カリブ海を航行中のヨークタウン級航空母艦ヨークタウンの艦内をフレデリックが駆け足で通り抜けていく。
「ちょ、フレデリックー? 待っててってばー」
ヨーキィがフレデリックを制止しようと、手を伸ばすが、プラズマインドスフィアが生み出した虚像に過ぎないヨーキィの腕はただフレデリックの体をすり抜けるばかりだ。
「艦長、起きてください!」
フレデリックが激しく艦長室の扉を叩く。
一等機関士相当の資格を持つフレデリックではあるが、機関長の頭ごしに艦長の直接直訴に伺うと言うのは、ヨーキィの専属整備士でなければ許されないところだ。
「なんだ騒々しいな」
艦長が扉を開けてフレデリックを迎え入れる。
「大変なんです。火星人が本土を侵略しています」
「何? 火星人?」
人を叩き起こしておいて何を冗談を言っているのだ、と艦長が困惑した表情を浮かべる。
「はい」
対するフレデリックは頷くと同時に、素早く艦長室に配置されたラジオを起動する。
ラジオは最初関係ない音楽番組を再生していたが、フレデリックが周波数を操作し、CBSラジオの周波数に合わせられると、まさにフレデリックが先ほど聞いていた火星人襲来のニュースが流れ出す。
ニュースでは現地に赴いてのレポートが始まっていた。リポーターの声は実に緊張した口調で現地の情報を伝え、スタジオでは専門家やアナウンサーが混乱した状態でその見解を述べている。
「これは……! だが、特に司令部からは連絡は来ていないぞ……」
「そんな……まさか、司令部も既に……?」
艦長が困惑するのに合わせ、フレデリックの悪い想像は膨らむ。
「だから、違うんだって」
そこにヨーキィが口を挟む。
「どうしたんです、ヨーキィさん。今は緊急事態ですよ」
「そうだぞ、ヨーキィ。だが、何が違うと言うんだ」
フレデリックと艦長が二人でヨーキィを振り返る。
「これ、ラジオドラマだよ! オーソン・ウェルズの『マーキュリー放送劇場』!!」
「何?」
艦長が眉を顰める。
『マーキュリー放送劇場』の事は艦長も知っていた。今年の七月に始まったCBSラジオのラジオ番組で、毎週日曜午後八時から一時間放送している。ラジオドラマ番組である。
「確かに今日は日曜日で、時間もちょうど放送時間か。だが……」
ラジオから聞こえてくるあまりに迫真の声はとてもラジオドラマとは思えなかった。
「臨時ニュースでしょうから、元のラジオドラマはキャンセルされたのでは?」
「ふむ、そちらの可能性の方が高そうだな。司令部が既に失われている可能性に備え、第一種戦闘配置。艦載機も直掩を出す準備を」
艦長が伝声管に向けて第一種戦闘配置、即ち臨戦体制の開始を宣言する。
「えぇ……、ラジオドラマなのにー」
ヨーキィのぼやきを無視して、艦内は一気に慌ただしくなっていく。
「何があったんだ? ドイツか?」
機関長のジャックが外を走るパイロットの一人に問いかける。
今年の三月、ドイツはウィーンに進撃しオーストリアを併合している。もし、アメリカに何かをやらかしてくる国があるとしたらドイツだろう、とジャックは考えたのだ。
当時、日本も一年前に日華事変を引き起こし、後の日中戦争を開始していたが、ジャックに限らず、多くのアメリカ人からすればまさか日本が攻めてくるとは考えもしなかった。
「少佐、敵は火星人とのことです。少佐のところの専属整備士が報告したと聞きました」
「グリフィンが?」
「はい、ヨーキィからニュースを聞かされて、大慌てで艦長室の扉をどんどんと叩いて艦長に訴えたとか」
「そうか、呼び止めてすまなかったな」
ジャックがパイロットを解放し、主機へと向き直る。
「艦長、入ります」
その頃、艦長とフレデリック、そしてヨーキィは艦橋に移動していた。
その時には既に、戦闘機が甲板上に展開し、発艦準備を進めているところだった。
順次、戦闘機が発艦していく。
