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22.「お前の世界の土砂降りの音は、あの世界の人間にとって、一番心休まる音と同じなんだ」

 ……何処だろう。


 トモミは雨の中、探していた。

 確か、あの時、転がってしまったはずだ。自分の記憶に間違いは無い。見たものを、忘れることはない。

 だけどそれは見つからない。

 もうどの位になるだろう。時間の感覚は無かった。元々薄いその感覚が、何処かへ行ってしまった様だった。

 気がつくと、空は暗くなり、そしてまた明るくなる。だけどその間、ずっと雨は降り続けている。

 おかしい。おかしい。ここにあるはず。ここに無い訳がない。彼女は探し続ける。

 おかしい。おかしい。おかしい。

 雨は降り止まない。


「……探しても、無駄だよ」


 その声は、優しかった。濡れたアスファルト、側溝の脇に生えた雑草の陰まで目を凝らす彼女を、決して、驚かさない様に。だがそれは不可能だろう。彼女は耳に入った声を疑った。違う。これは違う。


「そこには無いよ。お前の探しているものは」


 彼女の身体はこわばる。そう、その声の主が、今、自分の後ろに居る訳など無いのだ。


「トモミ」

「……違う」


 うめく様な声が彼女の口から漏れる。


「これは先輩の声じゃあ、ない」

「俺だよ」

「違う!」


 彼女は勢い良く立ち上がる。そしてゆっくりと振り返る。


「先輩は死んだんだ。ワタシの前に、今、居る訳が無い」

「……じゃあ俺は誰? 今お前の目の前に居る、この俺は誰?」


 ざあああああああ。

 低い音が、彼女の耳を通り過ぎて行く。それはとても優しい音だ。


「……それでも、嘘だ」

「嘘じゃない。俺はここに居る」


 ほら、と差し出される手に、彼女はつられる。手を伸ばす。それを見て彼は、少しだけ苦笑した。彼の知っている彼女は、決してこんな風に手を取ったりしなかった。


「ほら、ここに居る」

「でもそんな訳はない…… 先輩は死んだ。どうしようもない、それは事実だ」

「そう」


 ざあああああああああ。


「俺は死んだよ」


 倉瀬はそうトモミに告げた。


***


「さて」


 ふっ、とその場は薄暗くなる。

 倉瀬は一人掛けのソファの上で、がくん、と肩を落とし、両手で顔を伏せた。最後の光景はさすがに彼にとって、衝撃が強かった。


「ふうん。やっぱりショックか?」


 顔を上げると、管理人は長いソファでなく、一人掛けの重厚な椅子の上で腕と、長い足を組んでいた。当然だろう、と倉瀬は絞り出す様に返事をする。


「じゃあ喜べ」


 何を喜べって言うんだ。彼は管理人をにらみ付けた。


「そんな目するのはまだ早いって言うの。いいか、お前の『妹』は死んじゃいないんだよ」


 え、と彼は思わず目を大きく広げた。


「死んで…… いない…… って…… 死んでないっ、て、言ったか?」

「あーそうだよ。死んじゃいない。ただ、そのせいで、歪みが生じてしまってるんだ」

「歪みって、……でも、あんたの言う歪みは……」


 確か、最初に見せられた、あれは。


「そーだよ。あの、捜し物している方の彼女。あれはお前と同じ、精神しか無いモノだ」


 何だって、と倉瀬は腰を浮かせた。


「だけど、さっきも言った様に、死んじゃいないんだ。身体はちゃんと生きてる。ほら」


 管理人は一度消した「リモコン」をもう一度ONにする。映像は二つ、横並びに浮かび上がった。一つは雨の光景。そしてもう一つ。


「これは同じ時間の、違う場所。こっちがさっきも言った様に、『歪み』」


 雨の光景を管理人は指す。


「……で、こっちが、彼女の本体」


 本体? 倉瀬は立ち上がり、「本体」の情景に駆け寄った。

 病院だった。集中治療室のベッドの上で、彼女の身体は眠っている。機械に映し出されているその生命反応は、決して強くは無い。

 そして、その様子を不安そうに、ガラスの外で見ているのは―――


「あんな風に、精神と肉体が遊離してしまうのは、そう多くは無い。肉体が死ねば、精神は行くべき場所へ行く。分離したまま戻れなかったり、精神だけが残ってしまう場合の多くは、その時所属している世界に対しての拒否反応だ。いや、正確に言えば、元の世界への回帰本能からだ」

「元の世界?」


 どういう意味だ、と彼は問いかけ……


「あ」


 ―――実はね、僕等は十二年前にこの世界に飛ばされてきた異世界人なんだよ―――


「さて、お前と彼女の親父が出会った時より十二年前の時点、というと……」


 ふっ、とその時、闇に隠されていた、多数の世界と時間が姿を現した。


「……ああ、ここか。―――なるほど、だったら、確かにつじつまが合う」


 ほれ、と管理人は彼を手招きする。


「ほら見ろ。ここ、だ。近づきすぎなんだよ」


 一本は、彼が居た世界のチューブ。もう一本は、全く別のチューブ。二本は管理人の指さす所で、触れるすれすれまで近づいていた。


「近づいてちゃ、まずいのか?」

「ただ近づいているだけ、ならな。ただ、虫食いが起きてる」

「む、虫食い?」


 倉瀬は思わず、子供の頃見た、実家の害虫駆除を思い出した。


「そう。俺の居るここ、に巣くってる虫」

「そんな…… それじゃ、あちこちが食われて大変なことになるんじゃ」


 怪訝そうな顔で、倉瀬は問い返す。


「穴は空くさ。ただ、穴が空いたところで、次元と時間って奴は、そうやわじゃない。自己修復能力があるんだぜ。これはこれで、生きてるんだ。それに世界は、それぞれ絡まらない様にある程度の距離を開けてるはずだ。普通は、な。だけど」


