翌日。僕は晃生に連れられ、歌舞伎を観ることになった。折角の休みなのに、いや、だからこそか? 晃生はいつもに増して元気そうにしている。朝食中に「光希、今日は良い場所に連れてってやる」と言われたので良い予感はしなかったけれど……。歌舞伎とか演劇って、観ていると眠くなってきちゃうんだよね。そう思いながら歌舞伎が始まるのを待つ。
「これが俺の一番好きな演目なんだ」
晃生は少年の様に目を輝かせて言う。僕としては歌舞伎はどうでもよくて、早く神社に行きたいのだけれど―― 事はそう上手く運ばない。幕が上がり、役者が躍動し始めた。
その迫力は凄まじく、寝ることなど一切なかった。何を言っているのかは意味不明だけれど、確かに観る価値はある。どうせ現代に帰ったら観ないんだし、今この貴重な体験を楽しむのも悪くないかも……。
観終わると、晃生が「どうだった?」と弾んだ声で訊いてきた。
「凄い迫力だった。げん……いや、何でもない」
危うく現代の話をしてしまうところだった。晃生は歌舞伎で気分が高揚しているのか、僕の失言に気がつくことなく「じゃ、蕎麦でも食うか」と歩き出した。
江戸時代の食べ物にもだいぶ慣れてきた。と言っても、未だに寿司を食べてないのだけれど……。明日にでも食べに行こう。晃生から貰ったお金はまだまだあるのだから。
蕎麦を食べると、胃の中から温まる。寒い時期にはうってつけの料理なのかもしれない。夏にはざるそばを食べれば、ひんやりとした気分も味わえる。意外と実用的な料理なんだな、と一人感心する。これも江戸時代の生活の知恵か。晃生が会計を済ませ、店を出てくると今度は「行きたいところはあるか?」と訊いてきた。ここで「神社に行きたい」と言っても怪しまれるだけなので、「特にないかな」と躱す。
「あ、でもお寿司食べたいかも」
明日にしようと思ったけれど、まだ胃の容量に空きがある。これなら食べられそうだ。
「寿司? いいけど……お前もやっぱり食べ盛りなんだな。よし、ついてこい」
晃生は、はぐれないようにだと思うが僕の手を握り屋台の方へと歩き出した。体格のせいなのかわからないが、晃生は歩くのが早い。僕はそれについていくのがやっとだ。
屋台は、かなり賑わっていた。
「何を食べるんだ?」
晃生に訊かれ、真っ先に「鮪の赤身! あれが美味しいんだよね」と答えると怪訝な顔をされた。
「お前、そんなもん食うほど貧乏だったのか? 鮪の赤身なんて食べねーよ。俺が代わりに注文してやる」
江戸時代では、鮪の赤身を食べないらしい。カルチャーショックだ。
「ほら、鰤。旨いぞ」
晃生から鰤寿司を渡されたので、受け取る。確かにこの時期なら鰤が出回っているのも納得だ。醤油に浸して口に運ぶと、これも旨味がとろける。
「旨いだろ?」
「うん……!」
一貫が現代の物よりかなり大きいが、それも満足感をプラスする要因になっている。
「で、寿司は食った訳だけど……。他にやりたいことはあるか?」
晃生の問いかけに、首を横に振る。
「いや、今日はもう十分。晃生は何かやりたいことあるの?」
「俺はな、光希。お前と江戸を巡りたかっただけなんだ。だからこれで満足ってんなら帰ろうかと。明日は仕事だしな」
「そっか」
晃生は遠い目で何処かを見ている。現実逃避だろうか。将軍に関係する仕事で、しかも若いから想像を絶する大変さなのだろう。そんなことを考えながら、佐竹邸へ歩き出す。僕もようやく、この辺りの地理が頭に入ってきた。