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第5話

 しかし、この時代を楽しむと言っても何をすればいいのだろう。歌舞伎は観たばかりだし、浄瑠璃には興味がない。何言ってるのか、台詞が聞き取りづらいからだ。あまりその場のノリを楽しめるタイプではないということは自覚済みなので、昼食をとったらまた折り紙でもしようかな。その場のノリを楽しめていたら、現代では学校に行けていただろうと暗い気持ちを抱えながら蕎麦屋の暖簾をくぐる。

 蕎麦屋はほぼ満員だったが、入るなり皆の目線が僕に向いた。

「最近佐竹の家で匿われている坊ちゃんだ」

「確かに、晃生様に顔が似ている気がするな」

 小さい声ではあるが、僕の耳にはバッチリ聞こえている。というか、晃生様って家の外でも呼ばれているのか……。想像以上に偉い人と同居しているのかもしれない。晃生の生きづらさが、少しは分かる様な気がする。歌舞伎や蕎麦屋に入った時、皆が一斉に注目していたら一挙一動が緊張してしまうだろう。晃生はそれに打ち勝つ強さがある様に見えるが、僕にはない。運ばれてきた蕎麦の味が、まるでしなかった。早く家に帰ろう。


「あら、早かったですね。もう外の空気は吸わなくて良いのですか?」

 佐竹邸に帰ると、紬が出迎えてくれた。家事は終わったのだろうか。

「うん、もういいんだ。外に出ると疲れるってわかったから」

「左様でございますか。晃生様もよく同じことを仰いますよ」

 やはり、有名な人にはそれなりの生きづらさがある様だ。仕事の話をしたがらないのも、そういうことなのかもしれない。

「そうなんだ。僕は部屋で休むね」

「かしこまりました」

 紬はそれ以上言葉を発さなかった。部屋に戻ると、急に疲労感が僕を襲った。畳に寝っ転がると、眠くなってきた。意識が遠のく感覚を味わいながら、目を閉じた。


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