 管理人は苦笑しながら、接近する地点を指さした。


「ここまで近づいてしまうことは滅多に無い。ただ、たまたまその近づいたところに虫食いの穴が空いていたら?」


 判ったか? と管理人はにやりと笑った。


「そう、お前の『妹』は、お前の世界じゃなく、そっちの世界の住人だった」

「そんな」


 彼はがくん、とその場に膝をついた。


「ホモ・サピエンスが『地球』をとりあえず支配してる様な、お前等と変わらない世界は、ここには幾らでもある訳よ。彼女が居たのは、かなりお前等と似た連中の支配する世界だ。ただ、似てても同じということじゃあない」

「違うのか?」

「外見はまるで変わらない。ただ、お前等とはやや脳の構造が違う。途中まではお前等と変わらない。ここもお前等の世界の様に文明を発展させてきたんだが――― させすぎた」

「させすぎた、って」

「戦争さ」


 管理人はぽん、と言う。


「無論お前等の世界にもある。悪くはないさ、闘争心も。それだけ外の世界に対して前向きってことにもなるからな。ただ、そうしない世界もあった、ということだ」

「そうしない…… 世界」

「こっちの世界は」


 そう言って、接近するもう一本のチューブを管理人は指した。


「ある程度人間が死に、ある程度母星の自然が破壊された時点で、戦争そのものを凍結しようとした。そこで何をしたと思う?」

「国同士で…… 約束を結ぶとか」

「ばーか。そんなもの。いつだって破れる。人間が人間である以上。嘘をつける、駆け引きができる、そういう生物である以上」

「まさか」


 彼女は、嘘が、つけない。


「そのまさか、さ。ここの世界の連中は、世代交代ごとに、調整を繰り返して行ったんだ」

「で、でも、彼女のお父さんは、作家で」


 しかも、エンタテイメント作家だった。もし嘘をつけないのだったら、それは不可能ではないだろうか。


「記憶の中に大量にある向こうの本をこっち流にアレンジしただけさ。人間の様に、完全な『嘘』にすることはできない」

「じゃあ…… 教育係ってことも」

「ああ。あの世界には親とか子という概念が無い。子供は皆、遺伝子上の親からは離され、教育係によって育てられる。調整されてしまった彼等には、お前等の様な、肉親に対する愛情、というものは無いからな」

「だけど彼女は…… 葬儀の時に」

「あれは教育係が居なくて『困った』んだ」


 管理人はぴしゃりと断言した。


「それに教育係は合成人間だ。なあ、彼女の親父は、若かったよなあ」

「……あ」


 倉瀬は口に手を当てた。そうか。


「もっと地味な職を選べば良かったのにな。けど生きている保証も無かったんだろうな。何せお前等の世界の技術じゃ、合成人間に何かあったとしても、何もできない。って言うか、バレちゃまずいだろうが」

「ちょっと待てよ」


 うん? と管理人は首を軽く傾げた。栗色の長い髪がざらり、と揺れた。


「あんたはまさか、親父さんが死んだのは、事故じゃない、って言うのか?」


 ぴんぽーん、と管理人は指を立てた。


「ある程度の資金は溜まった。彼女の住処も、後見人も決まった。ではあとできることは? そこで彼は、自分で燃えたんだ」

「じゃああれは」

「自殺。言っておくが、それにお前が反論しても仕方がないぜ。あれは、生物としての差から出た、文化の差なんだから」

「……文化の」

「彼女は変わっていたろ。お前の目には」


 ああ、と彼はうなづいた。それは反論できない事実だ。


「でもあれは彼女の元々居るべき世界では普通だ。だけどお前等の世界でもあるじゃないか。お前、耳が聞こえない人間の音楽の聞き方って判るか?」


 え、と倉瀬は戸惑った。


「機能の差は、文化の差に通じるんだよ。まあ、あのマキノってガキは、彼女の世界の人間と機能的にかなり近い部分があるな。少ないけど、お前のとこにも、そういう奴は居る。―――でもまあそれはいい。問題は、彼女の様に、他の世界から落ちてきた様な人間は、精神と肉体が不安定だ、ということだ」

「……と、言うと?」


 彼は何となくほっとした。ずれて行く話は、自分自身を糾弾をしているかの様に聞こえたからだ。


「あの眠っている彼女は、もう十日もそのままだ。しかも、あの中に精神は無い」

「……もしかして」


 倉瀬は雨の光景を指した。そう、と管理人はうなづいた。


「彼女の精神は、あの事故の雨の中に、閉じこめられてる。お前の世界の土砂降りの音は、あの世界の人間にとって、一番心休まる音と同じなんだ」


 低い音が、好きだ、と言っていた。心が安まると。


「だけどあの精神だけの存在が、一つの限定された時間に居続けるというのは不自然だ。居続ければ、やがてそこには不自然なエネルギーが生じる。そうなってからでは遅い」

「だから、俺が呼び出された」

「ってことになるな」


 にやり、と管理人は笑った。


「お前しか、彼女を肉体に戻せねーんだよ」


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