「九百九十九……千ッ!」
日課の木刀での素振りを終えた僕は、誰もいない第二修練場で汗を拭う。
ウルヴォグ騎士学園の寮には二十の修練場が存在し、そのうち一から十までは個人練習用の空間である。そのため広さこそ無いが、こうやって一人集中して剣を振るにはとても心地良い。
「ふぅ……なんか今日は、身体の疲れが凄いな」
十中八九あの二人のせいだろう。ユイさんがいなければ今頃、どうなっていたことか。
結局僕達が組んだ作戦というのは、剣士二人を前、魔術師二人を後ろという基本的な陣形。その中でレグルスは僕の前に。アリシアさんはユイさんの前にと、それぞれ僕達の前に配置することにした。
対戦相手の情報は、なんとかユイさんから教えてもらうことができた。魔術師一人、剣士三人の構成のうち三人の方は僕が知らない人達だったので情報が無いが、一人の魔術師のことは把握できている。
ミリア・バッケス。スタンダードな遠距離攻撃を基本とする魔術師ではなく、その本質は鍛え抜かれた肉体と拳に魔術を入れて強化することで戦う、魔闘士。ユイさん曰く、戦闘スタイルだけではなく性格からもかなり好戦的だと聞いた。
要するに、相手は四人全員が近接主体。どういった試合展開になるのかいまいち想像ができず、具体的な策というのは考えることができなかった。
「はぁ。こんな時、アンジェさんなら……いや、あの人なら一人で全部解決しちゃうか」
水分を補給し、部屋に備え付けられていた木刀を戻した僕は一人呟きながら、修練場を退出する。汗をかいてしまったので、シャワーを浴びにいくためだ。
シャワー室があるのは長い廊下に並ぶ修練場を抜けたその先。二番の部屋にいた僕は二十番の部屋までを全て素通りして、そこに向かおうとしていた。
だが……
(ん? あれって……)
その足はすぐに止まる。何故なら四番の部屋に、見知った顔がいたからだ。
「ッ、あァッッ!!」
部屋の中央に吊り下げられた砂袋を、ただひたすらに攻撃し続けるその主の正体は、レグルスである。
血走った目で、汗を振りまきながら。縦横無尽に狭い室内を駆け回り、砂袋を抉るように木刀を振り下ろす。
それは僕がやっていたただの素振りとは違い、明らかに実践を想定した動きであった。相手が動かない砂袋とはいえ、その一つ一つの攻撃が全て本気なのが扉越しにも肌に伝わってくる。
「す、ごい……」
何より驚かされたのは、そのバリエーションの広さ。ただ剣を当てるだけではなく、時には壁を蹴って跳躍しながらの蹴り、木刀を手放し中に浮かせた瞬間に繰り出す拳。
野蛮とも言えるそのスタイルは、彼が本当の実力者である事を示している。頭の中で描く空想のイメージでここまで動くことができるのは、才能だろう。
「はぁ……はぁっ。クソが。こんなんじゃ足りねえ……″アイツら″には、届かねぇ……ッ!」
気づけば、見入ってしまっていた。
レグルスの異常なほどの何かへの執念と、野心。そして目標として見据えているのであろう″アイツら″と呼ばれた誰かへの執着心。
僕の中の彼のイメージが少しずつ、変わり始めていた。
「ッ! オイ、誰だ!!」
「っえ!?」
そうして扉の小さな窓から彼の姿を眺め続けていると。物音一つ立ててはいないのだが、突然レグルスがこちらを振り向く。
完全に目があってしまい、一本道なこの廊下では逃げることもできない僕は仕方なく……扉を開けた。
「ごめん。覗くつもりはなかったんだけど……」
「なんだ、てめぇか。何しに来やがった」
僕なんかより数倍汗をかいて息を切らしながら水分を含み、そう言い放つレグルス。相変わらず敵対心が剥き出しで、今にもとって食われそうなほどの威圧感をひしひしと感じる。
