最後に案内してくれたのは今までよりもずっと小さな部屋だ。天井からいくつもの透明な筒が無数に吊るされていて、そのほぼ全てが割れている。
「スーちゃん、ここは?」
「お腹」
「ん?」
「お腹だよ。お母さんのお腹。皆、ここから出てきた」
「……」
「おい、これって……」
どうやら俺達はこの施設の全貌を知ってしまったようだ。アウルはゴクリと息を飲んでスワローを見つめている。
「これは聞かなければ良かった案件かな?」
「恐らくな。おい、スー。もう良い。さっさとここ出るぞ」
俺の言葉にスワローはこちらをじっと見上げて首を横に振った。
「なんだよ、ここに居んのか?」
「うん。だって……ここがスーの家」
感情の薄いスワローが初めて悲しそうに呟いた。
「そうかよ。じゃ、お前とはここでお別れだな」
「ちょ、アエトス?」
正直が過ぎる俺の口をアウルは慌てたように塞いで来ようとするが、俺はその手を振り払った。そんな中スワローがまた小声で言う。
「置いてく?」
「当たり前だろ。お前と俺とじゃ生きてる時代が違う。俺はこんなよく分からん施設で暮らすのは嫌だ」
「……ご飯ある」
「何とかチューブか? 嫌だね。俺は肉が食いたい」
「寒くない」
「着込みゃいいだろ。それに俺はここから出たら暖かい大陸に移動する」
「スーは?」
「お前はここに居るんだろ? 好きなだけ居りゃ良い」
「……アウルは?」
「あー……いや、俺もまだやることあるからなぁ」
突然話を振られたアウルは困り果てたような顔をして俺に視線を寄越してくるが、知るか。自分でどうにかしろ。
「どうすんだよ?」
「スーは……スーは……」
スワローはじっと天井を見上げたままフリーズしてしまった。
その時だ。廊下から何かの叫び声というか、うめき声が聞こえてきた。
「おい、なんだ? ハイエナか?」
「分からない。ちょっと見てくる」
それだけ言ってアウルは銃を構えて廊下に出ていく。それからしばらくしてアウルが青ざめて部屋に飛び込んできた。
「すぐに出よう。ここは駄目だ。これ以上いられない」
「おい、何だよ? 何があった?」
「俺にも分からない! とにかく出るぞ、二人とも!」
それだけ言ってアウルは部屋から飛び出した。それを見て俺はスワローを抱え上げたが、スワローは意外にも大人しくしている。ただ、視線だけはずっと『お腹』を見ていた。
廊下に出ると何か煙のような物が充満している。
「おい、何だよこれ」
「毒ガスだ。誰かが何かのトラップに引っかかったか、ここを完全に封鎖する気かのどちらかだよ。スー、顔をあげちゃ駄目だ。何も見るな」
アウルの声は切迫していた。来た道を戻っていると、さっきまでは無かった防護扉が下りている。
「くそっ! やられた。ここは餌だったんだ」
「おい、説明してくれ、アウル」
「罠だったんだよ。この施設自体が囮だ。出たら詳しく話す」
それだけ言ってアウルは踵を返した。俺はスワローを抱きかかえたままその後を追いながらアウルを責める。
「出来れば潜る前に教えて欲しかったがな」
「悪い。でも――」
アウルが何かを言おうとした時、スワローが突然暴れ出した。
「おい、何だよ。どうした?」
あまりにも暴れるのでスワローを下ろすと、スワローは何を思ったか一目散にガスの方に向かって走り出す。
「おいこら! マジで死ぬ気か!?」
思わず怒鳴ると、スワローは立ち止まり振り向いて首を振った。
「∑が居る!」
「はぁ?」
「どういう意味?」
スワローの言葉に俺は一瞬何の事だか分からなかったが、ふと思い出した。そう言えばスワローは『∽』だった事を。それに気づいた俺は急いでスワローの後を追った。その後からアウルだけが訳が分からないとでも言いたげについてくる。
防護マスクは何も万能じゃない。簡易なので時間制限もある。だから本当は一刻も速くここから出たいが、スワローはどんどん廊下の奥に向かって走っていった。
「あの子、凄いね」
「ああ、な」
俺達が駆け抜けてきた道には穴という穴から血を吹き出して死んでいる死体がゴロゴロ転がっていた。普段モンスターの死骸を見慣れている俺達でも流石に目を背けるような物だったが、スワローはそれを気にもしない。
やがてスワローは立ち止まり、また最初の部屋へ入った時のように壁に何かを書き出した。しばらくすると扉が開き、中に駆け込んで行く。
「行くぞ」
「うん」
俺達はスワローに続いて部屋に入った。その真中にはあの日見た銀色のポットが置いてある。それを見て俺はアウルをちらりと見て言う。
「おい、あったぞ。お前が探してた念願の相棒だ」
「嫌味だな」
アウルはそのポットに近寄りしげしげとそれを見つめているが、それどころではない事を思い出して欲しい。
「おい、急げ」
「いや、急げって言われてもどうやって開ければ――」
「∑」
戸惑うアウルの隣でスワローが言った。するとあの時と同じようにポットが開き、すりガラスが出てくる。その中に居たのはスワローと同じ年齢ぐらいの少年だ。
「男かぁ……」
「お前な」
何度も言うがそれどころではないのだ。
「スーちゃん、そのポットは開けないで。アエトス、このまま持ち出すよ」
「は? 冗談だろ?」
「冗談な訳ない。もうマスクが無い。生身でこのガスを乗り切れると思う?」
「確かに」
決断すると早いのは俺の良い所だと自負している。
「スー、ベルト絶対に放すなよ!」
「分かった」
俺達は二人がかりでポットを持ち上げ、廊下に出て一か八かで来た道と反対方向を目指した。
「アウル、頭の中の地図を思い出せ!」
「今やってる。次を右だ。その次を左。突き当りを道なりに進んで、三叉路の左に入ると洞窟に出る」
アウルの指示に従って進むと、確かに洞窟に出た。出たが、その先が完全に埋まってしまっている。
俺達は一旦ポットを下に下ろして座ると、互いの顔を見合わせた。
「ここで終わりか。短い人生だったな」
「俺は相棒を見ず終いか。ついてないなぁ」
「悪かったな、スワロー。こんな事ならお前を腹に置いてきてやれば良かったかもな」
そう言って何気なくスワローの頭を撫でると、スワローは小さく首を振る。
「いい。アエトスと居る」
「そうかよ。ほら、こっち来い」
「うん」
その場に立ち尽くして俯いているスワローに言うと、スワローは大人しくこちらへやってきて何故か俺の膝の上に乗った。
と、その時だ。何か遠くから地響きのような音が聞こえてきたのだ。
「ねぇ、これ」
「おい、しめたぞ!」
「モールリーパー?」
「正解だ。何でも良いから音出せ!」
俺は叫んでその場で足を踏み鳴らした。そんな俺の行動を見てスワローも真似してその場で飛び跳ねだす。
すると音がどんどん近づいてきて、やがてモールリーパーの鼻っ面が見えた。
俺は持っていた短剣の柄でその鼻をぶっ叩くと、モールリーパーは雄叫びを上げて斜め上に向かって穴を掘り始める。
「おい、追いかけるぞ」
「分かった。スーちゃん、これ開けて」
「死なない?」
「大丈夫。鼻と口塞いで担いでく」
「分かった」
そんな原始的な方法で良いのか。そう思いつつスワローがポットを開け、アウルが少年を担いだのを確認して俺達は走り出した。