「三人そろってお皿を空にするのに、十分もかからないなんて。まったくこれは、大したバーガーですね」
鈴村さんがクスクスと笑う。私も思わず大きく頷いた。
稔二さんが私をじっと見つめてくる。彼は少し不思議そうに、そして言葉を選んでいることがありありとわかる慎重な口調で話しかけてきた。
「実を言うと。こんな風にハンバーガーを食べたことは、人生であまり経験がないんだ。もしよかったら、ユウさんがチーズバーガーを船に乗って最初の料理に選んだ理由を教えてもらえないか?」
理由なんてない。と、言いかけて、私はふと思い出すことがあった。
「……家庭の味であり、思い出の味だからでしょうか」
不思議そうに稔二さんと鈴村さんが顔を見合わせる。
私は自分の過去の生活を、稔二さんはもちろん、文月家の人々にも詳しく話した経験がほとんどないことに気が付いた。
文月家に比べたら、私の生活なんて口にすることさえおこがましい。
ううん。同情されるだけで終わるかもしれないと怖くて、言えなかったんだ。
(本当はいろいろなことを話してみたかった……何が好きなのか、嫌いなのか……些細なことでよかった……)
いつか文月裕理に戻って稔二さんに離婚を突き付けるときには、私の過去を話すなんてできないだろう。
稔二さんが『ユウ』だと思っていてくれるうちならば、なんだって話せる気がした。
「私は母子家庭に育ちました。母は仕事が忙しく、キッチンは常に清潔でした。つまり、使う暇がなかったんです。私が目を覚ますころに母は仕事に出かけ、私が家で明日の学校の用意をする時間に帰ってくるような生活で……」
だんだんと私の中で懐かしい記憶が鮮明になっていく。母が急いで仕事から帰ってきたとき、その手には大抵、近所のスーパーのお惣菜があった。
休日になると料理をする日もあって、私もよく教えてもらった。
その多くは、お惣菜のアレンジや、企業努力の結晶を生かした料理。
けれど私には、母と一緒に作る何よりのごちそうだった。
「それで。ある時、母が『ピクニックしよう』と言ったんです。私、そこで母に『サンドイッチが良い!』とねだってしまったんですよ」
小学校高学年になり、やっと私は母が普段食べているのは、スーパーの六十円前後のおにぎりだと気づいた。
父が亡くなってからというもの、母は親戚付き合いを断っていて、自分の両親や祖父母にすら頼っていない様子だった。
それまで父が勤めていた会社の社宅に住んでいたことから、引っ越しを余儀なくされ、やっと見つけた仕事は食品加工の会社。
私にはお金を惜しむまいと思った母は、時間を惜しんで働いていた。
だから、お米を一袋買って炊くより、毎日おにぎりを買う方が安くて時間もかからないと考えたみたい。
なのに私は、サンドイッチなんてものをねだってしまった。
高校に入ってバイトをするようになり、自分で作ってみてあまりの手順の多さや材料費の高さに愕然としたのを覚えている。
「そうしたら母が、チーズバーガーを買ってきてくれたんです。スーパーに一つ九十円ほどで売られているものを。私には間違いなくサンドイッチでした。だから、かもしれません。母との思い出の料理の一つを、ふと選びたくなったのかも……」
私が話し終えると、鈴村さんはしみじみと空になったプレートを見つめる。
そして稔二さんは、微笑みと泣き顔の中間の様な顔で、私を見ていた。
「ならこれは、君にとって『安心』する味なんだね」
やさしく稔二さんが微笑みかけてくるのを見て、私は自分の体が震えるのを感じた。
涙がこみあげてきそうで、慌てて笑顔を見せる。
「ごめんなさい。このような話をしてしまって……」
「いいや。嬉しかったよ、ユウさん。ありがとう」
稔二さんの声は、とてつもなく優しかった。