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第二部 第一話 出発の支度

「そろそろ起きてよリーゼ!」


 深いまどろみの中、愛しいあの子の声が聞こえた。

 窓から刺すような日差しが体を暖かく包み込んでいる。

 私を揺り動かすのはセリーヌの声だ。

 もうそろそろ起きないと。


「はいはい起きたわよ」


 私は体を伸ばす。

 寝起きのだるい体に鞭を打ち、ベッドから這い出てリビングに向かう。

 キッチンにはさっきまで私の体を揺らしていたセリーヌがいた。


 相変わらずパンケーキしか作れない彼女は、しかし前とは少し違う。

 彼女は少し前に人間から魔女になった。

 おそらく歴史上でも稀な事だと思う。

 昔ならそういうパターンもあったかもしれないが、近年では魔女は迫害される側の存在だ。わざわざ好き好んで魔女になる者なんていやしない。


「もう不思議に慣れた?」


 私はセリーヌの用意したパンケーキを口に含みながら尋ねる。

 彼女が人間から魔女になってから約一ヶ月しか経っていない。


「もう大丈夫だってば!」


 セリーヌは私が過保護に構うものだから、ちょっと鬱陶しがっているきらいがある。

 もともと過保護気味ではあったのだが、彼女が魔女になってからというもの悪化している自覚はある。

 ハルムを撃退し、セリーヌが魔女としてある意味生まれ変わってからの一ヶ月間、私の彼女に対するそれは、まさに割れ物を扱うように丁寧が過ぎていた。

 その様子を、いまはまだベッドでぐうぐう寝ているシュトラウスが、呆れたような目で私を見ていたのを知っている。


「それよりシュトラウスは起こさなくていいの?」

「だってシュトラウスは朝ごはん食べないじゃん」


 言われてみればそうなのだが、私だけ早く起こされるのはいまいち納得がいかない。

 だが今日は久しぶりに遠出をする予定だ。今日というより、今日ここを出発してしばらく帰る予定はない。


「でも私ももう少し寝てても良かったんじゃない? どうせ出発は昼頃だし」


 私はぶつくさ言いながらパンケーキを食べるが、セリーヌはそんなことはお構いなしに食器を洗っていた。

 彼女のうしろ姿を見て思う。

 なぜかこの一ヶ月で背が少し伸びていた。

 いや、背だけじゃない。全てがやや成長していた。

 人間だった頃は本当に小さな十二歳の女の子だったのに、いまは十五、六ぐらいに成長している気がする。

 それはセリーヌ自身が一番実感しているらしく、ずっと好んで着ていたメイド服のようなフリフリの服が入らなくなってショックを受けていた。

 いまは私の若いころ(一五〇年前くらい?)の服を着ている。


 紫のローブにその身を包み、黒いパンプスが妖しく黒光りしている。

 これがまた意外と似合うのだ。

 やはり何を着るかよりも、誰が着るかのほうが大事らしい。


「準備だってあるでしょ?」


 体が成長した分だけ、彼女の知能も上昇しているようで時折鋭い指摘が入る。

 前までの可愛いだけのあの子はどこにいってしまったのか……まあ今でも可愛いことには変わりないけれど。


「私はもう済ませてある。セリーヌこそ用意は大丈夫なの?」

「あ! そうだった!」


 セリーヌは小さく叫んで自分の部屋に走り去っていく。

 こういうところはまだまだ子供だなと思いつつも、セリーヌの成長を寂しく感じる部分もあったりするのだ。

 もちろんこれから旅に出るのだから、彼女が前よりもしっかりしてくれたのは助かる。それは事実なのだが、なんだか親離れされてしまった気分になる。

 もちろん私の考え過ぎなのだが、ふとした時に寂しく感じるのだ。


「いろいろと考え過ぎだ」


 セリーヌが部屋に駆け込んでいった直後、背後からシュトラウスの声がした。


「まだ寝てても良かったのに」

「あんなに騒がれたら眠っていられるか! それにあのまま寝てたら、我を置いていくつもりだっただろ?」

「…………」

「せめて否定してくれよ?」


 シュトラウスはわざとらしく落ち込むフリなんかしている。

 どっかのお坊ちゃんのような見た目でそれをやられると、こちらの罪悪感が半端ない。


「置いていくわけないでしょ?」

「そうよシュトラウス!」


 私のあとにセリーヌの声が続く。

 いつのまにかデカいバッグを背負ったセリーヌが立っていた。

 その大きさは、彼女本人とそこまで差がないほどだ。


「何をそんなに持って行くつもり?」


 私は不思議に思い彼女の背後に回ってバッグを開けると、中には私があげた魔術書がびっちりと詰まっていた。

 こんな重いのをどうやって持ってきたのだろう?

 頭に浮かんできた疑問を振り払い、バッグの中をさらに深く探っていく。

 するとバッグの一番奥底には、枕が魔導書に潰され押し込められていた。


「絶対にいらないでしょ。魔導書も枕も」

「いるって! その枕がないと寝れないの!」


 あの枕は昔私が使っていたものだ。

 セリーヌは家に来てからずっとあれで寝ていた。


「いい加減、枕離れしなさい」

「この枕がなくちゃリーゼの匂いが感じられないんだもん!」


 セリーヌは大声でとんでもないことを言い出した。

 私の背後ではシュトラウスが腹を抱えて笑っている。


「恥ずかしいこと言わないでよ! それにこれからは同じ布団に寝ることになるからいらないでしょ」

「え、そうなの?」

「旅に出るのよ? 離れて寝てたら危ないじゃない」


 私の言葉を聞いたセリーヌはキョトンとした様子で固まったかと思うと、徐々に嬉しそうな笑みを浮かべた。


「そっか! リーゼの匂い嗅ぎ放題なんだ!」


 じつに気色悪い納得の仕方をされた私は、やや顔を引き攣らせながらなんとかセリーヌの荷物を減らすことに成功する。


「それに魔導書も数冊だけにしなさい。旅先で修行なんてする暇ないわよ?」


 これは本当にそう。

 どうやらセリーヌは旅先でも魔法について学ぶ気満々らしい。


 仕方のない面もあるとは思う。

 私はあまりセリーヌを魔女にはしたくなかったけれど、彼女はずっと魔女というものに憧れていたのだ。

 彼女からすればこの現状は願ったり叶ったりなわけで、そんな彼女は魔法への関心と意欲がそこらの魔女とは段違いなのだ。


 実際、彼女の魔法は意外と早くそれなりになった。

 もちろん実戦経験はないので未知数ではあるが、日常で便利な魔法ならいくつか習得している。

 体に不思議が馴染むのも同時にこなしていたとなると、かなり要領のいい子といえる。


「アンタは荷物はないわけ?」

「我にはこれさえあれば大丈夫なのだ」


 シュトラウスはやや大き目な瓶を見せてきた。

 中は気持ち悪いぐらい真っ赤な液体で充ちている。


「これってもしかして……」

「もしかしてもなにも、旅先で都合よく血液が手に入るかも分からないからな、我はここ数日でこの庭にいるウサギたちをすべて処分して血を集めていたのだ!」

「アンタのせいだったのね!」


 シュトラウスが自慢げに語った直後、私はここ数日の怪奇現象の犯人を見つけることになった。

 セリーヌが庭で大量のウサギの変死体を見つけたというから何事かとも思えば、犯人はいま私の目の前で誇らしげに胸を張っていたのだ。

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