結局散策していても特に気になるものがなかったので、帰ることにした。……のはいいものの、完全に道に迷った。確かに佐竹家は大きいものの、この辺りの家は武家屋敷群なのかどの家もそれなりに広い。連絡手段もないし、詰んだかもしれない。
そうだ、確か晃生は城で働いていると言っていたような——曖昧な記憶を頼りに、僕は空高くそびえる城の方へ歩き出した。空を見上げると、太陽光が眩しい。空気も乾燥しているし、どの時代にも冬ってあるんだな……などと当たり前のことを考えながら歩いていくと声をかけられた。
「光希さん? そっちは城ですよ。晃生さんにご用事ですか」
聞き覚えのない声だ。振り向くと、昨日見た顔が立っていた。光幸か光治の使用人だろう。名前は訊かなかったのでわからないが。
「ええと……用事って訳じゃなくて、道に迷って……」
僕は事の顛末を話した。使用人は、「なら、案内しましょう。ついてきてください」と僕を手招きした。大人しくついていくと、五分もしないうちに佐竹邸に着いた。案外近場をうろついていたらしい。
「そういえば光希様には名乗っていませんでしたね。僕の名前は安吾と申します。光幸様のお世話を任されております。以後お見知りおきを。光希様はこれから、どうされるのですか? 陽は高いですよ」
確かに安吾の言う通り、まだ昼だ。家に居てもやることがないのも事実。紬や優斗を頼れない以上、江戸の町をうろうろするのは厳しいだろう。
「江戸の街はうるさくて、あまり僕には合っていなかったというか……。少しでも静かなところに戻ろうかと……」
「確かに市中はうるさいですものね。ゆっくりお休みください。僕は光幸様の迎えに行きますので、ここで一度お別れですね」
「はい……また後で」
安吾と別れ、家に入る。「おかえりなさいませ。随分と早かったですね」と紬が玄関まで迎えに来てくれた。家の用事はもう終わったらしい。
「うん、ちょっとね。今は一人?」
「いえ、風花さんがいるので一人ではないです。あっ、風花さんというのは光治さんの使用人です」
ということは、昨日対面しているはずだ。女性の使用人……確かに居た。赤っぽい髪が特徴的な、気の強そうな女性。光治も気が強そうだし、似た者同士でくっつけられているのかもしれない。
「そうなんだ。とりあえず、疲れたから休みたいな」
「お茶を淹れましょうか」
「お願いできる?」
はい、と短く返すと紬は台所へと向かっていった。優斗は買い出しに出かけたのか、台所から聞こえてくる音の主は全て紬だ。やがてお茶を持って紬が戻ってくると、「どうぞ」と目の前にお茶を置かれた。茶碗に触れると、まだ熱湯だったらしく熱くて手を引っ込めてしまった。盆の上だったから何事もなかったけれど。それにしても、紬はよくこの茶碗に触れたな……。いくら盆の上に乗せるだけとはいえ。慣れているのだろうか。
数分後、再トライすると熱いものの触れる程度にまで温度は下がっていた。思い切って一口飲むと、茶葉特有の苦みが舌に残った。
「どうですか? 狭山茶があったので、折角ですから淹れてみたんです。味は狭山でとどめさす——とは言いますが、実際美味しいですか?」
「うん、美味しいよ。有難う」
僕の舌には苦すぎる、とは言えなかった。何となく格好つけたかったし、不味くはないからだ。僕の言葉を受けて紬は「二杯目はどうされますか?」とキラキラ輝かせた目で訊いてくるものだから、断れずにもう一杯注いでもらった。二杯目も苦く、緑茶そのものが僕には合っていないのかもしれないと思いだした。普段からミネラルウォーターばかり飲んできたから、こうなったのは必然なのかもしれない。それでも何故か体と心の疲れは消え失せ、活動意欲が湧いてきた。この家の探検でもしたい気分だが、流石にそれはマズいと思い留まる。紬はといえば、そんな僕の様子を不思議そうに見ていた。