朝になった。ここで過ごせる、最後の朝。
思っていたことを打ち明けることができたせいか、僕もアンジェさんもあの後ぐっすりと眠って。いつもより少しだけ遅い起床と共に、僕は旅立ちの準備を。師匠は見送りの準備を済ませる。
「ユウナ、これを持って行ってくれ」
「……これ、は?」
身支度を整え、いつでも出発できるという頃。アンジェさんは僕に、ある物を手渡した。
「魔石だ。いずれ魔剣を手にするであろうお前に、使ってもらいたい」
銀色のチェーンでネックレス状になった、指の爪ほどの大きさの白い石。僕の尊敬する師匠の魔術の詰め込まれたそれは、白いモヤのようなものが中で揺れ動いている。
外の世界で騎士になるならば必ず製作することになる、魔剣。それは女性の魔術師の手によって形式化した魔術、術式が組み込まれた魔石を剣に嵌め込むことによって完成する。
普通の男であればそれを介してようやく魔術を使えるという訳だが、僕の場合は合成魔術がある。だから術式などは組み込まず、純粋な魔素のみを織り込んで作った物らしい。
いずれにせよ、こんなに嬉しいプレゼントはない。外の世界でもこれがあれば、僕はアンジェさんと共に戦うことができる。
「ありがとうございます。大切に、しますね!」
僕はそれを首から下げ感謝の言葉を伝えてから、やっぱりどこか寂しくなりつつも笑ってみせる。
もう、涙は見せない。今日は笑って別れると決めているのだから。
「ふふっ、よく似合っているぞ。頑張って作った甲斐がある」
「本当に嬉しいです。こんな素敵な物を……これを嵌めた魔剣で戦う姿を見せられる日が、待ち遠しいです」
「ああ。お前の師匠として、私もその日を楽しみにしている。……さて、ではそろそろ私も貰っていいか? お前が一生懸命作っていた、プレゼントを」
「やっぱり、お見通しでしたか。じゃあ……指を出してください」
ここにいた三年間、いつだったか思い付いた師匠へのプレゼント。師匠なら一時間もしないうちに完成させてしまいそうな物だけれど、少しずつ上達していく僕の魔術を使った、傑作だ。
とても小さな、氷慧魔術で形作られた魔石。それを組み込んだ、鉄製の指輪。指のサイズが分からなかったからちゃんと嵌まるかは分からないけれど。それでも僕の気持ちを形作るには、指輪が一番だと思ったから。
「本当に、私はいい弟子を持ったな。……私に憧れ以外の感情を抱いてしまっているのは、いただけないが」
「……僕のプライベートな感情まで覗かないでくださいよ」
差し出された左手の薬指に、そっと指輪を嵌める。その細い指には少しだけサイズが大きかったようで、ピッタリとはいかなかった。ほんの少し緩い指輪が、指の根元にそっと着地する。
「アンジェさん。僕はあなたに、全てを貰いました。あなたの手によって強くしてもらったこの身体で、必ず封印を解いてここから連れ出して見せます。だからその時に……この想いを、伝えてもいいですか?」
これまでアンジェさんの、色々な一面を見てきた。優しくて、強くて。でもその反面意外にドジなところがあったり、寂しがりやな一面を持っていたり。面倒くさがりで、色んなことを押し付けられたこともあったっけ。
良い面も、悪い面も。全てとはいかないけれど、両面から何度も彼女を見てきた。そんな中で……師匠と共に時間を過ごし続けて、もうこの人無しでは生きていけないと悟ってしまった。
この気持ちがなんなのか。僕はもう知っている。以前、別の人にも抱いた気持ちだから。
まだその気持ちが完全に消えたわけじゃない。今だってあの人の何気ない仕草を、ふとした瞬間に思い出す。
でも、アンジェさんに対する気持ちはもしかしたらもうそれ以上なのかもしれない。少なくともさっき言われた通り、憧れという言葉で表すには大きすぎる、そんな感情を抱いてしまった。
「……全く、仕方の無い奴だな」
師匠は少し、顔を赤くしながら。僕の頬をそっと撫でて、言った。
「外の世界は広い。きっと様々な人達に出会うだろう。色んな経験をして、大人になって。もしそれでも私への気持ちが変わらなかったらその時は……こんなサイズの合っていない物ではなく、ちゃんとしたのを持ってこい。それまでは、これで我慢してやる」
「っ……!!」
刹那。僕の左頬を、柔らかい感触が走った。
身を乗り出し、ゆっくりと近づいてきた想い人の、温かい唇。ふわりと師匠の甘い匂いがして、ほんのりと熱を持ったその顔は、初めて会ったあの人同じ優しい笑みを浮かべていた。
「行ってらっしゃい、ユウナ」
その言葉を最後に、僕は最愛の師と別れた。
三年前、死ぬために開いた扉をもう一度開いて。僕は生きるために、歩き出す。
きっと僕は、またここに戻ってくれば簡単に扉を開くことができるのだろう。でも、それはしない。
次に会うのは、僕が学園を卒業して騎士になる日か、封印を解いたその日。そう、約束したから。