皇帝に会うか会わないかは非常に重要な問題だ。
なにせ私たちは、皇帝に呼ばれてここまでやってきたのだから。
「怖じ気づくもなにも、危ないじゃない? むざむざ両腕を差し出しに行くつもり?」
私が説明すると、シュトラウスは腰に手を当てて笑い出した。
「天下のリーゼ・ヴァイオレットともあろう魔女が、人間の皇帝を恐れるな。いざとなれば殺してしまえばいいじゃないか」
私はあまりに突拍子のない提案に腰を抜かす。
彼があまりにも無害そうだったから忘れていたが、やはり彼は吸血鬼の魔王なのだ。
人間が好きな彼だが、どうやらあの皇帝だけは別らしい。
「急に吸血鬼っぽいこと言い出すわね」
「だって我吸血鬼だもん」
「貧血のくせに強がらないの。相手はここらの魔女を皆殺しにしてる男よ?」
途中からはメイストにやらせていたのでしょうけれど、それまではお抱えの騎士団がやっていたはずなのだ。
ここらの魔女事情は分からないけれど、私ほどではないにしろ強力な力を持った魔女もいたはずだ。それが殺されている現状を考えると、シュトラウスが言ったように皇帝を殺すというのは簡単ではないと思う。
「我が本気になればそのくらい……」
「私の血を吸いすぎると影の魔物に落ちるわよ」
「ふん、そんなもの我がなるものか! 他の吸血鬼共がたるみすぎてるのさ!」
シュトラウスは言い切るが、かつてメイストに率いられていた影の魔物の中には、真祖の吸血鬼も存在したのだ。魔王であるシュトラウスよりも上位の存在が影の魔物に堕ちている以上、彼だっていつそうなるか分からない。
「まあ考えたところで無理ね。私たちが望もうが望まなかろうが、あっちから来るのだろうし」
私を招待した真意は分からないが、絶対的に思うのが好意的な理由ではないということ。
本当にそうであれば期日までに私たちが姿を現さなければ、きっと皇帝は捜索隊を出すだろう。それも殺意を持った捜索隊を……。
「ここから王都ヘディナまではけっこう距離があるわよ? 崖も越えられないだろうし……」
ずっと黙って聞いていたマゼンダが口を挟む。
確かに私たちがあの崖で立ち往生していたのはそれが理由だ。
主に食料が持たないという理由で。
「そうなのよ! だから食料を分けてほしくて」
「良いけど、ただではあげられないわね」
マゼンダが意味ありげに視線を送る。
何を頼まれるかによるけれど、この世の中は等価交換だ。
「もちろんよ。それでなにをすれば良いのかしら?」
「ある魔物を捕まえてほしくて」
「捕まえる? 討伐じゃなくて?」
「ええ。ペット代わりに欲しいのよね」
魔物をペットにしたい?
そういう魔女もいるにはいるが、珍しくは思う。
「自分では捕まえられないの?」
「私の魔法は戦闘向きじゃなくてね。結界に特化してるの」
結界に特化した魔女。
だからこそメイストの目から逃れることができたのだろう。
「まあ良いわ。そういうことならセリーヌの出番ね」
「任せて!」
ようやく自分の出番だとセリーヌは胸を張った。
彼女は魔女になって日が浅い。
そんな彼女が家事系統以外で唯一覚えたのが、魔物を使役する魔法だ。
ここまで馬車を引いてきたキリンちゃんもそうだし、わりとどんな魔物でも使役できるだろう。
「それってどこにいるの?」
「今いる結界から出てすぐの崖の下よ」
「崖の下!?」
私は思わず聞き返した。
崖の下となると激流の中だろうか?
「魚を捕まえる魔物がいるのよね」
「なんでそいつを捕まえたいわけ?」
「だってそいつがいれば魚も取り放題じゃない?」
私はあまりにもシンプルな理由に目が点となった。
「意外とそんな理由なのね」
「案外バカにできない理由よ? 私は街に買い物なんてめったに行けないんだから」
マゼンダの言うことは、確かに考えてみればそのとおりだと思った。
魔女への風当たりが強いこの地方において、魔女が買い物なんて気軽にできるわけがない。
「じゃあさっそく行きましょうか」
マゼンダは将来の魚への期待に胸を膨らませて歩き出した。
「本当にこの下に行くの?」
セリーヌは崖の下を覗き込んで震えた声を発する。
それもそのはずで崖の下は激流が走り、水飛沫が壁にぶつかって豪快に跳ねている。
「水の中じゃなくて、そこに小さな洞窟があるのよ」
マゼンダが身を乗り出して指さす。
彼女の指さす先を覗き込むと、確かに小さめの洞窟の入り口が見えた。
中からは僅かに不思議の気配が漂っていた。
「確かになにかいるわね」
「どうやって行くの?」
セリーヌが不安そうにつぶやく。
まあ私のプレグで飛んでいけばなんとか……。
「もう少ししたら出てくるわよ」
私がプレグを呼び出そうとした瞬間、マゼンダがまさかの一言を放ってきた。
「時間が決まっているの?」
「魚を取るタイミングがなぜか同じなのよね」
「規則正しい魔物なのね」
セリーヌはクスクス笑いながら崖の下をじっと見つめている。
出てきたところをものにするつもりらしい。
「出てきた!」
セリーヌが小さな声で私たちを呼ぶ。
私とマゼンダが静かに崖の下を覗き込むと、目的の魔物らしきものが洞窟から顔を出していた。
「あれがマゼンダの言っている奴であってる?」
「そうよ」
「あれを飼うの?」
セリーヌが確認するのも無理はない。
それだけ件の魔物は気持ち悪い見た目をしていたのだ。