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第四十話 終結

 正面から対峙して、再び確認できた。

 今回のハルム、やっぱり私を意識している。

 まっすぐ前を向いて歩いていたハルムが、いまは私のほうを向いていた。


「こうやって見るととても止められそうにないわね」


 正直、私は死を覚悟してここにきた。

 洋館を出る時にもそれは思っていたが、いまここに立ち塞がることを決意した時、私に生き残るイメージが湧かなかった。

 ありとあらゆる魔法をぶつけても勝てず、シュトラウスの全力と不死鳥の双撃を受けても平然と回復して突き進む化け物。


 そしていまここに立っているのは、魔眼の力を使い切ったただの魔女。

 いや、魔法が使えないレベルにまで落ちたいまの私は、一人の女だ。

 そんな私が単身でハルムに挑むなど、自殺行為も甚だしい。


「だけど私がここで立ち向かうしかないじゃない? レオ・ローゼンの元恋人として!」


 私は最大限の勇気を振り絞り、自身を奮い立たせる。

 もしも本当にこのハルムにレオの意思が残っているのであれば、私が相手をするのが相応しい。

 状況的に仕方がないというわけではなく、これは私とレオの一〇〇年振りの再会なのだから。


 私は横目で、やや離れた位置にいるシュトラウスとセリーヌを盗み見る。

 どこまでこの行為を肯定しようとも、やはり死ぬのが怖いと思ってしまう。

 どれだけ長く生きたところで、結局は死ぬ恐怖からは逃れられないのだと感じた。

 セリーヌに出会う前だったら、きっとこんなに怖くなかったと思う。

 レオを失ってからの数十年、私はずっと無気力に生きていた。

 だけどセリーヌを影の魔物から助けて一緒に暮らし始めた頃から、私は死ぬのが怖くなった。未練ができたのだ。


「ありがとうセリーヌ。きっと貴女がいなければ、死ぬのが怖いだなんて生物として当たり前の感情すら失うところだった」


 シュトラウスと目が合った。

 彼と一緒に暮らし始めたのは本当に最近だ。

 長い時間の中のほんのひと時の同居生活。

 それでもかけがえのない相棒となった。


 セリーヌのことは任せるね。


 心の中でそう呟き、私は両手を広げてハルムに視線を向けた。

 人の三倍はあるハルムが、私の目の前で停止する。

 手を伸ばせば届く距離にあのハルムが立っている。

 不思議な気配がした。

 そしてなぜか恐怖という感情が、私の中から霧散していた。


「君はレオなの?」


 私は呟きながら半分無意識に手を伸ばす。

 私の手がハルムの体に触れた瞬間、視界がブラックアウトした。





「……ここは?」


 少しのあいだ立ったまま意識を失っていた私は、急激に視界が鮮明になる。

 そこは森の中だった。

 しかもよく見覚えのある森の中、私の洋館も見える。

 私の森だ。

 正面にはレオ・ローゼンが立っていた。

 一〇〇年前の姿のまま、ハルムとの戦いに出た時と同じ格好をして私に向かって微笑んでいる。


「そっか、これは夢か走馬灯か」

「いや、これは現実だよ」


 返事のないはずの独り言に返事が返ってきた。

 私はハッとしてレオの顔をマジマジと見つめる。

 信じられなかった。

 また彼の声が聞けるとは思わなかった。


「へえ……喋るタイプの走馬灯ね。最後にしてはいい経験させてくれるじゃない」


 この時間は死ぬまでの夢だと思う。

 だってハルムと対峙して生き残れるわけがないし、とっくの昔に死んだはずのレオとこうして言葉を交わせるわけがないからだ。

 こんなの、死んでいるという説明がなければ納得できやしない。


「俺はここにいるよ。ずっとハルムの中で生きていたんだから」

「ハルムの中で?」

「まあ、この状態を生きていると言えればだけれどね」


 レオの言うことは分からない。

 だけど彼の言葉を信じるのならば、ここにいるレオはその精神だけは本物ということになる。

 決して私の願った都合のいい幻影なんかではない。


「あの日にハルムに飲み込まれてから、目が覚めればこの場所さ」


 レオは事もなげにそう言った。

 目が覚めればこの場所?

 つまり彼は一〇〇年間眠っていたということだろうか?


「じゃあ君からしたらあっという間だったでしょ?」

「そうだね。昨日の今日といった感じだ。だからまったく懐かしさもないよ。ハルムはきっとここ一〇〇年間活動していなかったんだろうね」


 そっか、君は知らないんだ。

 残された私がどれだけの思いで暮らしていたか。

 どれだけ君を諦めるのに時間を費やしたか、君は露ほども知らないのだろう。

 だけどそれは仕方のないことだ。

 むしろ、彼にそんな気持ちを背負わせることなく済んで良かったとも思える。


「ねえリーゼ。君の一〇〇年間を聞かせてよ」


 レオは当時のまま、人懐っこい声で私に声をかける。

 その声を聞くたびに、私の胸は静かに締め付けられた。


「バカなこと言わないでよ。どれだけ長いと思っているの?」

「大丈夫さ、この場所は時間軸の外にあるからさ」


 私はなんの根拠も無い彼の言葉をすんなりと受け入れた。

 本当はこの時間が永遠に続けばいいと、心のどこかで思っていたに違いない。

 そして私は一〇〇年間胸に秘めた思い出を、全て聞かせ始めた。

 一体どれだけの時間になるのだろう?

 話したり、実際に彼に触れてみたり、そんな時間を長々と過ごしていく。





「それでね……」


 どれだけの時間が経ったか分からない。

 私がさらに口を開こうとしたその時、レオが手で制した。

 どうしたのだろう?

 そんな呑気な感想は、少しずつ姿が薄れていく彼の前に静かに飲み込んだ。

 そっか……もうお別れのときか。

 きっとこの空間なりの時間というものがあり、そこで許される滞在時間を使い切ってしまったのだろう。


「本当のお別れだね」

「……そうね。ねえレオ、私もこのまま一緒に消えるのかな?」

「まさか、途中から気がついているだろう? 君は死んでないよリーゼ」


 レオはくしゃりと笑い、私の頭を優しく撫でた。

 久しぶりだ。

 誰かに頭を優しく撫でられるなんて、いつぶりだろう?

 それこそ一〇〇年ぶりぐらいだろうか?

 いや、セリーヌがたまに私の頭をなでていたっけ?


「じゃあ一緒に……」

「それはダメだよリーゼ。君は俺の分まで生きてくれ。それにセリーヌはどうするんだい? 君が彼女の話をする時、とても楽しそうだったから相当大事に思っているんだろう? それに最近増えた新しい同居人の吸血鬼も」


 そう言いつつも、彼の体はさらに薄くなり、もう体の向こう側が見え始めていた。

 空を見上げれば空間に亀裂が入り、幻が溶けていく。

 もう幻想は終わり。


「ハルムは今回だけはなんとか消えるよ。俺の意識と一緒に消える。それで今回のハルムは退けられる。だけど、次のハルムの際はもう何もしてやれないぞ? そもそも俺はここまでだ」


 レオはそれだけ言い残し、粒子となって足元から徐々に亀裂の中に吸い込まれていく。


「レオ!」


 私が最後に差し出した手が彼に触れることは叶わず、彼は粒子となって世界の亀裂の中に消えていった。

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