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第十二話 崖下の怪物

 崖下にいる怪物は、心底視界に入れたくない見た目をしている。

 二足歩行ではあるが、口は耳まで大きく裂け、指の間には水かきが広がっている。

 皮膚は薄緑色と紫色が混ざった毒のような色をしており、目は瞳孔が開き切っていた。


「魚を恵んでくれる部分だけに注目したわね」

「当然よ。見た目であれを飼おうなんて思わない」


 マゼンダは腕を組んだまま言い放った。

 彼女の美的センス的にもあまりお気に召してはいないのだ。

 ただ新鮮な魚を入手できる。

 その一点にだけ特化したお願いだ。


「でも捕まえてどうするの? ここに放し飼いにしてたまに取りに出てくる気?」


 私は疑問をぶつける。

 だってそうでしょう? 危険だから結界の中に閉じこもっているのに、魚のために結界からしょっちゅう顔を出していたら、いずれ見つかってしまうかもしれない。


「……やっぱりやめようかしら?」


 どうやらマゼンダは物事を深く考えるタイプではないらしい。

 しかしそうしたら交換条件がなくなってしまう。


「ねえリーゼ」

「どうしたのセリーヌ」


 マゼンダがどうしようか悩んでいる間に、セリーヌが私の視線を崖下に向ける。

 すると恐ろしいことに、崖下の怪物と目があってしまった。


「マゼンダ。今まであれと目があったことは?」

「いいえ、ないわ。ちょっと本当に怖いわね」


 怪物と視線があうことで、彼女は決心できたらしい。

 あんなのは飼いたくない。


「二人とも下がって! ここは私が捕まえる!」

「いや、もう捕まえなくて良いから!」


 セリーヌが私たちを手で制する。

 なんだろうと思えば、なんてことはない。

 崖下の怪物は明らかに私たちに敵意を向けている。


「悪いけど私は捕まえることしかできないから!」


 セリーヌは自信満々に言い放つと、私のおさがりである不死鳥の髪飾りに触れて周囲の不思議をかき集める。

 魔眼を持っているわけではないので、当然ながらこの場の不思議を利用して魔法を行使する。


「私のもとへおいでなさい。私のいうことを聞きなさい。汝は私のしもべとなる」


 セリーヌは、今までにないほど真剣な眼差しで呪文を紡ぐ。

 唱え終えた瞬間、彼女の手のひらから白い光が光の速度で飛び出していき、崖下の怪物に直撃する。

 当たった場所は頭だ。

 彼女の魔法は、魔物の脳内に別の指示回路を増設する魔法だ。

 これにより、本来はなかった設定された者からの指示を必ず守るという魔法が有効になる。


「やったの?」

「うん! これで毒魚は私たちの味方よ!」


 セリーヌはようやく役に立ったと言いたげに、腰に手を当てて仁王立ちしていた。

 しかし毒魚とは、もしかしてあの怪物の名前だろうか?


「ねえ毒魚って?」


 マゼンダがお願いだから予想と違っていてと言わんばかりに尋ねる。


「うん? あの怪物の名前だよ? だって毒みたいな色してるし、魚捕まえるし」


 セリーヌは笑顔でマゼンダの願望を打ち砕く。その間にも毒魚は崖を両腕両足を駆使して登ってくる。

 その姿はどっからどうみても怪物のそれである。


「キャー!!」


 毒魚は崖を登り切って、マゼンダの目の前に着地する。

 悲鳴をあげて尻もちをついたマゼンダの顔を、長い舌でぺろぺろ舐め始める。

 きっと懐いている証なのだが、こうやってみると襲われているようにしかみえない。


「セリーヌ、毒魚はマゼンダのいうことは聞くの?」

「うん。ちゃんと従うよ」

「だってマゼンダ。試しに魚捕ってもらったら?」


 私は顔面をベタベタにされているマゼンダに提案する。

 いうことを聞いたところで魚が捕れなければ意味がないのだ。


「そ、そうね。毒魚、魚を捕ってきなさい!」


 マゼンダがやや叫び気味に指示を出すと、彼女の顔を舐め続けていた毒魚はピタリと動きを止めて、再び崖下の激流に向かって飛び降りていった。


「大丈夫?」


 私は倒れているマゼンダに手を貸す。

 彼女は苦い表情を浮かべながら、ロングスカートの裾で涎でベタベタの顔を拭った。


「ありがとう。もう諦めてあの子を飼うわ」


 マゼンダは崖下を覗き込みながら嘆息する。

 まあ気持ちが分からないわけではない。


「毒魚!」


 突然セリーヌの緊張感のある声が響く。


 私はとっさに魔眼を発動させる。

 何かあったに違いない。


「どうしたの!?」

「あれって四本腕?」


 急いでセリーヌの側に寄ると、崖下では毒魚が四本腕に両腕を切り落とされていた。


「あれが四本腕?」


 マゼンダは恐ろしいものを見るような目で、四本腕を睨む。

 そのあいだに、四本腕は毒魚の腕を口に放り込む。

 むしゃむしゃと咀嚼するその様は、地獄のような光景だった。

 毒魚の死体と血肉は激流に流され、腕を食べ終わった四本腕は私たちを見上げてにやりと笑った。


「おいで」


 私は咄嗟にプレグを呼び出す。

 白銀のオオカミが私のとなりに出現する。


「これがプレグ?」


 マゼンダは白銀のオオカミに目を丸くする。


「ごめんねマゼンダ、当分のあいだ魚は食べれなくなるかも」

「え?」


 私はそう言って指先を四本腕に向ける。

 相手は水の中。

 殺すのは一瞬だ。


「力を貸して……」


 不死鳥のチョーカーに手を当てて、不思議を充満させる。

 威力と範囲を間違えないように、慎重に狙いを定めた。


「こっちにはこさせない!」


 私が何かしようとしていることに気づいたのか、四本腕はその腕をフル活用して崖を登ろうと迫ってくる。

 しかしいくらアイツが早かろうと、雷には勝てるはずがない。


「死になさい!」


 私が一言告げると、白銀のオオカミから紫電が走り、崖下の激流に感電する。

 水の中にいた四本腕は、一瞬で雷に撃たれたように体を震わせそのまま水中で焦げてしまった。


「なんて威力……」


 マゼンダは信じられないと言いたげだ。

 確かに普通の魔女ではこの威力は難しい。

 ましてや彼女は結界専門だ。

 こんな飛び道具は持っていないだろう。


「こんなところにも四本腕がいるなんてね……」


 私は激流に流されていく四本腕の死体を眺めながら、危機感を募らせた。

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