『えっ、嘘!? ユウナ君、その本……!!』
『クレハさん!? どうしてここに!?』
図書館。僕はいつも、午後の実技訓練を終えたらそこで一人、本を読んでいた。
恋愛、ホラー、ミステリー、コメディ。その日の気分でなんとなく手に取った小説を読むのが好きで、ジャンルなんかにも一切こだわりは無い。そうやってその日も、僕は適当に取ったミステリー小説を読んでいたのだ。
普段から友達と遊んだり騒いだりするよりもそうして一人で過ごすことが多かった僕に、図書館はもってこいの場所だった。
午前の座学はいいけれど、午後の合同訓練はいつも厳しい。だからみんな終わる頃にはヘロヘロで、放課後に図書館に行こうなんて考える人はいない。だから休暇の日以外はほとんど人がいなくて、とても居心地がいい。
ただ静かに一冊の本を読んで、ゆっくりと帰る。その日の予定は、僕の目の前に現れた初恋の人に崩された。
『カトリーナ•アインシュバルのミステリー短編集だよね、それ! 私その人の大ファンなの!!』
『そうなんですか? あ、でも僕読んだのこれが初めてで……』
『そうなんだ! どう? 面白かった!?』
意外だった。普段からお淑やかな雰囲気を醸し出している彼女がこうも興奮する話題があるなんて。クレハさんのこんなに楽しそうな表情を見たのは初めてだ。
『うん。面白かったよ。まだ半分くらいしか読めてないけど、読み終わった短編だと「赤の行方」って話が好きだったかな』
『凄い分かる! それ、私も大好きなお話だよ!』
その場でぴょんぴょんと跳ね回りそうなくらいに嬉しそうなクレハさんは、僕の向かいの席に座って手に持っていた二冊の本を机の端に置く。「悠久への片道切符 上•下」と背表紙に書かれたそれの作者は、勿論カトリーナ•アインシュバルだ。
『それにしても、ユウナ君が読者好きだったなんて私知らなかったよ〜。共通の話題があるお友達を見つけられてとっても嬉しい!』
『クレハさんも、よく本を読むんですか?』
『うん。って言っても、読むようになったのは最近なんだけどね。カトリーナさんの小説を一番古いやつから順に追ってる感じかな〜』
嬉しかった。僕だけが知っている、想い人の明るい表情。僕は、リヒトやドーレのように己の存在を力で示せるようなカッコいい男じゃない。だからこの初恋も、そういった人達に敗北することで簡単に壊されてしまうのだろうと、どこか諦めていた。
でも、例えそれが偶然の産物だったとしても……僕は確かに、恋愛という戦いにおいてその時、他の人と比べて決定的に有利な武器を手に入れたのだ。そこからは、早かった。
『クレハさん。その……僕、よくここの図書館で本を読んでるんです。よければ、クレハさんも一緒にどうですか?』
『え? いいの?』
『はい。感想を言えるような相手がいた方が、きっと楽しいですから』
『やったぁ! じゃあこれからは、私もここにいっぱい顔を出すね!!』
勇気を出して言葉にした甲斐もあって、それからはクレハさんとよく放課後、図書館で二人きりで会うようになった。
毎日、というわけにはいかなかったけれど、五日ある平日のうち三日は一緒に本を読んで、感想を語り合って。休暇の日にも二人で集まったり、図書館以外の場所に出かけたり……少しずつだったけど、確かに距離を縮めて、仲良くなっていった。自意識過剰だったかもしれないけれど、クレハさんも少しは僕のことを意識してくれてるんじゃないかって────
『ねぇユウナ君。明日、よければ私の部屋に来ない? お母さんが、美味しい紅茶を送ってくれて……』
『は、はい! 勿論行きます!』
『よかった。じゃあ明日のお昼過ぎ、図書館に集合しよ! 楽しみにしてるねっ!』
『ん? おいおいユウナ君よぉ。お前も隅に置けねぇなあ? あのクレハとお家デートたぁ、中々……』
『ちょっとリヒト!? デートとか、そんなんじゃ!!』
『ほぉ〜。顔を真っ赤にさせておいて、よくもまぁ』
『うぅ……』
金曜日の夜。少し訓練が長引いて、日も落ちきった頃。学校からの、帰り道。僕は初めて、クレハさんの部屋に誘われた
十五年間生きてきた人生の中で、最大の幸福感。バクバクと心臓が煩くて、揶揄われて顔を赤くしているクレハさんの横顔を見ただけで、身体が熱くなる。
明日だ。明日はきっと、僕にとって人生最高の一日になる。その確信を、確かに得た瞬間だった。
────明日が来る保証なんて、どこにもなかったというのに。
『は、ぁ……はぁ……ッッ!』
(ああ、まただ。また、この夢だ……)
灯りに照らされた、夜の屋外。周りの音を全て遮断されたかのように、僕の荒々しい呼吸音だけが脳内で反響する。
視界の先には、赤く目を光らせ歪な身体で暴れまわる、一体の獣。
僕の犯した罪を、決して忘れさせないために。その夢は、寸前まで幸福な日常という皮を被って、油断させてから僕を突き落とす。ほぼ毎晩、何度も、何度も。
ああすれば良かった、こうすれば良かったといった後悔すら、僕には許されない。見せつけられたどうしようもなく非力な僕の姿では、何をしようがあの現状は打破できなかった。僕が弱いから、全員死んだ。その事実だけを、脳に深く刻み込む映像。
リヒトが死んだ。クレハさんが死んだ。アゲハさんが死んだ。ドーレが死んだ。ミーシャさんが死んだ。
理不尽な死だ。理不尽に、僕が死なせた。
(ごめんなさい。僕だけが生き残って……。でも────)
僕がこの夢をまだ見ているということは、心のどこかに迷い、そして甘えが残っているということだ。
でも、僕はアンジェさんの言葉を聞いて、自分自身で考えて。みっともなくとも強くなって、生き続ける決意をした。
だからもう、お別れしないと。
「みんなの分まで、生きるよ。だから、見てて」
夢の中の幻影に、僕は呟いた。