていた。


「さあ行こうか」


 シュトラウスが手首の血液をゲートの文様に沿ってなぞっていくと、ゲートが妖しく赤く光り、重々しい音を立てて開かれた。

 ここからゲートの中を覗き込むことはできない。


「行くわよセリーヌ」

「うん!」


 セリーヌはキリンちゃんの手綱を握って、馬車ごとゲートに向かって走り出す。

 私は馬車に飛び乗り、セリーヌとともに先にゲートの先に消えていったシュトラウスを追う。

 ゲートを潜ると、真っ暗な世界の中をコウモリたちが半円のアーチのように通路を示し、そこをひたすらに進んでいく。


「もうすぐ到着するぞ」


 いつの間にか馬車に乗っていたシュトラウスが囁く。

 確かに暗闇の終わりが見えてきた。


「着くぞ!」


 暗闇の終わりを馬車が駆け抜けると、そこは不思議な世界だった。

 この世でありそうでこの世ではない空間。

 空を見上げれば、まだ日が沈みきってはいないはずなのに満月が輝いている。


 私たちが乗った馬車の立っている場所は、月明かりに照らされた草原だった。

 生ぬるい風が頬を撫で、海の塩の香りが鼻腔をくすぐる。

 眼前には永遠に続いているのではないかと思わせるほど、何もない原っぱが続いている。

 背後を振り返ると、そこには妖しくそびえ立つ黒い城が鎮座していた。


「あれが吸血鬼の根城?」

「いかにも。あれこそが我々吸血鬼の城である、ヴァングレイザーだ」


 ヴァングレイザーと紹介された城は、細長い城だ。

 三本の塔を中心に建てられていて、錆びついた格子状の銅門が立っているが、そこから城を囲うはずの壁は存在しない。

 正確に言えば崩れていて一部しか残っていない。


「ここでなにかあったの?」

「吸血鬼同士の喧嘩でこのザマさ」


 シュトラウスは嬉しそうに笑う。

 その笑顔にはどこか物憂げな雰囲気を感じさせた。


「本当に我々はバカな種族だった。なあ知ってるかリーゼ? 吸血鬼という種族はな、本当に賢くないんだ。吸血鬼は魔物側の生態系の頂点だ。ようするに所詮”魔物”なのさ」


 そう語るシュトラウスは遠い過去を夢想するように、同族のいない城、ヴァングレイザーを見上げた。

 不思議を体内に宿す生態系の頂点が吸血鬼。

 だからこそシュトラウスは所詮魔物と卑下するが、私からしたら彼らはよっぽど賢かったと思う。

 彼らが人間側に平和の肩代わりを申し出たように、人間を単なる食料だとは考えていなかった。

 同じ知的生命体として扱い、時には人間に恋をした吸血鬼だっているのだから。


「知ってるわ。君を見ているとよくわかる」

「なんだと!!」


 シュトラウスは貧血のままプンプン怒っている。

 私は嘘をついた。

 彼らは賢くないと口では言ったが、それはシュトラウスを好ましく思っているからだ。

 ずっと彼と一緒にいて気がついた。

 私のようなはみ出し者にも変わらない態度で接し、私やセリーヌが危機に陥ればどんなに危険なところでも突っ込んでくる勇猛さ。

 だから私は吸血鬼という種族を賢くないと口にした。

 こういえば、きっと彼は怒るだろうから。

 そうやって怒っている彼も愛おしい。


「まあいいさ、結局残ったのは我だけなんだろうからな」


 賢くはないが、結局残ったのは彼だけなのだろう。

 魔物として処理されてしまったのが、現在の吸血鬼の立ち位置だ。

 だがもともと数が少ない種族なのと、滅多に姿を現さないのも相まって、一般の人間たちのあいだでは空想の種族だと思われていたところもある。


「大事に扱ってあげるわね」

「我をペット扱いするな!」


 私はシュトラウスをうしろから抱きかかえ、馬車の中に放り投げる。

 中ではセリーヌが飛びこんできたシュトラウスをキャッチした。


「吸血鬼扱いはしてあげるから怒らないでよ魔王様」


 セリーヌがややふざけた様子で頭を撫でる。

 もはや彼女の方が背が高い。

 吸血鬼たちの根城に、魔女が二人と吸血鬼が一人、そこに馬車引きの魔物が一匹。

 おかしな組み合わせの私たちは、馬車ごとヴァングレイザー城に入城した。

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