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 すると鈴村さんは、にっこりと頷いてくれた。


「わたくしもお腹がペコペコです。ユウさまが大丈夫でしたら、是非とも一緒に」


「そうだったのか。なら、三人で頼もう。ユウさんは何がいい?」


 尋ねてくる稔二さんに、私は新鮮なものを感じていた。


 一緒に暮らしていた時の稔二さんは、全てを自分で決めてしまう人で、私もそれが当たり前だと思っていたから。


 高いお店のメニューも、最初はなにがよいのか分からなかった。でも私が一生懸命に食事について勉強したことを伝えても、稔二さんはやんわりと断ってくる。


 いつしか私は、どんなに些細な注文であっても、稔二さんにすべてをゆだねてしまっていた。


 私は思い切って声を出す。


「あの。レストラン・クイックの、チーズバーガーが良いです」


「ちーず、ばーがー?」


 ぽかん、とした表情で稔二さんが言う。


「いや、せっかくならもっと他にもメニューがある」


 引き出しをあけながら、稔二さんが言う。分厚い冊子には、世界各国の美味しそうなメニューがずらりと並んでいた。


 私は言葉を付け加えた。


「実はこの船に乗り始めた時、最初にいただいた食事がレストラン・クイックのチーズバーガーだったんです」


「レストラン・クイックというと……この船のメインレストランだね?」


 稔二さんが言わんとしていることを、なんとなく理解した。


 船内には客室に応じてランクが設けられている。カジュアルな雰囲気が漂うレストラン・クイックは、最も下のランクの場合でも船の料金のみで食事ができる場所だ。


 文月商事の御曹司である彼にとっては、ひどく庶民派のレストランに聞こえたのかもしれない。


「それがとってもおいしくて、不思議と病みつきになってしまったんです」


 嘘ではない。私は本当にレストラン・クイックの大ファンだ。


 何しろスタッフ用の食事については、このレストランですべて賄われている。


 いつも美味しくて、食べ飽きたことはない。


「そんなに美味しいのか?」


 面白そうに稔二さんが呟いた。


「ええ。よろしかったら稔二さんもいかがですか? 騙された、と思って」


 試すように私は尋ねる。


 稔二さんなら、きっとやんわりと断って、自分が頼みたいものを頼むだろう。


 そんなある種の『信頼』があった。ところが。


「乗組員の君がそれほど言うなら、きっととてもおいしいんだろうな。よし、俺もチーズバーガーにするよ」


 あまりにもあっさりと頷いた彼に、私の中で奇妙な苛立ちが込みあがる。


「松恵さんはどう?」


「では、わたくしも」


「レストラン・クイックのチーズバーガー三つで決まりだね」


 スマホであっさりと注文を入れる稔二さんの姿を、呆然と見つめてしまう。


 もしも裕理として私が目の前に座っていたら、彼はこれほどあっさりと頷いていただろうか。


 彼から逃げるためにかぶったはずの『ユウ』という仮初めの名のおかげだと思うと、なんだか妙に切なかった。


 十数分後。たっぷりのチーズにこんがり焼かれたパティとバンズ。鮮やかなレタスとトマトが挟み込まれた、チーズバーガーが届けられた。


 バーガーのサイドには、カリッと揚がったフライドポテト。ソースが二種類ついている。


 それから根菜類のマリネが添えられたグリーンサラダ。シェフ特製の日替わりドレッシングもかかっている。


「まあ。思っていたよりもお野菜がたっぷりで、美味しそうですね」


 鈴村さんが嬉しそうに言った。つい押し切ってしまったけど、彼女には重い食事かもしれない。


「松恵さん。もし食べきれなさそうなら教えてくださいね。私がしっかり食べますから」


「ふふっ。ユウさま、ありがとうございます。でも、意外とこう見えてわたくし、ですの」


 上品に笑う鈴村さんが、稔二さんの様子を見た。私もつい、彼の反応をうかがってしまう。


稔二さんはしげしげと眺めてから、フライドポテトを手に取った。


「このフライドポテト。ふつうの調理法じゃないな?」


 私は思わず大きく頷いた。チーズバーガーも大好きだけど、このフライドポテトは外せない。


「すっごくサックサクでおいしいんですよ」


「そうなのか。乗組員の君のお墨付きなら、間違いないな」


 そのまま稔二さんがフライドポテトを手に取って口に入れてから、目を見開いた。


「これは……!」


「イギリスのシェフが考案した揚げ方で、一度茹でてから水分をとり、さらに二度揚げするそうです。私、チーズバーガーも大好きですけど、このフライドポテトも大好きで」


「なるほど。これはやみつきになるのも納得だ」


 彼は頷きながら食べ進めだした。私はそれを見て続けて食べる。


 チーズとパティが混ざり合い、ジューシーな肉汁が口の中ではじけた。心の底から、ほっ、とした気持ちが広がっていく。


 私が一口、二口と食べ進めるのを見て、鈴村さんも食べだした。


 本当においしいものを食べると人は喋らなくなるという。それも納得なくらい、三人で黙ってチーズバーガーを食べ進めた。


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