サクッ、とした衣の歯ざわり。ジューシーな白身。程よい塩気……。
これこれ、って感じの味に頬が緩んでしまう。
続けざまに炊き込みご飯のおにぎりを頬張ると、頬っぺたの内側がきゅーっと絞られるような感じがした。
口の中も、私があんまりにも美味しいって感じているせいで、びっくりしたみたい。
そのまま二口目のフライにかぶりついた時。
気づくと稔二さんが頬杖をついて、こちらをじっと見つめていた。
「し、失礼いたしました!」
顔中を赤くしながら、もごもごと言いつつ顔を伏せる。すると。
「気にしないで。たくさん食べて」
にっこりとほほ笑む稔二さんに促された。どうしよう、という気持ちと食欲がぶつかり合う。
「
咄嗟に口をついた彼への呼びかけに、赤かった頬から一気に血の気が引いた。
なんてこと。電話のときも、その前も、ずっと文月さまで通せていたのに。
「申し訳ございません!」
「何が? 気にしてないよ」
くすくすと笑った稔二さんがフライを口へ運ぶ。じっくりと噛み締めてから、うんうん、と頷いた。
「……なるほど。これは、美味しいね」
私が何か言うべきだと考えているうちに、稔二さんはみそ汁を飲みながら言う。
「ユウさん、この時間は君の勤務時間じゃない。だから気にせず、俺のことも『稔二さん』で構わない。食卓の上では対等でいよう、どうだい?」
胸の内側で彼への想いが膨らんで、どんどん苦しくなる。
裕理としての私はここにいるのに。
ユウとしての私だけが、彼と対等になるなんて。
そんなの許せない。そんなのダメ。
ううん、彼に怪しまれちゃいけない。稔二さんは私を、ユウだと思っているんだから。
「……わかり、ました。では、稔二さんとお呼びしますね」
私は私自身に負けてしまった。そんな気がした。
~~~
夕食が終わった後。私は稔二さんが片づけをする様子を見たまま、デザートを食べるよう強制されていた。
チョコレートのケーキ。どっしりとしたバタークリームだけど、軽い食感のスポンジのせいか、ついつい食べ進めてしまう。
すると稔二さんがスマホを手に取って数秒眺めてから、こちらを振り返った。
「ユウさん。少しラウンジに出かけてくる」
「かしこまりました。片づけを引き継ぎますね」
ウキウキした気持ちで立ち上がる。彼の役に立ちたい、という想いが大きくなっていくのが分かった。
「すまない。松恵さんにも言ってあるけど、先に寝ていて構わないから」
苦笑する稔二さんが足早に部屋を出ていく。私はそんな彼を見送りかけて、ふと足を止めた。
ダメ。私は裕理じゃない。そういう立場でいるべきじゃ、ない。
「ユウさん」
声がかかる。手を差し伸べてきた稔二さんが、私の頬におしぼりを軽くあてた。くすりと笑う彼が言う。
「クリームが付いたままだよ」
どうしよう。頭の中でぐるぐるといくつもの考えが巡っているのに、一つたりともちゃんとした言葉で認識できない。
頭の中が真っ白なまま、永遠に何かを考えている感じがする。
「あ、ぁりがとう、ございます……」
もぞもぞと返事をすると、稔二さんはますます嬉しそうに笑みを深めて、立ち去った。
片づけに専念しようと振り返る。ダイニングルームに備え付けられたキッチンには食洗器もあり、汚れも決してひどくなかったので、大掛かりな掃除は必要そうにない。
顔中が真っ赤。首筋も真っ赤。私の心臓はおかしくなってしまったみたい。
「そうだ。テーブルもきれいにして、それから……」
稔二さんの行動の意味を考えたくなくて、私はひたすら目の前のことに集中した。
それから。私が備え付けの部屋でシャワーを浴び、就寝用意をして、鈴村さんと「おやすみなさい」を交わしても、稔二さんが戻ることはなかった。
―― 深夜三時。スタッフルームの外から、物音が聞こえる。
稔二さんが帰ってきたのかもしれない。目を覚ましてしまった私は、そーっと部屋を出た。
出たところで、ハッとする。
今の私は、ナイトブラの上にTシャツ、それからショートパンツというラフな服装だった。急いでシャワールームにあった未使用のバスローブを身にまとう。
室内は間接照明が灯っているだけで、稔二さんの姿はなかった。
(なら、鈴村さんが起きたのかな)
そう思いながら数歩だけ足を進めたとき。ソファから、ゆらっ、と白い左手が伸びた。
びっくりして立ち止まる。誰かがソファに寝ているみたい。鈴村さんじゃなさそう。男性の骨太な、がっしりとした手。薬指に輝くのは、結婚指輪だった。
よかった、稔二さんだった。
一瞬だけ、幽霊や他人だったらどうしようかと思ってしまった。
ホッとしながら近づくと、ワイシャツをはだけた稔二さんがソファに寝転んでいる。ずいぶんお酒を飲んだのか、靴を脱ぐ暇もなく横たわってしまったみたい。
このままじゃ服にしわが付く。思わず「稔二さん」と声をかけながら近づこうとした、その時だった。
「ゆう、り」
私だけど、私じゃない。耳に慣れたはずの名前を呼びながら、稔二さんの手が私をソファへ招きこむ。
シャワーを浴びたから、私はノーメイクだ。だからユウじゃなくて、裕理として認識されたのかもしれない。
ひどく幸せそうに微笑んだ稔二さんの顔が間近にあって、時が止まったようだった。彼の熱が、手のひらを通じて伝わってくる。
「おかえり、ゆうり」
花びらみたいに言葉を宙へ舞わせた稔二さんが、私の顔を両手で包み込んだ。
近づいてくる唇が、悪魔みたいに私を誘惑する。そのまま、静かに唇が重ねられた。
熱い、あつい。熱くて、溶けていきそう。
口の中で舌先が触れ合った瞬間、体中に幸せと気持ちよさがごちゃ混ぜになった感情が迸る。
一年前、最後に稔二さんと過ごした夜を思い出した瞬間。下腹部に熱が駆け巡った。
稔二さんの目は今まで見たこともないくらい熱っぽく、私の顔を見つめてくる。視線だけで「愛しい」と刻み込もうとするように見えるのは、私が彼をまだ愛しているせいなのか。
大きな手が私の頬をなぞる。バスローブは自然とはだけてしまい、彼の体と密着していく。
薄いTシャツとショートパンツ、それから下着。全部、ぜんぶ、頼りない。
一番頼りないのは、私の理性。
「うれしい。ここに、ゆうりが、いる。ゆうりが……」
甘く囁きながら稔二さんが何度も私の頬へ、唇へ、キスを送る。