「あの、これ本当に全てするんですか?」
私の車酔いもやっと覚めてきた頃、リビングのソファ前のテーブルには沢山の化粧品や手入れ用品が用意されていた
「当たり前でしょー、今日はあなたを磨かせてっめ言ったじゃない」
そして私をソファに座らせて柊さんは気合いを入れるようにうでまくりをする
「……でも流石に多いというか」
確かに磨くと言ってはいたがいきなりこれだけの量は多く思ってしまう
「もー、大丈夫よ、自分でさせるわけじゃないわ、ちゃんとあたしがやってあげるからあたしに任せてればいいのよ、それでもし気に入ったり、自分のポテンシャルとか可愛さに気付けたら少しずつやり方だって教えてあげるから」
言いながら柊さんは既にコットンに何かの液体を染み込ませ始めている
「……はい」
これはもう、全て任すしかないと私は諦めて出来るかぎりやりやすいように背筋を伸ばす
「それじゃあ……あ、ちょっと顔に触ることになるけど我慢して頂戴ね」
一度柊さんは了承を得ると真剣な表情で私の頬にそっと手を添えた
「さて、これで顔は完成かしらね」
ふうっと大きく息を吐いて柊さんは私から少し離れると額を拭う
「大分長いこといろいろされていた気がするんですが……」
あれから何十分経ったろうか
まさかそこまで時間がかかるものとは思っていなかったので時間を確認していなかったが一時間はあれこれとされていた気がする
「だって手抜きしてないもの、全部一から手入れして、お化粧すればこれくらい時間はかかるわよ」
たが柊さんはさも当たり前というように言ってのける
「っていうかなんで柊さんはこんなに沢山化粧品とか持ってるんですか?」
私は机の上に並べられた化粧品関連をもう一度確認しながら聞き返す
「あら知らないの? 最近は男子も化粧していい時代なのよ?」
「いや、それは知ってますけど……それにしては多くないですか? 下手な女子よりたくさん持ってる気が……いや他の人のことはわからないのですが」
今時男子が化粧をすることも多いことはよく知ってるしそれに対する抵抗も欠片もない
私は今まで化粧なんてしてこなかったし友達もいないから他の人のことはわからないがそれでもこんなに沢山持ってるのは女子でも珍しいだろう、ということくらいは分かる
「あー、確かに多いほうかもしれないわね、あたしコスメとか大好きだからつい集めちゃうのよねー、っていうかあたしが普段使ってるやつ使っちゃったけど大丈夫だったかしら?」
何故そんなに沢山持っているのか説明しながら思い出したように聞いてくる
「……あ、はい、柊さんなら」
使った後に言われてももう遅い感はあるが柊さんなのであれば特に問題ないのでそれを伝える
「でた、またそれね……とりあえずはいこれ」
「鏡、ですか……?」
少し怪訝な様子を一瞬見せたがすぐに元の感じに戻って私に鏡を差し出してくる
「ええ、せっかくお化粧したんだから一度見てみたら?」
「……わざわざ見る必要は」
私は鏡を受け取ったものの自分の姿を見るのが怖くてそっと伏せる
「そんなこと言ったらここまでしたあたしがかわいそうでしょー? まぁあたしがしたくてさせてもらったことなんだけど……いいから一度見てみなさいって」
だが柊さんが諦めずにもう一度促すから
「……わかりました」
ここまでさせておいて流石に断り続けるのも申し訳なくなって鏡を覗き込む
「……っ」
そして、息を飲んだ
「どう?」
柊さんは瞳をキラキラさせながら私の反応を待つ
「……柊さんの腕は凄いと思いますけど、や、やっぱりこういうのは私には合わないですよっ!」
私は鏡をテーブルに伏せると慌てて誰に向けてなのかもわからない弁明をする
鏡に写る自分はまるで自分ではないようで、いつもの私とはまるで違って、会社の子達や町を歩く女の子達に少しでも近付けたようで
一瞬心が弾んだのは事実だ
だがそれ以上に昔のことを、嫌というほどに思い出した
初めてした化粧はこんなに上手くなかったけれど、それでも私は
「お、おかしいって……流石にこれで外にはっ、笑われちゃうかもしれな――」
「笑わないわ」
「……え」
必死に意味のない弁明を続ける私に柊さんは何もふざけることなく真剣な声色でそう言った
