四本腕が根城にしていた洞窟にてキャンプを行い、目覚めた翌日の朝。
村人の一人が意識を取り戻した。
「自分がだれだかわかりますか?」
目覚めたのは二十代ぐらいの青年で、格好から察するに村の警護団の一人だろう。
彼は虚ろな目をしていたが、私が声をかけると徐々に意識が覚醒していった。
「は、はい。俺はジークといいます。警護団に所属していて……ここはどこですか?」
ジークは話し始めたかと思うと、ここが見慣れない場所だということに気がついたのか首を左右に振る。
「ここは君たちの村から半日ほど東に行った先にある滝よ。何も憶えていないの?」
私は少し嫌な予感がして彼の顔をまじまじと見つめた。
何かしらの不思議の残滓があるかと思ったが、今は何も残っていない。
「はい、何も……。この場所に滝と洞窟があるのは知っていましたが、どうやってここに来たのかは何も憶えていないのです」
ジークは混乱した様子で周囲を観察し、同じ村人たちが何人も眠っていることに気がついた。
「一応確認するけど、村の人はこれで全員?」
「……いえ、違います。もっといるはずです」
ジークは何が起きたのか分からないまでも、これがただ事ではないことは理解しており、神妙な顔で私を凝視する。
「あの、失礼ですけど貴女は?」
ちょっと迷った。
魔女であることを明かそうか、それともただの通りすがりを装うか。
少しの迷いは、しかしすぐに霧散した。
魔女であることを隠すと、この先話し難いうえに敵が襲来して来たらどっちにしろバレてしまう。だったら最初から明かしたほうがマシだ。
「怖がらないでくれると嬉しいんだけど、私はリーゼ。魔女のリーゼよ。そしてあの子が私と同じ魔女のセリーヌ。こっちが吸血鬼のシュトラウスよ」
「魔女に吸血鬼?」
ジークは血の気の引いた顔で呟く。
やっぱり怖いよね。
しかしジークは少々考えこむような仕草をし始めた。
「どうしたの?」
不審に思った私は彼に尋ねた。
「もしかして貴女は、あのリーゼ・ヴァイオレット様ですか? ハルムを撃退した英雄の!」
ジークは突如目を輝かせて私に迫る。
ああそうか。ギルドマンが正式にはそう発表していたんだっけ? 余計なことをしないでほしいなんて思ってはいたが、こうなるとあの発表が助けとなる。
「一応そうだけど……怖くはないの?」
私は恐る恐る確認する。
だって私は魔女で彼は人間で……。
「怖くなんてないですよ! 貴女はこの周辺では救国の英雄で、俺たちみたいな若いのは全員貴女を尊敬しているんです。人間に差別されて迫害されてきたのにも関わらず、命を懸けて俺たちを救ってくれたのですから」
ジークの言葉に私は胸の奥が暖かくなるのを感じた。
そうか、どんな差別も偏見も、何か一つの要因でここまでひっくり返るのか。
あれだけ嫌われていたのに、いまでは尊敬の対象となるのか。嘘みたいな話だ。当然、高齢の者たちはそう簡単にはいかないだろう。
きっと変わっていないはずだ。それほどまでに先入観というものは厄介なのだ。
「なら良かったわ。話が早いもの」
私は彼に、村に到着してからの経緯を話し始めた。
「ということは俺たちはこの場所に連れてこられてから、大して時間は経っていないということですね」
ジークは、私が伝えた村の様子からそう推測した。
実際のところは分からないが、見る限りでは何日も経っているような雰囲気ではなかった。
「リーゼ、ちょっといいか」
子供の姿に戻ったシュトラウスが私を洞窟の外に呼び出す。
「どうしたの?」
「血の匂いが僅かにする」
「本当!?」
私は周囲を警戒する。
まだ意識を取り戻していない村人もいるのだ。
戦いになるのならここから遠ざけないと。
「違うリーゼ。もうかなり時間が経った匂いだ」
シュトラウスはそう言って手招きをする。
私は彼に従って洞窟裏の木々の間に入っていく。
風の音も滝のせせらぎも、小鳥の鳴き声すら聞こえてくる。
残酷な現実とは裏腹に、平和の音が耳に届く。
なんとも不思議な感覚だ。
当事者たち以外からしてみれば、いまもただの日常に違いないのだ。
「ここだ」
「……これは二人かしら?」
「ああ、滝壺に沈んでいた腕の数は全部で四本。一致するな」
シュトラウスは顔をしかめる。
私も同じ気持ちだ。
あの四本腕が何をしようとしていたのかは分からないが、とりあえず腕を求めて人間たちをここに連れてきたのは想像できる。
「一旦戻りましょう。セリーヌだけじゃ不安だわ」
私たちは二人分の死体を放置して一度洞窟に引き返す。
洞窟に戻ってみると、村人たちは全員意識を取り戻していた。
村人たちに経緯を説明したのち、何か憶えていることがあるかを尋ねることにした。
「この中に、どうやってここまで来たか憶えている者はいる? 何か不思議な感覚でもなんでもいい。違和感でも構わない」
私はあの四本腕がどうやってここに人を集めたのかが気になった。
それがわかれば、何か解決の糸口が見つかるかもしれないと思った。
「あの……頭の中に声がしたのを憶えています」
手をあげて答えてくれたのは、若い女性だった。おそらくジークと大して歳も変わらないだろう。
「その声はなんて言ってたの?」
私が静かに尋ねると、女性は頭を抱えて震えだした。
少し待って落ち着くと、彼女は淡々と話を始めた。
「最初は女性の声でした。悲鳴のような声が延々と続いて、頭がおかしくなったのかと思い始めた頃に、今度は小さな声でずっと呟くんです。そしてその声は徐々に大きくなってきて、数分間それが続いた後ようやく何を言っていたのか分かったんです」
「なんて言っていたの?」
彼女は一度深呼吸をした後、自分の体を抱きしめたまま答えた。
「貴女のウデを頂戴って」