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 稔二さんがその動きに目ざとく反応する。


「何か心当たりが?」


「……ございます。ですが」


 覚悟を決めた表情で、鈴村さんが言った。


「お話しする前に、わたくしをどうかクビにしてください」


「どうしてか、話せるかい」


 彼女は私と稔二さんを交互に見てから、私だけに視線を送る。


「場所を変えましょう。稔二さま、いいえ……―― 文月家にかかわることですから」


 つくづく、自分の愚かさを実感する。


「鈴村さん。もう、もういいんです」


「裕理!」


 稔二さんが思わずといった様子で声をあげてから、ちっ、と舌打ちをした。自分自身への舌打ちだろう。


 鈴村さんはといえば、顔面蒼白で立ち尽くしていた。


「……あの、お二人とも、まさか」


「ああ、そうだよ。松恵さん。ついさっき、裕理から自分は裕理であると申し出を受けたんだ」


 ガクンッ、と膝から力が抜けた鈴村さんが、床に座り込む。大急ぎで彼女の傍らに駆け寄り、私はその体に寄り添った。


「申し訳ありませんでした、鈴村さん……」


「裕理さま……よろしかったのですか?」


「もういいの。私は、わたしは稔二さんの前では裕理でいたいの」


 目を伏せた鈴村さんの顔から、生気が抜けていく。何十歳もいっぺんに年を取ったよう。

 俯いていた彼女だが、しばらくして顔をあげると、私たちを見つめた。


「でしたらなおのこと、わたくしを解雇してくださいませ」


「なぜだ? 松恵さん、あなたは何を知っているんだ」


 勢い込んで尋ねる稔二さんの横で、私も思わずすがるように鈴村さんを見つめてしまった。


 彼女は何かを知っている。何か、私たちに関係していて、でも違うことを。


 すると鈴村さんがゆっくりと、スーツの胸元へ手を伸ばす。そして何かを指でつかむと、ぐっ、と力を込めた。


 ぱきっ、と音が鳴った後に彼女が指を取り出すと、小さな、機械の様なものをはさんでいる。


稔二さんが息を飲む音がした。


「っ、盗聴器、か?」


 かすかに鈴村さんが頷き返す。


 言葉を失った私と稔二さんは、彼女を見つめることしかできなかった。


「稔二さま。わたくしは、稔二さまにお仕えでき、さらに裕理さまにお会いできて、それはそれは幸せでございました……」


 目を潤ませる鈴村さんが語りだす。


「稔二さま。文月家へ、ほんの一撃でもよい、何でもいいから害をくわえたいと、覚悟を決めた女がおります」


 静かな声が部屋を通り過ぎていく。


「わたくしは彼女の味方のフリをすることで、お二人への被害を遠ざけてまいりました。ですが。ここにきて、彼女は欲をかきました。稔二さまを追い詰め、自身の利益を追い求めるあまり、裕理さまをこのような場所へ」


 時間が止まったような気がしてしまった。


 鈴村さん……いいえ。松恵さんは私たち二人から離れるように立ち上がり、ソファへ腰かけるように勧めてくださった。


「清掃会社【クリア・エッジ】の社長、琴浦斎ことうらいつきさま。彼女が離婚を経験した、というお話はお聞き及んでおりますか」


 私たち二人が同時に頷くのを見て、松恵さんが微笑みかけてくる。自然と稔二さんと隣同士に座ったのに気づいて、でもそれ以上に松恵さんが語ろうとすることが気になってたまらなかった。


「松恵さん。お願いです、教えてください。琴浦社長は、社長は私を裏切ったりなんて……」


 優しく私をこの船に紹介してくれた社長の笑顔がよぎる。結婚式にも参加してくださって、それはよくしてくれたのに。


 その琴浦社長が?


 文月家へ、ほんの一撃でもよい、何でもいいから害をくわえたいって、どういうこと?


「……稔二さま。裕理さまにご両親のことをお伝えしてもよろしいでしょうか?」


 静かに松恵さんが言うと、稔二さんが呻く声が聞こえてきた。思わず振り返ると稔二さんが両手で顔を覆い、項垂れる。


「まさか。いや、そんな……」


 呟く彼が、松恵さんを指の隙間からじっと見つめた。その眼差しを受けるように、松恵さんが言う。


「裕理さま。稔二さまのご両親は、実は稔二さまにとっては叔父と叔母なのです」


「叔父と叔母? え、それって」


 稔二さんが私の手を握った。私に、信じてほしい、と言いたげに。


「俺は両親と血縁関係にあるが、正確には養子なんだ」


「ど、どういうことですか?」


 混乱しそうになりながら問いかける。血がつながっているのに養子?


「……俺の本当の父親は、現文月商社のトップ、文月利一としいちの弟である利次としつぐだ。そして産みの母は江口三希えぐち みき


 全く知らなかった。知らされてすらいなかった。ショックを受けながら聞き入っていると、稔二さんが顔を伏せる。


「話していなくて、申し訳なかった。両親からの頼みだったんだ。裕理には、実の両親だと思っていてもらいたいって……」


 義両親であるお二人の顔が脳裏によぎる。利一さまも、奥様の裕子さまも、とても穏やかで、そんな過去があるなんて知る由もなかった。


 そうだ。それから、お義姉さまになった華寿子かずこさま。彼女と稔二さんが、本当はいとこ同士だなんて、私には全く分からないくらいよく似ている。


 それに。稔二さんは今、自然と『両親に言われた』と言った。


 きっと。義理の親子であるのを周りに悟らせないくらいに、家族として生きてこられたんだろう。


「稔二さん。話してほしかった、と思わないわけではありません。ただ、私には想像もできないような葛藤や悩みがあったのだと、感じました」


 私に稔二さんに言えなかった悩みがある様に、稔二さんにも私に言えない秘密や悩みがあった。


 本当はいけないことなのに、嬉しく感じてしまう自分がいる。


「……ありがとう、裕理。もちろん。すべて話すよ」


 少しホッとしたように微笑んだ稔二さんが、続ける。



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