「ヨーキィ、君の直属機も発艦準備を」
「はーい」
まだ不服に思っているヨーキィはせめてもの反抗としていい加減に返事をしつつ、プラズマイクロスフィア搭載の戦闘機を発艦させていく。
アメリカの裏庭、カリブ海上空の制空権がヨークタウンのものとなる。
「現時点では周囲に敵影なし」
「気をつけろ、いつ
「あぁ、火星人なんかに俺達のアメリカを好き勝手はさせない。艦長の指示さえあればすぐにどこまでだって飛ぶぜ」
パイロット同士がそんな言葉を掛け合いながら、周囲を警戒する。クルーの士気は極めて高い様子だ。
「しかし、異世界人の次は異星人か。人間同士の争いだけでも大変だって言うのに」
「おいおい、クルックス人のことを異世界人とか呼ぶと怒られるぜ」
クルックス人。世界戦争中に世界中にプラズマゲートと呼ばれるゲートを出現させ、異世界「クルックス」から現れた地球人類に良く似た人型の知的生命体だ。
彼らは「第三次世界大戦」と呼ばれる戦いから逃げるためにこの世界にやってきたらしく、元の世界についてはあまり語りたがらないため、クルックスと呼ばれる世界についてはまだ詳しく分かっていない。
「そういえば、知ってるか? うちの専属整備士はクルックス人とのハーフなんだぜ」
「え? うそ、そうなの?」
そのやりとりにヨーキィが口を挟む。
「おう、そう聞いたぜ」
「そうなの? フレデリック?」
艦橋にて、ヨーキィがフレデリックに声をかける。
「えぇ、まぁ。そうですよ。父は早くに死にましたから、殆ど知りませんけど」
不思議なことだが、クルックス人には短命の人間が多く、世界戦争からまだ二十年しか経っていないにも拘らず、今も生きているクルックス人は驚くほど少ない。
「ふーん。プラズマインドスフィアに詳しい技師になったのはその辺りの関係?」
「……まぁ、それがないとは言えませんね」
「ふーん、人に歴史ありだねぇ」
より詳しく話を聞こうとしたヨーキィと、そして艦橋にいた人々の元に声伝管を通じて、報告が入る。
ラジオを傾聴するように言われていた通信手のルー・ゴッドフレイ無章兵からだ。
「い、今、ラジオニュースが終わりました。……ヨーキィの報告通り、このニュースは、ラジオドラマです」
時計を見ると、時間は九時に迫っていた。
「……戦闘機隊は帰投せよ。有人戦闘機の帰投が完了次第、ヨーキィの直属機も帰投するように」
「はーい」
士気が高かった裏返しだろう。艦橋内の雰囲気はかなりどよーんとしていたので、ヨーキィは珍しく空気を読んで「だから言ったのにー」と言ったような言葉は飲み込んだ。
それを察したフレデリックは一人、安堵の息を吐く。
この事件はヨークタウンクルーの間で語り草となり、オーソン・ウェルズパニックと呼ばれるようになる。
「でも、分かったよ。次の戦争は異星人との戦争だと思う!」
翌日、ヨーキィはフレデリックにそんなことを発した。
「なんです、それ?」
「だって、『戦争を終わらせるための戦争』も終わったし、アメリカは平和そのものじゃん。次にヨーキィちゃんが戦うとしたら異星人相手だと思うんだよね」
みんなの士気も高かったし、とヨーキィは言う。
『戦争を終わらせるための戦争』とは世界戦争の呼び方の一つであり、先にパニックを起こしたラジオドラマの原作を手掛けたハーバート・ジョージ・ウェルズの著名である。
「そうですかねぇ」
既に世界では戦争が起きている。フレデリックにはそこまで楽観的になれなかった。
ただ、アメリカという国全体を見ると、ヨーキィのような楽観主義者は決して少なくなかった。
ヨークタウンに乗るクルー達でさえ、その多くが、自分達の訓練が役に立つような事態はきっと起きないだろう、と思いながらソーダファウンテンでアイスクリームをすくっていたのである。
そんなわけで、ヨークタウンの初緊急発進はそんなパニックの中で起きたのだった。