だけど、せっかくこうして二人きりで話し合える状況なのだ。試験は明日。この機会を逃す手はない。
「たまたま通りかかって、目に入ったから。レグルス君、凄いね。あんなに自由な動きをする人、初めて見た」
「はっ、お世辞で仲良しごっこでもするつもりか? タメのくせに君なんてつけやがって。……本当に気に入らねえ」
君を付けているのは怖いからなんだけどな。それに、仲良しごっこって。ユイさんにはここまで憎まれ口を叩いていなかったのに、どうして僕にはここまで敵対的なのだろう。アリシアさんは言うまでもなく、お互い主張が強すぎるが故のぶつかり合いだと分かるけれど。
「そう言うなら、これからはレグルスって呼ぶよ。あとさっきのはお世辞じゃない。本当にそう思ったから言っただけだよ」
「そうかいそうかい。そりゃどうも。じゃあこれで話は終わりだな。とっとと失せやがれ」
「ちょ、ちょっと待ってよ。まだ話は終わってないって……!」
ぜぇぜぇと肩で息をしながらまた修練に戻ろうとするレグルスを、僕は必死で呼び止める。
大体、話以前にここからまだ修練は無理をしすぎだ。普段ならともかく、明日は試験だと言うのに。このまま続けたら確実に明日に響く。なんとかして止めないと。
「レグルスはさ、なんでそこまで頑張れるの? もうボロボロで、限界のはずなのに。さっきアイツらには届かないって言ってたけど……その人達に追いつくために、頑張ってるの?」
「うるせぇ。てめえには関係無えだろ」
「あるよ。チームメイトなんだから」
僕がそう返すと、レグルスは右手で握っていた木刀を床に捨てる。そして睨みつけるようにこちらを向くと近づいてきて、眼前に迫って言った。
「俺は、リヒトとドーレを超える。てめぇが鬱陶しく金魚のフンみてえに付き纏ってたアイツらだ。勝手に死んじまいやがったが関係無ぇ。俺が俺を一位だと認められるまで、俺はアイツらを追い続ける。それだけだ。分かったか耳クソ」
彼の口から放たれた名前は、意外なものだった。
リヒトとドーレ。もう二人は死んでしまったけれど、元々二人は僕達の学年のトップ。レグルスは彼らが死んでも尚、その幻影を追いかけ続けていた。
二人がいなくなったことで実質的に首位に君臨した自分を、まだ自分自身が認められていないのだろう。たしかに性格を見ていれば、そんな繰り上げのようなもので周りからの評価が上がっても絶対に喜ばないタイプだ。
「てめぇの作戦の紙、見たぞ。俺を一番槍に置いたからには、一人で四人圧倒させてもらう。てめぇら三人は後ろで旗だけ守ってやがれ」
彼の粗暴な態度にはきっと、ストレスが混じっている。
自分が目標にしてきた人達が突然いなくなって、目の前が真っ暗になって。目指す先を失うと、自分がこの先どうすればいいのか何も分からなくなって壊れてしまう。
そんな感覚を、僕は味わっている。そしてレグルスはきっと、僕と同じだ。
なら────放ってはおけない。
「レグルス。悪いけど僕も、戦う。君一人に良いところを全て持っていかせはしない」
「……あ?」
「僕も、君と同じ人達を追ってきた。憧れてきた。だから……負けられない」
レグルスを後ろからサポートする? そんなの、もうやめだ。
僕は、僕のやり方で勝ちに行く。支援なんてしていてもきっとこの野獣に喰われて終わりだ。そんなんじゃ、アンジェさんにも皆にも申し訳が立たない。
「僕がチームを勝たせる」
引き立て役じゃない。僕は……主人公になる。人を救う騎士として、世界一優しい師匠の弟子として。死んだ皆の心を背負う者として。
絶対に、引き下がるものか。