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第三十六話 シュトラウスの嘘

 私たちが魔物の群れを撃退してから六時間が経過していた。

 現在私は砦のベッドで横になっている。

 どこか怪我をしたわけではない。

 単純に魔眼を使いすぎたのだ。


「ここまで魔眼を酷使したことなんてなかったな……」


 私はベッドで仰向けになりながら、右手をかざす。

 どことなく血の気が引いている気がする。

 手先は冷たく、色も青白い。


「心配かけてごめんね」


 私の左手はセリーヌがギュッと抱きかかえている。

 トロールたちを一掃したあと、疲労困憊で動けなくなった私をシュトラウスがここまで運んできた。

 セリーヌはずっと私の左手を握り続け、六時間たったいまも放さないでいる。

 それは彼女が眠りについても変わらず、よりいっそう強く私の左腕を拘束したまま眠っていた。

 静かに上下する彼女の体を見て、私は少しホッとした。

 なんとか退けられて良かった。

 まだハルムとの決戦が残ってはいるが、とりあえずこの砦を守ることができた。


「リーゼ様お加減はいかがですか?」


 そう言って部屋に入ってきたのはギルドマンだった。

 ヴァラガンで最初に会った時よりは、いくぶんかマシな顔をしている。

 失った部下たちを受け入れつつ、前を向いて進もうという決意が表情から見てとれた。


「私は大丈夫よ。シュトラウスは?」


 ここにいない者の名前を口にする。

 いつもなら一緒にいそうなものなのに……。


「シュトラウス様なら見張りをしてくださっています」


 シュトラウスが見張り?

 もう私の血の効力も切れているのに危険すぎる!


「すぐに呼び戻して! いまの彼は戦えないの!」

「わ、わかりました!」


 ギルドマンは私の剣幕に驚いて部屋を後にした。

 ベッドが少し揺れる。

 私の声が大きかったせいか、セリーヌが起きてしまったらしい。


「リーゼ! 大丈夫なの?」


 セリーヌは眠そうに目を擦りながら呟く。

 相当心配させてしまったらしい。


「大丈夫よ。私は大丈夫だから、何か食べてきなさい」

「うん」


 セリーヌは大人しく私の言葉通りに部屋を出ていく。

 砦にある厨房では必要最低限の食事を用意しているのだが、セリーヌはここの兵士たちに可愛がられているせいか、デザートらしきものをちょくちょく貰っているらしい。


「リーゼ、我は大丈夫だぞ?」


 セリーヌが厨房に向かった直後、そんな言葉と共に部屋に入ってきたのはシュトラウスだった。


「見張っていたんだって?」

「ああ。いまはギルドマンが代わりに立っている」


 シュトラウスはなんてことなさげな様子で答えた。


「その姿で見張りなんかして、何か起きたらどうするつもりだったの? いまの貴方は戦えないのよ?」


 やや責めるような言いかたになってしまった。

 どうして私はこんなに心配しているのだろう?

 別にセリーヌほど長い付き合いじゃない。

 それどころか勝手に私を尋ねてやってきた吸血鬼だ。

 それなりに一緒に戦っているうちに、情でも芽生えたのだろうか?


「我のことを心配しているのか? 頭でも打ったのか? アンタの心配を受けるのはセリーヌの役割だろう? 我の役割ではない」


 シュトラウスは不思議そうだ。

 それもそのはずだ。いきなり自分に向けられる感情が変わったのだ。


「いいじゃない……ダメ? 心配したらダメなの?」


 私はいまだ自分の感情に戸惑いながらも、押し通すことにした。

 自分の気持ちに正直に、人間たちを守りたいという想いと共に、シュトラウスを家族の一員と認識している自分を大事にしたい。


「まあダメではないが……」


 シュトラウスは苦笑いを浮かべ、照れくさそうに頭をかいて椅子に座る。

 座っている姿を見れば、どこかのお坊ちゃまそのもの。

 魔王と分類される吸血鬼とは誰も思わないだろう。


「ハルムはまだ来ない?」

「まだ大丈夫だと思うぞ?」


 私は尋ねてから気がついた。

 今さらな話だが、そもそもどうして彼は私に忠告をしに来たのだろう?

 彼が私のもとを訪れたのは、ハルムが迫っていると警告するためだった。

 しかしなぜシュトラウスがハルムの動向に気を払っている?

 ハルムは不思議の王だ。

 本来なら不思議側に分類される吸血鬼にはなんの関係もない。

 それなのに彼は、ずっとハルムの再来を待っていたかのようだ。


「ねえ聞いていい?」

「なんだ?」

「どうしてハルムを追っているの?」


 私の言葉を聞いたシュトラウスは顔をしかめる。

 知っている。私はこの表情を知っている。

 ウソがばれた時の顔だ。

 こればかりは人間も魔女も吸血鬼も同じなのだと、妙にしっくりきた。


「はぁ……前に我がどうして人間の血を吸えないか話しただろ?」

「あれでしょ? 人間が好きすぎて吸えないって話でしょ?」

「そうだ。あれは半分本当で、半分嘘だ。我が人間を好きなのは事実だ。それは食料だからとかそういう理由ではなく、遥か昔に人間と恋に落ちたことがあるからだ」


 衝撃だった。

 吸血鬼が人間と恋に落ちるとは思わなかった。

 いうなれば捕食者と被捕食者。

 そこが愛し合うなんて信じられなかった。


「でもそれなら嘘じゃないじゃない。人間を愛してしまったから血を吸えないというのは本当なんでしょ?」


 私はそう言いつつも、彼と最初に出会った時の頃を思い出す。

 彼を私の洋館に連れてきた際、セリーヌを襲わないようにと彼女の首筋を見せたのを憶えている。

 その時、彼はどういう反応だった?


「……怯えてた?」


 私は静かに呟いた。

 そうだ。確かにあの時、シュトラウスは怯えていた。

 そうなるとただ人間が好きだから吸えないというのはいささかおかしい。

 普通は怯えない。

 怯える時というのはつまり……。


「我の愛する人は当時のハルムに殺された。もう何百年も前のことだ。いつしか失った彼女の名前すら忘れてしまった……だけど消えてくれないんだ! 名前は忘れても、彼女の死体から流れ出る血液を忘れられないんだ! 自分のことが嫌になった。愛する人の名前は忘れられても、血のことは憶えていられるのかと、自分の吸血鬼としての本能に嫌気がさした。それからだ、それから、我は人間の血や首筋を見ると、自己嫌悪で恐ろしくなるのだ」


 そう語るシュトラウスの目に嘘はなかった。

 これは本当のことだ。

 全てを吐き出したシュトラウス。

 私は彼が血を吸えない理由を知った。

 簡単に言ってしまえばトラウマだ。

 彼の中で、人間の血や首筋は当時の嫌な記憶を呼び覚ましてしまう。


「じゃあハルムの動向を追っているのも……」


 そうなると彼の目的もハッキリしてくる。

 彼はハルムを……。


「我はハルムを追っている。人間を守りたいという気持ちと、愛する彼女を奪った復讐だ!」


 椅子から立ち上がった彼は拳を握り、力強く宣言した。

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