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第8話「新たな母港、サンディエゴ」

 パナマ運河。

 ヨーキィが庭としたカリブ海の先、中米にあるパナマ共和国のパナマ地峡を削って作られた閘門式運河である。

 ここを通ることで、南米大陸を大きく回り込むことなく、大西洋と太平洋を行き来することが出来る。

 ヨークタウンはカリブ海有数の港であるコロンを抜けて、間も無く最初の閘門であるガトゥン閘門に差し掛かろうとしていた。

 だが。

「どうしよう、そろそろパナマ運河だよー。私、ちゃんと通過出来るかなー」

「落ち着いてください。カリブ海に入るまでの間、さんざん、マニュアルを読んだじゃないですか」

 初めてのパナマ運河通過にあたり、ヨーキィはとんでもない不安に駆られていた。

 わざわざ機関室のフレデリックに会いに来て、そのまま機関室に居座っているほどであった。

「そうだけど、不安だよー。もし万一失敗して運河を塞いじゃったら再開にどれだけ時間がかかるか分かんないよ。すごく迷惑かけちゃうよー」

「そ、そこまで心配します?」

 さて、太平洋とカリブ海では水位が異なるため、水位を上下させる事の出来る閘門という設備を使い、船をエレベーターに乗っている様に上下に移動させることによって通過させる。閘門式運河とはそういう意味である。

 閘門には当然サイズが決まっているため、そのサイズを超えた艦艇はパナマ運河を通過出来ない。

 大西洋と太平洋、どちらも守らなくてはならないアメリカ海軍にとって、パナマ運河が通過できるかは重要であり、多くの艦艇は通過出来るサイズを守って設計されていて、当然ヨークタウンは通過可能であるし、水先案内人という案内人も乗艦してくれるため普通に考えて、運河を通過出来ない、という可能性はない。

 ない、のだが、長く付き合ってきたフレデリックは知っている。ヨーキィは陽気で能天気なように見えて、意外と緊張しいである。

 ノリに乗っている時は強いのだが、うっかり冷静になってしまうと、不安で大変なことになってしまうのである。

 思えば、艦内のクルーに初ライブを披露する時も直前まで吐きそうなくらいの青い顔をしていた。

「パナマ運河と言えば、パナマ運河を抜けた太平洋と言えば、妹のエンタープライズがメインで活動している海域だろう。そいや、妹はどうだったんだ?」

 機関長のジャックが気分を変えてやろうと気を遣ったのか、話題を提供してくる。

「え? エンタープライズ冒険心って言うくらいだから、私みたいに何にでも好奇心満載な人格かと思ったら、エンタープライズ企業みたいな堅物だったよー」

「カバン語ですか、上手いこと言いますね」

「でっしょー。サッチマと文通してる甲斐があるよね」

 フレデリックの感心にヨーキィはえへへと笑う。

「なんだ、じゃああれだけ待望してた妹は可愛くなかったのか?」

「ううん、そんなことない。エンターちゃんは可愛い妹だよ。優秀だし」

 ジャックの問いにヨーキィは首を横に振る。

「ならよかったな。太平洋艦隊に合流したら、妹と会う機会も増えるぞ」

「そっか! じゃあ私、頑張らなくちゃ!」

 ヨーキィがやる気を出す。

 そこへ、伝声管からフレデリックとヨーキィに通達が来る。

 曰く、間も無くガトゥン閘門に入るので艦橋に上がってくるように、と。

 艦橋に行くと、水先案内人が既に到着しており、パナマ運河を通る為の案内を開始してくれる。

 ジャックのおかげでやる気を取り戻したヨーキィはるんるんと歌いながら艦橋にやってきたものだから、水先案内人はこんな軍人らしくない人格モデルもいるものか、と驚いていた。


