「人間を洗脳する魔物か。聞いたことないけどな」
シュトラウスはいまだに半信半疑のまま窓の外を見ていたのだが、突然体を硬直させた。
「シュトラウスどうしたの?」
「静かにしろ」
不思議に思ったセリーヌを黙らせ、私たちを手招きする。
静かに窓際に近づき、滝壺の方に視線を向けた。
そこには真っ黒な人型のなにかが立っていて、なんと腕が四本生えている。
あきらかに普通じゃないその存在は、滝壺の中に四本の腕を突っ込んで何かをかき混ぜているように見える。
「あれは魔物なの?」
セリーヌがやや怯えた様子で半歩下がる。
確かに普通の魔物とはほど遠い姿だ。
人間のように二本足で立ちながら、四本の腕を持っている。
背丈は二メートルほどあり、そんな存在が腰をかがめて滝壺の中に全ての腕を突っ込んでいるのだ。
不気味さが凄まじい。
「人間でも魔女でもないし、吸血鬼でもなさそうだ」
「そうなると消去法で魔物かしらね?」
セリーヌの疑問に私とシュトラウスが答える。
あれを魔物とは信じたくないが、他の何かと問われるとなんともいえないので魔物と言うしかない。
「何をやっているのかしら?」
「何かを洗っているみたいに見えるな」
私たちはしばらく見守ることにした。
数分間四本腕の動きを見守っていると、やがて滝壺から腕を離してゆっくりとした動作で歩き出した。
向かう先は滝壺の奥の洞窟のようだ。
「あれが消えたら滝壺の中覗いてみる?」
「マジで?」
「マジで」
私の提案にシュトラウスは顔をしかめる。
あまり乗り気ではないらしい。
まあ私も見たくはない。
なんとなく滝壺の中になにがあるかは想像できる。
「行くわよ」
四本腕が完全に姿を消したのを確認し、私たちは馬車から降りてこっそりと滝壺の中を覗き込んだ。
「セリーヌ、見ちゃダメ」
私は瞬時にセリーヌを滝壺から遠ざける。
「なんで!?」
「見せたくないの!」
セリーヌは不服そうながらも、大人しく引き下がった。
こればかりは見せられるものではない。
「シュトラウス、これって……」
「人間の腕だな。それも右腕と左腕の両方。全部で四本か……」
シュトラウスは冷静に観察していた。
彼からしても気味の悪いもののはずなのだが、彼は構わず滝壺の中の腕に触る。
「恐ろしく綺麗に斬られているな。何らかの魔法か?」
私もシュトラウスの隣に移動して滝壺の中を覗き込む。
驚くことに斬られたはずの腕の断面が、まるで作り物かのように平らになっていて、断面に薄い膜が張っているようにも見えた。
これは力技ではない。
何かしらの不思議が関与していると考えるべきだ。
「危ない!」
セリーヌの声が響く。
私とシュトラウスは背後を確認する間もなく、左右に散開した。
私たちがさきほどまでいた場所に、二振りの剣が叩きつけられる。
「なんで気づかなかったのかしら?」
「さあな。気配を感じなかった」
私たちの視線の先には、四本腕が立っていた。
その四本の腕にそれぞれ別の剣を握っている。
セリーヌがいなければ、私たちはきっと真っ二つになっていただろう。
「気づくのが遅くてごめんなさい! 一瞬で現れたから……」
セリーヌは遠くで頭を下げる。
私たちを見ていたはずのセリーヌがそういうのだから、本当のことなのだろう。
実際、私たちも気がつかなかったのだから。
「あらためて近くで見ると不気味ね。何者か見当もつかない。少なくとも人間や魔女の類いではないようね」
確実に分かるのはこいつが魔物かそれに近しい何かということ。
その不気味さは、コイツの正体不明具合からより強く感じるのかもしれない。
馬車の中から見たコイツの風貌と、いま目の前にして見る風貌に変化がない。
近くで見ているのにも関わらず、情報が増えていないのだ。
一体何なんだろう?
「……う、ウデ」
四本腕は目も鼻も口もない。
そう思っていたのに、口だけが小さく開いて声を発した。
「ウデが……ほ、欲しい!」
最初は何を言っているのか分からなかったが、二回目はハッキリと聞こえた。
腕が欲しい?
「気色の悪い奴だ」
シュトラウスは私に駆け寄り、首筋に牙を立てる。
血液が吸われる感覚。
この一ヶ月は平和だったから久しぶりの感覚だ。
「そうね。気色悪いったらないわ!」
血を与え終わった私は魔眼を解放する。
紫の魔眼。
周囲に不思議を満たす魔眼。
「おいで」
一音節の呪文を唱えると、私の周囲を円形に炎が走り始める。
私のくるぶし程度の高さの炎が一周回り、白銀のオオカミが姿を現す。
まずは様子見だ。
シュトラウスも本来の姿に戻っている。
「腕を寄こせ!」
四本腕は腕を振り回しながら、私たちに向かって飛び出す。
「速い!?」
私はわざと力を抜いて仰向けに倒れ、首を狙って振るわれた二本の剣をギリギリで躱す。
残りの二本の剣が私の両肩を狙うが、それぞれプレグとシュトラウスが防ぐ。
「失せろ」
シュトラウスが静かに呟くと、彼の周囲に血液の球体が無数に浮かび上がり、それらが小さなナイフとなって四本腕に向かって一斉に動き出す。
四本腕は血のナイフを躱しながら、私たちと距離をとった。
「死ぬかと思ったわ」
「今までの敵の中でもっとも速いな」
シュトラウスは血液のレイピアを作り出し、洗練された構えを見せる。
「そうね。ちょっと戦い方を変えようかしら」
私は不思議をかき集めた。