城の外に出ると馬車を見張っていた衛兵たちを蹴散らし、キリンちゃんを馬車にくくりつけて逃走を開始する。
まだ追っては来ていない。
いまはまだ混乱状態だろうが、直に追っ手は必ず放たれる。
なぜなら彼は私を殺さなければならない理由ができてしまったのだから。
私が生きている限り、この国から不思議が消えることはない。
「これからどうするんだ?」
馬車に乗ってヘディナを突破したところで、シュトラウスが目を回しながら尋ねてきた。
これからか……。
今は私がキリンちゃんの手綱を握り、シュトラウスとセリーヌは馬車の中にいてもらっている状況。
シュトラウスはウサギの血液が尽きてしまったのか、貧血が出会ったときと遜色ない程度には極まってしまっていて、このままでは灰になって消えてしまいそうだ。
一方のセリーヌも初めて緊迫感のある場面に出くわしたせいもあり、やや疲労の色が見え隠れしている。
「どっかで態勢を立て直しましょう。じゃないといろいろ限界よ」
そもそも長旅でここまでやってきたのだ。
私は大丈夫だとしても、セリーヌは疲労のピークといっていい。
「たしかにな。どちらにしろここから離れたほうがいいのだろう?」
シュトラウスは意味ありげな視線をこちらに送る。
どこかあてがあるのだろうか?
「もちろん。準備をしている間に襲われてしまっては意味がないもの」
私がそう返すと、シュトラウスは馬車からこちらに身を乗り出し、キリンちゃんの手綱を私から奪い取った。
「いい場所がある。ここから二日はかかるが良いか?」
「構わないわ。安全ならそれで」
「よしきた!」
シュトラウスは手綱を振るって、いま逃げている方角からやや南にかじを切る。
「どこに向かうつもりよ」
「我々吸血鬼の根城さ」
シュトラウスは真っ白な顔で答えた。
吸血鬼の根城?
そんなところがこの国にまだ存在しているとは思わなかった。
「他に吸血鬼はいるの?」
私は一番大事なことを尋ねた。
だってそうでしょう? 私なら吸血鬼がいても平気だけど、セリーヌには自衛手段がないのだから。
「いないさ。いまとなっては我しか出入りしていない」
シュトラウスはやや暗い面持ちで前を向く。
この国の吸血鬼はきっともう彼しか残っていないのだろう。
だからこそ彼は旅に出たのだ。
「そこは見つからない場所なの?」
「おそらく大丈夫だ。なぜなら中に入るのに条件があるからな」
「条件?」
「そう、条件。まあ見ればわかる」
シュトラウスはニヤニヤと笑みを浮かべ、相変わらず真っ白な顔でふらつきながら手綱を握った。
キリンちゃんは一心不乱に走り続ける。
この魔物は一体何者だろうと時々思うようになった。
たまたま私がテリトリーにしていた森で捕まえたが、こんな魔物見たことがなかった。
普通の馬車よりも早く移動ができる大きな理由が、このキリンちゃんの馬力にあることは間違いない。
恐ろしいことに、キリンちゃんは目的地を定めると、こちらが止めるまで
走り続けるのだ。
「よくこんな魔物捕まえられたよね」
捕まえた張本人のセリーヌがそう言って笑う。
不思議な魔物だ。
この個体以外、キリンちゃんらしき個体は見ていない。
普通はありえない現象だ。
魔物といえど生態系の中に組み込まれてはいる。
普通の動物の生態系とは違う、不思議をその身に宿す者たちの生態系。その頂点に君臨するのが吸血鬼なのだ。
なのでキリンちゃんがたった一匹しか見当たらないのは不思議でならない。
「このペースなら今日中に着きそうだな」
シュトラウスは感心した様子でキリンちゃんの背中を眺める。
王都ヘディナを出発してからすでに十二時間ほどが経過していた。
彼が到着までに二日かかると言ったのは、普通の馬車で休み休みの話であって、十二時間疾走し続ける化け物の速度ではない。
つまりもうすぐ到着するだろう。
王都ヘディナから南へ進み続けて、平原地帯を越えて森の間を縫うように敷かれた街道を突き進み、気がつけば道なき道を走り続けている。
不思議と周囲に魔物はおろか、動物たちの気配もない。
当然ながら人間の足では追いつけないので、追ってもいまだ見当たらない。
予想するに、あまりにキリンちゃんの移動速度が早すぎて、彼らは私たちを見失ってしまった可能性が高い。
そうなればしばらくは安泰だ。
「ああ、そうだこの辺だ!」
真っ白な顔のシュトラウスが喚く。
この辺だと言われても、目の前には崖がありその向こうは対岸が見えない水の塊、つまり海が広がっている。
「わあ! 海だ!」
疲れて眠っていたはずのセリーヌが馬車から飛び降り、崖際まで走っていく。
私は気をつけなさいと小言を言って、久しぶりに見た海を眺める。
この海の先には、私の知らない土地が広がっているのだろうか?
そこには魔女はいるのだろうか? そもそも不思議なんてものがまだあるのか?
「それでシュトラウス。この辺って、まさか吸血鬼の根城は海底とか言わないわよね?」
「言わないさ。せっかちだなリーゼは。我みたいにドンと構えていれば良いのだ」
ドンと構えろと言っている張本人が、貧血でふらふらなのはどうにかしていただきたい。
「おーいセリーヌこっちに戻ってこい」
「どうしたのシュトラウス?」
セリーヌは大人しく貧血野郎の指示に従い、私たちの元まで戻ってくる。
その表情はウキウキとしていて輝いていた。
そうか、彼女は海を見るのが初めてだった。
「今から根城に案内するのさ」
シュトラウスはにやりと笑い、海と向き合った。