 結局、ヨークタウンはあっさりとパナマ運河を抜け、サンディエゴに到達していた。

 サンディエゴにはジャックが言っていた通りエンタープライズが寄港していた。

「エンターちゃん! 数ヶ月ぶり!」

 飛行甲板上に移動し、停泊しているエンタープライズに向けて手を振りながら短距離通信を起動するヨーキィ。

「正確には三ヶ月と三週間と二日ぶりですね、姉さん」

 通信を受けたエンタープライズも飛行甲板に姿を現して、目を細めて手を振り返す。


 サンディエゴを母港としている間のフレデリックはこれまで以上に我が世の春だった。

 もちろん、作戦行動中はヨーキィと一緒に艦橋に詰めている必要があったが、それ以外のタイミングではかなりの時間を自由に使えた。

 理由は一つ。ヨーキィにフレデリック以外の話し相手が出来た事だ。言うまでもなく、妹のエンタープライズである。

 フレデリックが呼ばれるのは寄港中にヨーキィ宛に届く手紙を受け取ってヨーキィに見せる時と、ヨーキィの書いた手紙を郵便ポストに投函する時くらい。

「はぁ、最近ヨーキィさんの『ありがとね、フレデリック』って言葉を聞けてない気がする……」

 機関室で主機の調子を見ながらフレデリックが呟く。我が世の春と言いつつ、フレデリックの顔は少し浮かない。

「なんだ、ヨーキィが独り立ちしつつあって寂しいのか?」

 ジャックがそれを聞き笑う。

「え、僕、声に出てました?」

「あぁ、バッチリな。そんなにヨーキィが恋しいなら、妹との会話に混ぜて貰えばいいじゃないか」

「あの二人はマインドスフィアの通信でやりとりしてますからね、僕が会話に混ざるのは難しいです」

 そう言って、フレデリックは機関室に配置されたプラズマインドスフィアを見上げる。

 ガラスの球体の内側で無数のプラズマ・フィラメントが蠢いている。

「もうマインドスフィアが艦艇に搭載されるようになって二十年ほど経つが、未だに不思議だよ。こんなプラズマボールみたいな代物で艦艇に人間そっくりの人格が宿って、しかも通信まで出来ちまうなんてな」

「プラズマボールとは大きさも電力消費量もコストも段違いですけどね」

「まぁな」

「本当、どんなやりとりをしてるんでしょう」

 そう言ってフレデリックが見上げる先でヨーキィのプラズマインドスフィアは激しくプラズマ・フィラメントを発生させ続けていた。


 少し時間を巻き戻し、ヨーキィとエンタープライズの会話を見てみよう。

「ライブ? 姉さん、まだそんなことを言っていたんですか?」

 ヨーキィの言葉に、エンタープライズはそんな言葉を発した。ヨーキィには顔は見えないが、声から呆れ顔であろうことがありありと伝わってくる。

「そんなことって何さー。スターになるのは私の夢なんだからねー」

 そんな声色にヨーキィは不満そうに唇を尖らせる。

「はいはい、すみません。それで、そのライブがどう私への頼み事に関わってくるんです?」

 その声に少し面倒そうにエンタープライズが応じる。

「だからね、大統領が次の対抗演習で優秀な成果を上げたら、ライブの開催を検討してくれるっていうの」

「ほぅ、大統領が」

 エンタープライズは「検討する」と言う言葉に若干の不安を覚えたものの、姉の嬉しそう声色から言い出せずに、ただ感心したような声色で鸚鵡返しする。

「そうなのー。でもね、私、残念ながら優秀ってわけじゃないじゃん?」

「まぁ……その……」

 ヨーキィの直球な言葉に、エンタープライズは言いにくそうに言い淀む。

「そうですね。残念ながら姉さんは平均から大きく抜きん出た空母とは言い難いですね。前回の対抗演習における活躍も事前に私と協議した作戦があったことは大きいです」

「だよねー。私もあの活躍はエンターちゃんのおかげだと思う」

 だから、とヨーキィは続ける。

「お願い! 私の机上演習に付き合って! 後、余裕があれば艦載機制御についてもアドバイスが欲しい!」

「なるほど、そう言うことですか」

 エンタープライズが納得した、と呟く。

「要するに、姉さんがライブをしたいからそのための力をつけるのを私に手伝って欲しい、と言うことですね」

「う……。でも、そうなの! 他に頼れる空母の知り合いはいないし、頼れるのはエンターちゃんだけなの! ダメかな?」

 エンタープライズの直球のまとめに、一瞬たじろぐが、すぐにヨーキィも頷く。

「姉が妹に対してそんな必死に頼み込まないでください、みっともない。いいですよ、引き受けます」

「本当!?」

 パァと、ヨーキィの表情が明るくなる。

「勿論ですよ。ですが、姉さんのライブのためじゃないですからね。姉さんがみっともないと、私の評価まで下がりそうで心配なだけですから」

 その表情が見えてるわけでもなかろうに、エンタープライズは言い繕うようにそう言い返した。

「ありがとうエンターちゃん!!」

「ですが、教えるからにはビシビシ行きますからね。覚悟してください」

 こうして、ヨーキィは妹、エンタープライズから様々な技術やテクニックを教わることになっていたのだった。

 この演習に必死に向き合うが故に、フレデリックに構うことはなくなり、フレデリックが少し寂しい思いをすることは先ほど見た通りである。

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