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第二十八話 再度の招集

「リーゼ、もう起き上がっていいの?」

「ありがとうセリーヌ。もう大丈夫」


 魔物の群れの襲撃から一週間が経過していた。

 全身に傷を負った私は、しばらく療養期間を設けていた。

 いくら不思議を操れて不老であろうとも、傷つけば血を流すし、首を撥ねられれば死ぬ。


 セリーヌは珍しく弱った私の姿を見て取り乱し、庭中の薬草を全て引っこ抜いてきた。

 私はそれを見て「あ〜あ、また植え直しか……」なんてセリーヌに聞こえない程度の声量で呟いたのを憶えている。


 セリーヌが軽いパニックを見せてからはや一週間。

 徐々に回復してきた私は、ようやくベッドから立ち上がることにした。


「じゃあパンケーキ焼いてくるね!」


 そう言ってキッチンに走り去っていったセリーヌの後ろ姿を見送りながら、部屋の片隅にひっそりと潜んでいた吸血鬼に視線を向ける。


「何も異常はなかった?」


 視線の先にいるのはもちろんシュトラウス。

 あの戦いの後、私を洋館まで運んだ彼は血液の力がそこで尽きてしまい、普段の少年の姿に戻ってしまっていた。


「異常はないが眩暈がひどい」


 この一週間で彼は一滴も血を吸っていない。

 私がウサギの血抜きをできる状態ではなかったため、彼は貧血を極めている。

 彼もだが、私が寝込んでいるあいだのセリーヌの食生活も気になるところ。

 あの子、パンケーキしか作れないから……。


「あとで血をあげるわね」

「良いのか? 病み上がりだろう?」

「いいのよ。異常はなくても手紙は来ているでしょう?」


 私はシュトラウスをジッと見つめる。

 数秒の沈黙の後、彼はやれやれと言いたげに首を横に振った。


「よく気がついたな。ほとんど寝っぱなしのくせに」

「この家で起きていることはほとんど把握済みよ」

「じゃあ我に聞くなよ!」


 シュトラウスはツッコミながら、懐から手紙を差し出した。

 手紙には見覚えのある円形の紋章が描かれている。

 左右から中央に向かってパイプが伸びていて、その中央には建国の王の顔が描かれた、真人帝国エンプライヤの紋章だ。


「なんで隠し持っていたわけ?」

「セリーヌに見られるわけにはいかないだろ」


 シュトラウスは妙に気遣いができる貧血らしい。

 手紙は私が用意したプレグが運んできたものだ。

 そしてこの前薬を届けた後の手紙となると、いよいよ救援要請だろう。


「まあ確かに……傷だらけで倒れている私への救援要請なんて、あの子が見たら怒っちゃうかも」


 下手したら手紙ごとビリビリに破り捨てかねない。


「読んだ?」

「まさか。他人への手紙を勝手に開ける程野暮じゃない」

「殊勝なことね」


 私は妙に人間っぽくなってきたシュトラウスを見てクスクス笑いながら、手紙をゆっくりと開ける。

 手紙は思ったよりも短い文章だった。

 いや、文章と言っていいのか怪しい程の短文。


「なんて書いてあった?」


 手紙を開いたまま硬直していた私を訝しみ、シュトラウスは尋ねる。


「たった一言だけ書いてあった」

「なんて?」

「”助けて”って」


 私の言葉にシュトラウスは息を飲む。

 この手紙は大都市ヴァラガンの統括ギルドマンからのはず。

 彼は確実に常識人であり、今までの手紙のやり取りを見てもこんな短文で手紙を送ってくるような人物では決してないはずだ。

 となると本当に余裕が無いか、この手紙を送ってきたのがギルドマンではない別の人物なのかだ。


「どうするんだ?」

「当然、向かうわよ。傷もほとんど癒えたし」


 私はベッドから立ちあがる。


「血をあげるというのはそういうことか」

「そうよ。当たり前じゃない。私の血がなければ満足に戦えないのだから」


 彼はどうやらウサギの血を飲まされると思っていたらしい。

 普段ならそうしているが、今回は戦いが迫っているのだ。

 シュトラウスの血液問題はさておき、あとはセリーヌをどうするかだが、ここに置いておくのは難しい。

 魔物たちが押し寄せてきたことを考えると、やはり一緒に連れて行ったほうが良さそうだ。


「セリーヌ、パンケーキ食べたらまたお出かけしましょう」


 私とシュトラウスはキッチンに向かい、セリーヌに声をかける。


「どこに?」

「ヴァラガンよ。今回は覚悟してちょうだいね」

「覚悟?」

「そう、覚悟よ」


 セリーヌは不思議そうに首をかしげる。

 きっと”覚悟”の本当の意味が分かっていないのだろう。


「分かった! よくわからないけど覚悟するね」


 セリーヌはとりあえず頷いた。

 これでいい。

 今はとにかく、今までとは違うってことさえ分かってくれたらそれでいい。


「セリーヌ、貴女にはこれを託すわね」


 私はそう言って革のバッグを手渡す。


「これは?」

「これは薬草とか薬とかそういうものよ。いざという時には、貴女に使ってもらうから」

「分かった!」


 セリーヌは少し嬉しそうに旅支度を始めた。

 なんで嬉しそうなのかしら?


「役割ができたと喜んでいるのさ」


 答えは意外な人物から飛び出してきた。

 まさかシュトラウスが、そんなに子供心を理解しているとは思わなかった。


「意外そうな顔をするな。我がどれだけセリーヌの相手をしていたと思ってる!」

「それもそうね」


 私は変に納得してしまった。

 セリーヌの子守は、いつのまにかシュトラウスの仕事になっていた。

 子煩悩な吸血鬼など、聞いたことがない。


「あのバッグの中身、本当に薬か?」


 シュトラウスは疑わし気な視線を私に向ける。

 勘の良さは流石といったところだろうか?


「薬”も”入っているわ。私がハルム対策を何も講じていなかったとでも思うの?」

「何をする気だ?」

「特別なものでも、逆転の切り札でもないわ。ただあの子を守れるものよ」


 私は答えを濁した。

 できればあまり使いたくないものだから。


「もう向かうの?」


 いつの間にか玄関前に移動していたセリーヌが私に声をかける。

 今回のはシンプルな救難信号。

 急いだほうがいいのは間違いない。


「アンタは?」

「我に準備など不要」


 それもそうだ。

 コイツには上空で血を飲ませればそれでいい。


「おいで」


 私は巨大なカラスを呼び出す。

 前と同じように、三人そろってこのプレグの背中に乗り込む。


「行くわよ!」


 プレグは私の声に反応して宙を舞う。

 行き先は同じくヴァラガン。

 一つ違う点といえば、あちらの状況が相当切羽詰まっているであろうことだ。

 セリーヌのバッグの中身を使わずに済めばいいのだけれど……。


 まだ朝焼けの残る空の下、私たちはヴァラガンを目指して動き出した。

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