「よく聞いて、あなたが化粧しても、あなたが可愛い服を着ても、顔を合わせた誰もおかしいとは思わないし笑わないわ」
「なんで、そんなこと……」
分かるんですかって、真剣にそんなバカなことを言う柊さんに言ってやろうと思ったのに
柊さんの顔を見たら、言葉は途中で止まってしまった
「だって世界はあたしを笑わないのよ?」
そんな私の手を柊さんは取って優しく笑ってそう言った
「柊、さんを……」
「男なのに服に気を遣って化粧して、何なら寝る前にはパックも美顔器も使ってるし、日がな休みの1日をデパートのコスメコーナーで過ごすことだってあるわ、それに……こんな喋り方なのに世界は笑わない、だからあなたみたいな可愛い女の子がお洒落して、それを誰が笑うのよ」
柊さんは自虐的な言葉を羅列しているのに
何でか少しも卑屈にも自嘲的にも見えなくて
それに誇りを持っている、ということがただただよく分かった
「……」
それでも私は、自分が笑われる可能性というものを払拭しきれない
柊さんは黙ってしまった私の手にもう片方の手をのせる
「まぁ、きっと何か前例があってそうやって拘っているんでしょうけど……それを無理やり話せともあたしは言わない、直せとも勿論言わないわ、ただ今はそのときとは違うってことをよく覚えていたほうがいいわ、少なくともね、あたしはあなたが可愛くなるために化粧をすることも、自分でデザインしたみたいな服を着ていたとしても、絶対に笑わないわ」
「っ……」
まただ
心臓が強く鳴る
握らしめられたみたいに強く痛む
柊さんは笑わない
その言葉がどうしようもなく心に染みる
他の誰が笑っても柊さんは笑わないでいてくれる
もしかしたらその言葉だけで充分だったのかもしれない
そして、自分のデザインした服を着たいと思っていることを指摘されたことにも驚きが隠せなかった
「本当は、着てみたいんでしょ? だってあんなに愛を持ってあんなにたくさんデザインしてるじゃない、自分で着たくない服をわざわざ仕事でもないのにデザインなんてしないもの」
「……私は」
柊さんの言葉は全くもってその通りだろう
私は、自分がデザインした服だって本当は着たかった
ファッション誌に乗っているような服だって沢山沢山着てみたかった
「さてと、次は服ね」
柊さんはまるで私の心のなかなんてお見通しというようにそう言うと立ち上がった
「服、ですか……?」
初めて泊めてもらったときにティーシャツは借りたが柊さんは見た限り一人暮らしなのに女性ものの服があるのだろうか
仕事柄女性ものの服もあると言っていたがそんなに沢山あるとも思えない
もしかしたら朝言っていた柊さんの妹さんのものがあるのかもしれない
「そうよー、今日はあなたを磨くって言ったじゃない、もちろん化粧で終わりじゃないわ、あ、勘違いしないで頂戴ね、あたしの趣味……というか可愛いものが好きだから女子物の服も持ってるけど別に女装とかに使ってるわけじゃないからね、全部新品よ!」
柊さんはおどけた様子でそこまで言いきってから別に女装男子を否定しているわけではないのよなんて付け足す
だからつい私は
「……っ、ははっ、柊さんなら、そんな可愛い服だって着こなしてしまいそうですけどね」
こらえきれなくなって吹き出してしまった
実際柊さんなら女性ものの服だって綺麗に着こなしてしまうのだろう
「あら嬉しいこと言ってくれるじゃないー、初めてあなた、笑ってくれたわね」
「っ……あ」
柊さんの言葉に慌てて自分の口元を手で覆う
奇しくもまた、久しぶりに笑えたのは柊さんのお陰だった
まぁ柊さんは
「やっぱりあなた、笑ったほうが可愛いわよ、昔も言ったと思うけど……まぁ覚えてないでしょうけど」
覚えていないだろうけど、私が先にそう頭のなかで思ったのに帰ってきた言葉はそれを全否定するものだった
「っ! そ、れは……」
柊さんはあのときのことを覚えているんですか
そう聞き返したかった
「さて、それじゃあもうコーデは決めてあるから持ってくるわね」
しかしそれを聞く前に柊さんは立ち上がって部家を出ていってしまった
そう、あの日……会社で柊さんとたまたま顔を合わせたときのことを