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第三十話 覚悟

「私が大丈夫かどうかで言えばどうなのでしょうね? 少々参ってしまっているかもしれません」


 ギルドマンは思ったよりも淡々と答える。

 声色から感情が抜け落ちてしまったようにも思えた。


「何があったんだ?」


 黙っていたシュトラウスが声を発した。

 ただ戦局が厳しいだけで、彼がこんなに追い込まれるとは考えにくい。

 それはシュトラウスも同意見だったのだろう。

 セリーヌは私たちの様子を見て黙っている。


「側近で長いこと共にいたビクトールを失ったこともありますが、私は見てしまったのです。怪物ハルムを」


 ギルドマンの顔色からは血の気が消え失せ、俯いていた顔を上げて天井を見上げる。

 彼の様子が定まらない。

 理性をギリギリ保っている状態だろう。


「ハルム!? もう姿を見せたのか!」


 シュトラウスが絶望的な表情を浮かべた。


 ハルム……一〇〇年前に出現し、恋人の命と引き換えに撃退した怪物。

 不思議の集団的無意識の結晶。

 科学を食い散らかし、ハルムが過ぎ去った大地には科学が残らないと言われている。

 超常現象を超える超常の化け物。


「どこで見たの?」


 私は一番大事なことを聞き出す。

 今現在この街にハルムは迫っていない。

 となると彼はどこでその姿を目にした?


「北でいまギリギリで耐えている前線です。私は他の排魔レパール騎士団の面々と一緒に魔物の群れの討伐に向かいました。そこで遭遇したのは魔物だけではありませんでした」


 ギルドマンは一度言葉を切ると震えだした。


「その姿を見た時、我々は硬直してしまいました。想像もできない相手と出会うと、思考が止まるというのは本当なんですね」


 ギルドマンは失笑気味な苦笑いを浮かべる。

 その姿を見て、私は彼の気持ちがようやく理解できた。

 彼が何に打ちのめされているのか、それはビクトールを失ったからでも、ハルムを見たことでもない。ましてや戦局が険しいだなんて関係ない。

 彼はきっと……。


「私は逃げ出してきてしまったのです。リーゼ様に知らせを送るからというもっともらしい理由を掲げて、私は人間の敵う相手ではない怪物から逃げ出した。数多の部下を置いて逃げ出してしまったのです……統括失格です! その行動のせいでビクトールを失い、騎士団の半数はハルムとその魔物たちに殺されてしまいました。私が殺したようなものです!」


 これだ。

 ギルドマンが壊れた理由は単純だ。

 自己嫌悪に陥っているのだ。

 彼は真面目過ぎるが故に、戦場から退いて私に手紙を送った行為以上に、それによってたくさんの死傷者がでたことで責任を感じ過ぎた。

 彼は真面目過ぎた……。


「きっと私が否定しても貴方は自分を責めるだろうから、私は貴方の行動を否定はしないよ? ただ一つ言えるのは行動そのものは正しいということ。私を呼ばずにヴァラガンが飲み込まれていたと思うとゾッとするでしょ? 正しい行動と、その結果はまた別の話よ? しっかりしなさい。いまは自己嫌悪に浸っているヒマはないはずでしょ?」


 ギルドマンはまっすぐ私を見つめながら、私の話を黙って聞いていた。

 きっと彼は救いを求めていたわけではない。

 君は悪くないと言われたくないに違いない。


「貴方がヴァラガンに戻ってきたことで、仲間は死んでしまった。側近のビクトールを含む、実に大勢の仲間を失ったのは事実。だけど貴方がここに戻ってきて、私に手紙を出すことでヴァラガンが救われるのもまた事実!」


 私は一度深呼吸をする。

 シュトラウスと最初に会った時、彼の口からハルムの出現を告げられていた時から迷っていた。

 セリーヌと私の生活に害が及ぶからという理由で戦うと決めていたが、いざ目と鼻の先にあの怪物がいると思うとしり込みしてしまう。

 ここに来る途中、心のどこかでずっと迷っていたのだ。

 ハルムが現れた際、セリーヌとシュトラウスと三人で逃げてしまおうかと。

 実際にそれが可能だし、不思議の担い手である私よりも、科学の街ヴァラガンのほうが優先順位が高いのは間違いないだろうし、科学を飲み込めばハルムは去っていくだろう。

 だから逃げ続けるのも手だと思っていた。

 レオがいなくなったこの街を、命がけで助ける理由などないと思っていた。


 だけど違った。

 私の中には、この街に対する思い入れが多少なりともあったのだ。

 レオが愛した街。

 一〇〇年前のあの日、レオが全てを投げうって守った街。

 ある意味、私とヴァラガンを天秤にかけて街を選んだのだ。


 私は私で、この街の風景をやはり憶えていて、この記憶は何年経っても消えないだろう。

 そして私個人でもこの街の人間たちとのかかわりを持ってしまった。

 死んでしまったビクトールも、目の前に力なく佇むギルドマンも、私にとっては大事な繋がりだ。


「そうか……やはり私にとって貴女は必要な人だリーゼ・ヴァイオレット。あらためてお願いいたします! ヴァラガン統括、ギルドマンの名において、不思議の怪物ハルムを退ける手助けを願いたい!」


 ギルドマンの瞳に光が戻り、普段の様子を取り戻したのを見て安堵したのと同時に少し意外だった。

 彼はいま手助けと口にした。

 一〇〇年前は完全に私とレオに丸投げだったのに、ギルドマンは手助けをして欲しいと提案してきた。

 つまりハルムとの戦いに、彼もなにかしらで関わるつもりらしい。


「手助けって、貴方も戦う気?」

「もちろんです! 死んでいった部下たちのためにも、こんなところで城に引き籠って結果を待つわけには行きません!」


 ギルドマンはさっきまでの様子が嘘のように言い切った。


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