「どうするつもり? 貧血のくせに」
私はセリーヌを抱えながら尋ねる。
「簡単だよリーゼ。ちょっと血を頂戴」
そう言ってシュトラウスは、背後から私の首筋に牙を突き立てる。
「痛っ!」
噛まれた瞬間だけは痛みが走ったが、次第に痛みは和らいでいき少しずつ気持ちよさが混じる。
そうか、これが吸血される感覚。
何ともいえない心地よさだ。
私に牙を突き立てたシュトラウスは、数秒間私から血を吸ったあと真っすぐ立ち上がる。
「シュトラウス! 誰も吸っていいなんて言ってないでしょ」
そう言ってふり返った私は目を丸くする。
立って私を見下ろすシュトラウスは、私の知っている姿ではなかった。
背丈は私より高くなり、鮮やかな金髪は変わらないが、胸元が大きく開いた黒いシャツを着こなし、その上からボロボロの漆黒のマントを羽織っている。
さらにマントの胸ポケットには、金の蝙蝠の刺繍が輝き、黒をベースにしたブーツにはところどころ金色の飾りがぶら下がる。
まるで別人。
さっきまで貧血でフラフラしていた人物と同一だとは思えない。
「悪いなリーゼ、我が戦うにはこれしかないのだ」
シュトラウスから感じるのは圧倒的な不思議の量と質。
私から血を吸ったからなのかもしれないが、それでも本人のスペックがなければ到底ありえない出力を誇っている。
「血を吸わせてもらったお礼に、上空の鳥さんたちは任せてもらおうか」
シュトラウスはそう言うと、マントをコウモリの羽のように変化させて宙に舞う。
「さてと、演奏会の時間だ!」
いつの間にかシュトラウスの手にはバイオリンが出現していた。
シュトラウスは優雅な姿勢と仕草でバイオリンを構えると、ゆっくりとした動きから演奏を開始する。
こんな時に何をしているのかと思ったが、遠くにいるはずの鳥たちが次から次へと内部から破裂していく。
あのバイオリンの音色に不思議を乗せて、鳥たちの内部から破壊しているのだろう。
優雅な旋律からは想像ができないほど、えげつない攻撃方法で鳥たちを次々始末していく。
不思議が色を纏って、演奏中のシュトラウスの周囲を黄金色に照らす。
その頭上から破裂した鳥たちの肉片が舞い落ちる様は、幻想的でありつつもどこか狂気的だった。
「まだまだ来るよ!」
いつの間にかセリーヌがシュトラウスを応援していた。
彼女の指さす先には、いまだに大量の鳥たちが飛んでいる。
しかもシュトラウスに狙いを定めて、一斉に急降下し始めた。
生き残った鳥たちだけでも、一〇〇羽はくだらないだろう。
「この我に逆らうか? 魔物風情が!」
シュトラウスはバイオリンを私たちのほうに投げ捨てる。
セリーヌは両手を伸ばしてそれをキャッチすると、大事そうに抱え込んだ。
シュトラウスの両手首から大量の血が吹き出る。
セリーヌは怯えた様子で目をふさぐが、私はその様子を観察し続ける。
あれは鳥たちの攻撃なんかではない。
シュトラウスが自ら行ったことだ。
やがてシュトラウスの血液たちは彼の周囲を漂いながら、形状をどんどん鋭利にしていく。
血液でできた鎌やギロチンのようなものが、シュトラウスの周囲に浮遊し続け、そのまま突進してくる鳥たちの群れに突っ込んだ。
鳥たちの断末魔が響き渡る。
鳥たちはシュトラウスとすれ違っただけで肉片に変えられ、さっきよりも大量の血液を上空に散らかしながら絶命していく。
あの大群を片づけるのに、一〇分もかからなかった。
「アンタ何者?」
私は、敵を片づけて満足そうにカラスの上に戻ってきたシュトラウスに尋ねる。
いまだ大人の姿のまま、全身血だらけで立ち尽くす彼の姿は、まさに吸血鬼そのもの。
しかもそんじょそこらの吸血鬼なんかじゃない。
あれほどまでの戦闘能力を誇る吸血鬼を私は知らない。
「我か? 我は吸血鬼の中でも”魔王”に分類される存在だ」
魔王。
吸血鬼の中でのランクだ。
一番上は真祖と呼ばれるランクだが、魔王はその一つ下ぐらいだったはず。
どうりで強いはずだ。
しかし魔王が、人間が好きすぎて血が吸えないとは滑稽な話ではある。
そのせいで貧血でふらふらなのは笑えない。
「それで、どうして私の血は吸うわけ?」
「だってリーゼは人間じゃないじゃん?」
そう言い放ってシュトラウスは元の少年の姿に戻ると、座り込んで片手をこちらに向ける。
「なに? その手は」
「我のバイオリンを返せ。ようやく不思議を取り込んで作れたのだから」
しかしセリーヌは黙ってバイオリンを抱える腕に力を込めた。
どうやら返す気はないらしい。
「残念だったわねシュトラウス。あれはセリーヌの遊び道具」
「まあ仕方ない。子供のすることだ」
「いまの貴方も子供だけどね?」
「うるさい! この姿の方が生存コストが低いんだ!」
シュトラウスはそう言うと、またゴロンと横になった。
セリーヌはいまだにバイオリンを力強く抱えたまま俯いている。
ちょっと子供にはハードな場面を見せてしまったかな?
それにもしかしたら、両親が死んでしまった時のことを思い出させたかもしれない。
私はそっとセリーヌの頭をなでた。
セリーヌは一瞬ぴくっとした後、安心したように眠りについてしまった。
「なあリーゼ」
「何かしら?」
「セリーヌはなぜお前に懐いている? コイツの親はどうした?」
シュトラウスは不思議そうに尋ねた。
疑問に思うのも仕方がない。
人間嫌いの私がここまで愛していて、逆にセリーヌは恐れられているはずの私にベッタリなのだから。
「セリーヌの親は、影の魔物に襲われて死んだの。その時に彼女を助けたのが私ってわけ」
「……そうか」
シュトラウスは気まずそうに言葉を切り、そのまま沈黙してしまった。
魔物に親を殺された子供なら、そこまで珍しくはない。
しかし”影”の魔物に親を殺された子供など、ほとんど聞いたことがない。
シュトラウスも流石に影の魔物がなんなのかは知っている。
彼の頭の中はいま、言い知れぬ罪悪感がめぐっているはずだ。
なにせ影の魔物というのは、吸血鬼の成れの果てなのだから……。