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第三十七話 ハルム襲来

 シュトラウスの嘘を暴いて眠りにつくこと数時間。

 遠くから異様な何かが迫っている気配で目を覚ます。


「リーゼ?」

「セリーヌは眠っていなさい」


 私は静かにセリーヌの頭に手を乗せ、軽い昏睡魔法で眠らせる。

 この身の毛もよだつ感覚は久しぶりだ。

 間違いなくハルムの気配。

 懐かしい気配の中に、若干レオの気配が混じっている気がする。


「シュトラウス、私の血を吸って」

「ああ」


 シュトラウスは緊張した面持ちで、私の首筋に牙を立てる。

 いつもより気持ち強めに吸われるあたり、シュトラウスも気持ちが昂っているようだ。

 彼の中から渦巻く復讐心が溢れ出る。

 シュトラウスの怒りが強力な不思議となって周囲に漏れ出す。


「復讐の時だな」

「そうね」


 私たちは揃って立ちあがる。

 奇しくもどちらも、愛する人をハルムに奪われた者同士。

 まだ騎士団はハルムの接近に気がついてはいない。

 早く外に出たいと思った私は、シュトラウスを連れて砦の見張り台へ向かう。


「リーゼ様、シュトラウス様!」


 見張りの兵士は私たちの姿を確認すると、ややホッとしたような表情を浮かべた。


「どうしたの?」

「おそらくやってきました」


 見張りの兵士が指さす先には、赤黒い巨人が遠目に見えていた。

 ゆっくりと近づいてくる巨人からは間違いなくハルムの気配を感じる。

 まだ遠目だけれども、その威圧感と天災が迫ってきたという感覚は恐ろしいと感じさせる。


「貴方はギルドマンを呼んできて」

「はい!」


 見張りの兵士は一礼して砦の中に走っていった。


「どうやってハルムを撃退するつもりだ?」


 シュトラウスは視線をハルムから離さないまま私に尋ねた。

 ハルムの撃退方法か、そんなの……。


「そんなの力技しかないでしょ。別に不死身ではないんだし」


 そうなのだ。

 ハルムは別に不死身ではない。

 文明をほとんど吸い取ってしまうせいで、人間からすれば天敵ではあるが、文明を、科学を用いずに戦う、私たち不思議側の者にとっては別に天敵という存在ではない。


「マジか……」


 シュトラウスはどこか遠い目をしていた。

 復讐を考えている彼でさえ躊躇するぐらい、ハルムは強大な敵だ。

 というより誰も戦おうなんて思いもしないため、実際のハルムの強さは知りもしないだろう。


「覚悟は決まった? それならここを離れて、ハルムの方に近づくわよ。ハルムは人間が科学を生み出すということを知っている」


 つまりハルムは科学を吸収するだけではなく、数百年前から人間が科学を生み出すのだと知ってしまった。

 だからハルムは人間までも吸収するように変化していった。

 一〇〇年前に、あれがレオを吸収したように。または数百年前にシュトラウスの愛する人の命を奪ったように……。


「よし行こう!」


 シュトラウスは翼を展開し、私をお姫様抱っこして宙に舞う。


「ちょっと、なんのつもりよ!」

「たまには良いじゃないか。もしかしたら最後かもしれないんだからカッコつけさせろ」


 シュトラウスはケラケラと笑う。

 ちょうどその時、ギルドマンが勢いよくドアを突き破って見張り台へやってきた。


「リーゼ様!」

「ギルドマン、ハルムは人間も吸い込むに違いない。貴方たち騎士団はこの砦で魔物たちを防いで。セリーヌをよろしくね」


 私は事情を簡潔に説明する。

 有り体に言えばこっちは任せて、そこで待機していろという命令だ。


「わかりました!」


 ギルドマンは大きく敬礼する。

 その時、魔法で眠らせていたはずのセリーヌが姿を見せた。

 ちょっと軽くかけすぎたかな?


「リーゼ! シュトラウス!」

「セリーヌ、もしハルムが迫ってくることがあったら、バッグの中の薬を飲みなさい! 絶対よ?」

「分かった! だからリーゼたちも絶対帰ってきてね!」


 セリーヌは珍しいほど聞き分けが良い。

 きっと今回だけは何を言っても無駄だと理解したのだろう。

 セリーヌはバッグの中から薬を取り出して私に見せた。


「ここでお留守番してなさい」


 私はそれだけ言い残し、シュトラウスと共に砦を後にしてハルムがいる方角に向かって飛んでいく。

 森一面が焼け野原になっていて見晴らしが良いとはいえ、たかが人間の三倍程度の大きさしかないハルムを目視で確認できている以上、たいした距離ではなかった。

 シュトラウスに抱きかかえられて数分でハルムの眼前に到着した。


「降ろして」


 シュトラウスは指示通り地上に降り立ち、私は地面を両足で踏みしめる。

 視線の先にはハルム。

 約一〇〇年ぶりの対峙。

 その姿は随分と変化している。

 前は空飛ぶ巨大なクジラの姿をしていたのに、今回は人型だ。しかもそこまで巨大でもない。

 もしかしたらハルムじゃないのではないかと疑ったが、その溢れ出る不思議の量と気配は嘘をつかない。

 私にこいつこそがハルムだと告げている。


 ハルムは赤黒い巨人だった。

 人の形をしているといっても、その顔は兜で覆われていて見ることができない。

 ここから把握できるのは口ぐらいのもので、目や鼻があるのかどうかさえ分からない。

 全身裸といっていいのか分からないが、ただただマグマのような赤黒い表面をしている。


 ハルムは私たちの立っている地点から三十メートルほどの場所で立ち止まった。

 きっと私たちが何者か探っているに違いない。

 そして私たちの特定にたいした時間はかからなかった。


 ハルムが大きく口を開いたかと思うと、生物の声とは思えない何かを発した。

 それは嵐のような風の音に近く、あらためてハルムを天災だと認識した。

 きっとハルムは私たちを敵だと判断し、さらにこの先の砦に科学が、人間がいると判断したのだろう。ハルムの咆哮に呼応する形で、虚空から数多の魔物が生み出される。

 それは私とハルムのあいだの空間に生み出されると同時に、砦の近くの空間でも生み出されていた。


「セリーヌを置いてきたのは失敗だったか?」

「いいえ、大丈夫よ。ギルドマンたち排魔レパール騎士団を信じましょう」


 シュトラウスが砦を振り返って心配そうに呟くが、私は首を横に振る。

 ただの魔物が相手なら彼らでもある程度はもつ。

 たとえ魔物がハルムと同じく文明を吸収するタイプだとしても、ある程度の時間は戦線を維持できるだろう。


「私たちは私たちのできることを精一杯やるわよ。あまり時間はかけられないから」


 私はそういって紫の魔眼を発動させた。

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